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2024/02/16

第10部  粛清       3

  食事を終えたケツァル少佐は、若い掃除夫は元気ですか、と尋ねた。テオは彼女と一緒に食器を返却口に運びながら、周囲を見回した。勿論昼食時間真っ最中のカフェに掃除夫がいる筈がない。

「昨日も今日も見かけていないなぁ。」

 ちょっと不安になった。父親の逮捕であの若者の身に好ましくないことが起きたのかも知れない。職場を解雇されたとか、故郷へ戻ったとか、想像したくないが”砂の民”に何かされたとか。
 少佐と別れてから、テオは事務局へ行って、掃除夫のことを尋ねてみた。しかし大学は清掃会社と契約しているのであって、掃除夫個人の勤務状況も氏名も把握していなかった。清掃会社の連絡先を教えてもらい、テオはそこへ電話してみた。昼休みなので誰も電話に出なかった。
 仕方なく、心の中に気になるものを抱えながら、その日の仕事を夕刻までこなして、それからもう一度清掃会社にかけてみた。掃除夫は夜間に仕事をする場合もあるのだ。
 電話口に出た男性は、ホルヘ・テナンが大学で何か問題でも起こしたのかと心配した。だからテオは嘘を言うしかなかった。

「彼が俺の落とし物を拾ってくれたんで、礼を言いたかったんです。でも今日は見かけなかった。」

 すると電話口の男性が彼に尋ねた。

ーーすると貴方はお医者さんですか?
「は?」
ーーテナンは大学病院が担当なんですが・・・
「そうなんですか? 俺は自然科学学舎で彼と出会いました。」
ーーああ・・・また勝手に持ち場を交換しやがったな・・・

と男性が舌打ちするのが聞こえた。

ーー若い連中は遊びに行く都合で勝手に持ち場を交換するのでね、こっちは何か問題が起きた時に誰が担当か調べなきゃいけないんですよ。
「すると、ホルヘは、今日普通に仕事に出ているんですね? 大学病院の方に?」
ーーその筈です。タイムカードを押しているからね。

 テオはひとまず安堵した。ホルヘ・テナンはテオに会う為に会社に無断で学舎担当の掃除夫と勤務場所を1日だけ交換したのだろう。会社にバレてしまって悪いことをした。きっと本人は勤務場所交換も記憶から消されているだろうに、上司から叱られてしまう。

「俺は落とし物が戻って感謝しています。どうか彼を叱らないでやって欲しい。それから普段の掃除夫もしっかり働いてくれていますから。」

 フォローになったかどうかわからないが、テオは誤魔化して電話を切った。

2024/02/15

第10部  粛清       2

 「ああ・・・面白かった!」

とケツァル少佐が呟いた。テオは彼女を振り返った。少佐は口元に微かに笑みを浮かべながら、最後の料理に取り掛かっていた。テオは彼女に同意した。

「シショカの奴、ビビってたな。」

 少佐が視線を彼に向けた。

「貴方にもわかりましたか?」
「スィ。教授は縄張りを荒らされるのを警戒して威嚇しに現れたんだろ?」
「スィ。政治家秘書が場違いな場所に来たからです。あの男が相手にするのは、イグレシアス大臣の政敵です。恐らく、大臣が推し進めようとしている北部のダム建設に反対する建築工学の教授を説得に来たのでしょう。私は建築に詳しくありませんが、新聞やネット記事によれば、大学は大臣が採用しようとしている建築方法が自然破壊と災害を齎しかねないと、反対しているのです。でも自然科学の分野からは何も意見が出ていません。」
「ダム建設って?」
「ほら、以前コンドルの神様の目が盗まれたラス・ラグナス遺跡や移転したサン・ホアン村がある地域です。」
「砂漠で地下水脈が変化して地上の水源が枯渇しかけている所だったな? ダムなんて造って意味があるのかい?」
「イグレシアスは水を貯めるのではなく、土砂の流出を防ぐ砂防ダムを大規模に造ろうとしているのだそうです。もしいきなり大雨が降って、土石流が下流の集落を襲うと大災害になるだろう、と。」
「うーん・・・」

 テオは腕組みした。

「国民を守る気持ちは誉めてやるよ。だけど、あの位置に砂防ダムを造ったって、一番近い集落までどれだけ距離があると思ってるんだ?」
「イグレシアスは建設会社に仕事を与えたいのです。大統領の失業対策にも繋がりますから。」
「その政策にロカ・エテルナ社は関係しているのか?」

 ロカ・エテルナ社は、ムリリョ博士の息子や娘達が経営しているセルバ共和国最大手の建築会社だ。公共施設などのビルを得意としている筈だった。少佐が首を傾げた。

「私は知りませんが、アブラーン(ムリリョ博士の長男)はダムに興味を持っていないと思います。」

 利権争いなどは、テオもケツァル少佐も預かり知らぬことだ。だがアブラーン・シメネス・デ・ムリリョの義理の弟であるケサダ教授が大臣秘書のシショカに敵意を示したのは、ちょっと気になった。単純に縄張りを守っただけとは思うが。
 すると少佐はテオが気付けなかったことを教えてくれた。

「教授はこのカフェで寛いでいるメスティーソの学生達を気にかけていましたよ。一族の血を引く学生も何人かいますからね、シショカが嫌うミックス達です。シショカの注意をご自分に向けて学生達から秘書の気を逸らしていました。」
「そうか・・・子供を守る親の役目をしたんだな。」

 少しだけテオは安心した。

「だが、行き先を間違えるなんて、シショカらしくないんじゃないか?」

と指摘すると、少佐は鼻先で笑った。

「若いミックスが大勢いるので、覗きに来たのでしょう。強い力を持つ人間の驕りですよ。」

2024/02/14

第10部  粛清       1

  セニョール・シショカは”砂の民”だが、ムリリョ博士の手下ではない。マスケゴ族だが、そのナワルはジャガーではなくピューマで、だから”砂の民”の仕事をしている。だが建設大臣の私設秘書はそんなに暇な立場ではない筈だ。彼の仕事は大臣の仕事がスムーズに行く様に障害となる人物や厄介事を取り除くことだ。主に政治的に反対の立場の陣営や大臣と同じ政党のライバルの足を掬ったり、選挙で不利になるよう工作する訳だ。わざわざ森に出向いて密猟者を粛清したりしないし、ムリリョ博士の手下達が活動していると分かっていて横から手を出したりしない。
 テオはシショカが好きでなかったが、その男の筋を通すところは評価していた。

「博士に用ですか?」

とケサダ教授がシショカに尋ねた。”砂の民”は身分を秘匿するものだが、シショカは一族の間で非常に有名な男だ。少なくとも、同じ部族のマスケゴ族達は彼の顔と名前を知っているし、公の立場も知っていた。ケサダ教授はマスケゴ族として当然彼を知っていたし、シショカの方も教授がムリリョ博士の養い子で学問の弟子で、さらに博士の娘婿であることを承知していた。そして2人の間には、不思議な緊張感が存在した。
 教授は”砂の民”としてのシショカの出現を警戒していた。大学内で問題を起こして欲しくないのだ。学生も職員も、ケサダ教授が日頃守護しているセルバ国民だ。いかなる理由であれ、己が守護している場所で他人に勝手をされては困るのだ。
 シショカの方はケサダ教授が彼より強い能力を持っていることを直感で悟っていた。目の前の男は同じマスケゴ族とは思えない様な強力な超能力の持ち主だと、シショカの本能が告げていた。”ヴェルデ・シエロ”は保有する能力が強ければ強いほど、同族の者が持つ力の大きさを正確に察知する。例えばケツァル少佐のグラダ族純血種の能力を正確に悟れるのは、ブーカ族の純血種だ。ブーカ族より力が劣る他部族やメスティーソのブーカ族は、グラダ族が強いと言うのは感じ取れるが、それがどの程度強いのかは測れない。測れないから、彼等はグラダ族を怒らせることを恐れる。下手すると己の命を失いかねないからだ。シショカはブーカ族より弱いマスケゴ族だが、純血種で、”砂の民”としての修行を積み重ねてきた。だから彼はグラダ族の力を押し測ることが出来る。今、彼の目の前に立っている考古学教授は・・・ブーカ族よりも強い、と彼の本能が告げていた。
 テオは、ジャガーとピューマが牙を見せ合って威嚇し合う姿を想像してしまった。この対決は、ピューマに分が悪い。ここは大学で、ケサダ教授の縄張りだ。大臣の秘書が気張っても不利なだけだ。

「考古学の博士に用があって来たのではありません。」

と、いつもの様に、上部だけは慇懃にシショカは答えた。

「建設大臣の使者として、建築工学部の教授に面会に来たのです。」

 建築工学部はテオにはあまり接点がない場所だった。そこの教授陣も予算会議で顔を見るだけだ。大臣とどんな話をするのか、テオには見当がつかなかった。

「成る程・・・」

とケサダ教授が言った。牙を収めたがまだ飛びかかる体勢のジャガーだ。

「建築工学部は逆方向の学舎です。」

 指摘されて、シショカはハッと後ろを振り返った。本当に方向を間違えて歩いて来たのだろうか。

「ご指摘、感謝致します。」

 と彼は挨拶すると、くるりと体の向きを変え、教授が指差した方向へ歩き去った。
 テオはちょっと呆気に取られた。ケツァル少佐もちょっと笑いたいのを我慢している表情で陰気な男の姿が遠ざかって行くのを見送った。
 テオは既にケサダ教授がいなくなっていることに気がついた。ジャガーはピューマの気配を察知して追い払いに出て来ただけだった様だ。

第11部  紅い水晶     21

  アンドレ・ギャラガ少尉がケツァル少佐からの電話に出たのは、市民病院に到着して患者が院内に運び込まれた直後だった。 「ギャラガです。」 ーーケツァルです。今、どこですか? 「市民病院の救急搬入口です。患者は無事に病院内に入りました。」  すると少佐はそんなことはどうでも良いと言...