2021/06/11

記憶喪失の男 2

  ゴンザレスの警察署に1人の女が訪ねてきた。その時ゴンザレスは、反政府ゲリラの移動を封じる道路封鎖に部下を1人出すよう、州警察から難問を与えられて頭を悩ませていた。エル・ティティはバナナ泥棒退治に追われており、ゲリラどころではないのだった。ゴンザレス署長を含めた4人の警察官の勤務シフト表を前に腕組みをしている彼の前に、若い女性が立った。高価なブランド物のスニーカーを見て、ジーンズパンツを見て、垢抜けたシンプルなデザインのシャツを見たゴンザレスは、時々田舎にやって来る物好きな北米のバックパッカーかと思った。しかし顔を見て驚いた。彼女は白人ではなく、生粋の先住民だった。無表情で、しかし目は鋭い光を放っていた。鼻筋の整った美人だが、ちょっと痩せている・・・

「誰だ?」

 問いかけるゴンザレスの目の前に彼女は小さなカードケースを出して開いた。鮮やかな緑色の鳥が見えた。ゴンザレスは息を呑んだ。彼が瞬きをした直後、彼女はケースを閉じてジーンズの尻ポケットに仕舞い込んだ。彼の目を真っ直ぐに見た。セルバ人のマナーとして他人の目を見ることは失礼に当たる。特に先住民が他人の目をそんな風に見ることは滅多にない。魂を奪われると恐るからだ。しかし彼女はゴンザレスの目を正面から見下ろした。彼が彼女の身分を確認したと自信がある目付きだ。
 まさか・・・とゴンザレスは心の中で呟いた。この女性は”ヴェルデ・シエロ”なのか? 大統領警護隊の隊員がこんな所に来るなんて。まさか隊員に女性がいるなんて。まさかこの俺に会いに来るなんて。

「シータ・ケツァル・ミゲール」

と彼女が名乗った。彼女はゴンザレスの自己紹介を必要としておらず、彼に時間を与えずに己の用件に入った。

「40日前のバス転落事故で生存者がいると聞きました。本当ですか?」

 目を直視されているゴンザレスはこっくりと頷いた。ミカエルを探しに来たのだろうか。あの若者を連れて行ってしまうのか? 彼は不安を感じつつも、嘘をつけなかった。彼女がさらに尋ねた。

「生存者に会いたいのですが、現在何処にいるかご存知ですか。」

 彼女は軍人らしくない丁寧な言葉遣いで彼に尋ねた。

「彼は私の家にいる。行く所がないから・・・」

 ゴンザレスは答えて、彼女の目に失望の色が浮かぶのを見た。彼女が独り言の様に呟いた。

「生存者は男ですか・・・」

 彼女はミカエルを探しに来たのではなかった。ゴンザレスは若者の身元がわかるかも知れないと言う希望が失われたことを残念がるよりも、安堵を覚えた。すると少し女性の訪問目的に興味が湧いた。

「女性をお探しか、セニョリータ?」

 彼女が少しムッとした声で言った。

「セニョリータではなく、少佐です。スィ、私は女性を探しています。」

 彼女は質問した。

「生存者は1人だけですね?」
「スィ、他の37人は全員死んじまってた。」
「即死?」
「多分。 爆発音が聞こえて、町の住民達が山の方を見たら、火が上がっていた。バスが山道を上がって行ったことは皆んな知っていたから、車を動かせる者は殆ど全員ですっ飛んで行った。だが、現場に着く迄に半時間はかかった。着いた頃にはバスは燃え尽きかけていたよ。原型を留めていなかった。車内に残ったモノは人も荷物も全部灰になっていた。ああ・・・骨は多少残っていたかな。外へ投げ出された連中は無惨だった。岩に打ち付けられたり、吹き飛ばされて体が千切れていたり。ミカエルも酷い重傷だった。左脚が折れていたし、全身創痍だった。頭を打って、今もって何も思い出せない。」
「記憶喪失?」

 彼女は少し興味を抱いた。

「本当に何も思い出せないのですか?」
「私はそう言っただろう。ミカエルって名も、便宜上私が付けてやったんだ。」

 彼女が彼から視線を外し、窓の外に目を向けた。外の風景は埃っぽい煉瓦造の壁と乾いた地面と、買い物に行く女性や年寄りが歩いている、セルバ共和国の平凡な田舎町のものだった。彼女は何か考え込んでいた。ゴンザレスは質問される側にいることが不満だったので、彼の方からも尋ねてみた。

「バスに貴女の知り合いでも乗っていたのかね?」

 彼女が彼に視線を戻した。感情を表さない黒い先住民の目で再び彼の目を見た。彼の質問に答えず、再び自分の質問をした。

「死亡者の身元は全員判明したのですか?」
「いや・・・」

 ゴンザレスは少し躊躇った。犠牲者の半分は焼死体で、親が見ても判別出来ない程に痛みが激しかった。焼け残った荷物や車外に放り出された物も彼等の身元確認の手助けにならなかった。行商人や近隣の住民ばかりだったのだ。身元を示す決定的な物証は何もなかった。遺体の引き取り手があったのは、外に投げ出されていた人達10人ばかりで、残りは町の共同墓地に葬られた。引き取り手のない遺品・遺物は警察が保管している。ゴンザレスは少佐に言わなかったが、遺物で金目のものは救援活動の時に、どさくさに紛れて捜索者の誰かが持って帰ってしまっただろう。もしそれが身元確認に役立つ情報だったとしても、持ち帰った者は気にしない筈だ。
 ゴンザレスは机の引き出しからノートを出した。

「バスに乗っていたと思われる人間の名前を書き留めてある。線で消してあるのは、バスに乗らなかったと後日判明した人。赤丸が付けてあるのは、身元が判明して遺族が引き取った人。さて、この中に貴女が探している女性はいるかな?」

 ケツァル少佐はまだ立ったままだった。ゴンザレスは彼女に椅子を勧めるのを忘れていたのだ。しかし彼女は一向に気にせず、ノートを引き寄せ、机の上に置いたまま、片手でページをめくった。ゴンザレスの殴り書きにさっと目を通す。
 バスの乗員乗客は全部で38名。ノートの中の名前はそれより多い63名。線で消されているのは45名。赤丸は11名。残りの7名にも彼女が探している名前はなかったようだ。
 彼女はノートを閉じると、ゴンザレスに押し返した。それからシャツの胸ポケットから一枚の写真を出した。

「屍人の中に、この写真の女性はいませんでしたか?」

 ゴンザレスはシワだらけの写真を眺めた。若い白人の女性で、高そうなスーツを着ている。金髪で意志が強そうなキツい目で正面を向いている。しかし美人とは言い難い。

「皆んな、殆ど灰になってたからなぁ・・・」

 ゴンザレスは写真を少佐に返した。焼死体を思い出したくなかった。

「共同墓地を掘り返して歯型でも調べるかね? 私等は近隣の歯医者に懸かった人しか調べていない。グラダ・シティ(首都)までは調べられないから。どうしても掘り返したいって言うんなら、許可するぞ。」

 それには答えないで、少佐は写真をポケットに仕舞い、こう言った。

「生存者に会わせて下さい。」



1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

ゴンザレスがケツァル少佐に対して使う言葉遣いは、都会の警察官が大統領警護隊に対して使う言葉遣いよりぞんざいだ。 これは田舎警察が普段接したことがない大統領警護隊の扱いに慣れていないことを表している。

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