2022/07/10

第7部 誘拐      10

  テオが己の身体の無事を確認して衣服を身につけたすぐ後に、救護室にトーコ中佐が現れた。真夜中なのに出動か、と思ったが、以前ケツァル少佐から副司令官は2人いて交代で24時間業務に能っていると聞いたことを思い出した。テオが「こんばんは」と挨拶すると、中佐は頷いた。

「意外な展開になって驚いています。」

と彼は言った。テオも同意した。

「俺もです。ハエノキ村の住民の遺伝子を調査しに行ったのに、護衛の政府軍に”シエロ”の末裔がいるとは予想だにしませんでした。」
「本当に一族の末裔なのか確認がまだですが、ギャラガ少尉の報告では”操心”と夜目が使えると言うことですから、恐らく末裔なのでしょう。しかし”心話”を使わないと言うのは意外です。我々の能力で血が薄まっても最後まで残るのが”心話”と”夜目”です。”心話”なしで”操心”が使えるとは聞いたことがない。」

 トーコ中佐はカーテンの向こうのカタラーニをチラリと見た。カタラーニはまだギャラガの”操心”にかけられて眠ったままだった。それでも中佐はテオに場所を替えましょうと提案した。
 2人は救護室を出て、廊下を歩いていった。深夜だった。静まり返っているが、それが時間の故か普段からそうなのかテオにはわからなかった。

「訓練の邪魔をしてしまいましたね。」

と彼が話しかけると、トーコ中佐がちょっと微笑した。

「彼等は勤務が終わって少し遊んでいたのです。遊びと言っても、民間人が見れば訓練に見えるでしょうが・・・」

 つまり、文化保護担当部の「鬼ごっこ」や「隠れん坊」みたいなものか、とテオは想像した。
 トーコ中佐がテオを案内したのは、意外にも食堂だった。広い部屋に長いテーブルがいくつか置かれ、微かにチキンスープに似た匂いが空中に残っていた。交代時間ではなかったので、誰もいない。テオは夕食がまだだったことを思い出した。途端に腹がグーっと鳴った。中佐がクスリと笑い、奥の厨房と思しき方向へ声をかけた。

「誰かいるか?」
「スィ。」

 若い男性がカウンターの向こうで顔を出した。中佐が彼に命じた。

「こちらの客人に何かお出ししてくれ。」

 テオは慌てて口を出してしまった。

「アンドレ・ギャラガもまだ食べていないんです。」
「では2人前用意します。」

 若者が奥へ引っ込んだ。中佐がまた笑った。

「貴方が友達思いの方だとよく噂をお聞きします。」
「彼のお陰で命拾いしました。」
「彼も貴方に助けられたと言っています。」

 中佐がポケットから毒矢を出した。タオルで巻いてあったのを広げ、矢を眺めた。

「1世紀前まで狩猟民が使っていたものです。近代になって狩猟が禁止されたり制限されると使われなくなりました。セルバだけでなく中米地域全体の傾向です。銃が広がりましたからね。しかし都会から離れた場所で密猟者が使うことはあります。」
「カブラロカ近くで俺を射たペドロ・コボスは猟師でした。彼が吹き矢を使っていたのは納得いきます。しかし政府の正規軍の兵士が使っていたことは奇妙です。」
「兵士が吹き矢を所持していたことは奇妙ですが、一介の猟師が貴方を狙ったことも奇妙です。」

 そこへアンドレ・ギャラガが入って来た。

「お呼びでしょうか?」

 中佐に”感応”で呼ばれたのだ。トーコ中佐はカウンターを顎で指した。

「ドクトルと君の夕食だ。こちらへ持って来い。」

 ギャラガはハッとして厨房へ目を遣った。丁度先刻の厨房係が二つのトレイにパンとスープを載せてカウンターに置くところだった。ギャラガは少し頬を赤くして、カウンターに足速に近づき、二つのトレイを受け取った。
 テーブルに来たギャラガに、トーコ中佐が座れ、と命じた。そして食べるように2人を促した。
 パンとスープだけの質素な食事だが、スープの中は野菜や肉がたっぷり入った具沢山だったので、テオは満足した。味付けも良かった。

「アランバルリ少佐は助かりそうですか?」

 テオが尋ねると、中佐とギャラガは頷いた。ギャラガが説明した。

「指導師が毒を消しました。今は眠らせて空き部屋に寝かせてあります。」
「ことの詳細をあの男から聞き出すことにしよう。」

 トーコ中佐が呟いた。テオは隣国に残して来た調査団の仲間の安否が気になった。

「ケサダ教授やボッシ事務官、コックと運転手の身が心配です。」
「外務省のロペス少佐にボッシ事務官と大至急連絡を取るように言ってあります。ミーヤの国境を越えれば問題ないでしょう。国境警備隊には既に連絡済みです。」
「コックのパストルは”シエロ”ですね? 教授も・・・」
「承知しています。」

 トーコ中佐がフィデル・ケサダの正体を知っているかどうか不明だったが、テオはそれ以上は言えなかった。ギャラガを見ると、少尉も食べ物に視線を向けていた。

「2人共民間人ですが、ケサダはマスケゴ族の族長の身内です。パストルはロペスの推薦で調査団に入りました。どちらも戦い方は知っている筈です。」

 トーコ中佐は立ち上がった。

「ドクトルにはお部屋を用意させましょう。明日、ミーヤへ行かれますか?」
「スィ、行きたいです。仲間が無事にセルバに戻って来るのを迎えたい。」
「では、学生君も一緒にお連れします。ミーヤに到着する迄は彼に眠っていてもらいますが。」
「わかりました。」

 中佐は頷き、それからギャラガに視線を向けた。

「ギャラガ少尉・・・」
「はい!」

 ギャラガが慌てて立ち上がった。中佐が言った。

「能力の使い方がかなり上達したな。ドクトルと学生をよく守った。」
「グラシャス・・・」

 ギャラガが耳まで赤くなった。

「ケツァル少佐と先輩方の導きのお陰です。」
「どんなに指導者が優れていても、実践で能力を発揮出来るのは本人の才能次第だ。君は立派なグラダだ。もっと胸を張って良いぞ。」

 ギャラガは敬礼で応えた。中佐も敬礼し、それからテオに「おやすみ」と言って食堂から出て行った。
 椅子に戻ったギャラガにテオは感想を言った。

「凄く貫禄あるのに優しい上官だな。」
「副司令官はお2人共素晴らしい方々です。」
「司令官はどうなんだ?」

 するとギャラガは困った表情になった。

「私はまだお会いしたことがありません。司令官に直接面会出来るのは司令部のごく一部の将校だけなのです。」




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