2021/06/21

風の刃 8

  オクタカス遺跡の西にウルルを4分の1の高さにしたような岩のメサがあった。一応道がつけられており、シオドアは小隊のオフロード車で上迄送ってもらった。シュライプマイヤーも一緒だ。彼は遺跡に残って地面をいじるリオッタ教授の護衛の方が良かったのではないか、とシオドアは内心思ったが、追い払えないので仕方なく同伴した。高い湿度と気温でシュライプマイヤーは汗だくになっていた。軍隊時代はアフガンに派遣されていたと言うから、砂漠の遺跡の方が良かったのだろう。
 メサの頂上付近の平な場所にジープを駐めて岩と同じ色のタープを張った簡単なキャンプがあった。タープの下にデッキチェアを置いて座っている男が、双眼鏡で遺跡を見下ろしていた。迷彩服を着て、傍にアサルトライフルを置いている。少し浅黒い肌、丸みのある顔は黒いゲバラ髭を生やしていた。
 小隊長はシオドアに彼を指差し、一声、「お連れしました」と声をかけた。デッキチェアの男が双眼鏡を下ろし、こちらを見たので、小隊長が敬礼した。男が立ち上がり、敬礼を返した。それで用事は済んだのだろう、小隊長は車に乗り込み、来た道を戻って行った。
 シオドアとシュライプマイヤーは大岩のメサの上に取り残された。相手はシュライプマイヤーほどではないが、セルバ人としては大柄な方だ。そして、シオドアは意外に感じたのだが、この大統領警護隊の男は、メスティーソだった。胸に緑の鳥の徽章を付けているが、明らかに白人の血が入っている顔立ちだ。彼が先に声をかけて来た。

「ドクトル・アルスト?」
「スィ。ステファン中尉?」

 中尉が頷いたので、シオドアはボディガードを振り返った。

「友達のケビン・シュライプマイヤー、ボディガードをしてもらっている。」

 ”友達”と呼ばれて、シュライプマイヤーがピクリと眉を動かした。ステファン中尉はシオドアを無視してシュライプマイヤーを品定めするかの様に眺めた。そして言った。

「リオッタは彼が来るとは言わなかった。」

 よく透る声で、少し非難めいた口調だった。シオドアは、仕方がないじゃないか、と心の中で毒づいた。俺だって護衛を連れて歩きたくないんだ。

「来てしまったのだから、仕方がない。」

 ステファン中尉はデッキチェアに戻った。

「夕方、小隊長が迎えに来る迄ここにいなさい。それが嫌なら、歩いてキャンプへどうぞ。」

 シオドアに言ったのかシュライプマイヤーに向けて言ったのか、判断付けかねた。日陰がタープの下しかなかったので、シオドアとシュライプマイヤーは渋々ながらステファン中尉のそばの岩の上に座った。中尉が双眼鏡を貸してくれたので、それで遺跡発掘の様子を眺めたり、鳥を見た。
 水筒はキャンプから持って来ていたので水分補給が出来たが、暇つぶしは手段がなかった。携帯電話が圏外になっており、ゲームも出来ない。電池を節約しなければならないので、無駄に使えない。

「中尉、喋っても構わないか? 英語だが・・・。」
「ご自由に。」

 素っ気ない許可が出たので、シオドアはシュライプマイヤーにアフガン時代の軍歴を尋ねた。他に話題もない。遺伝子の話をする訳にいかなかったし、ボディガードにも初対面の軍人にもエル・ティティの思い出を語りたくなかった。シュライプマイヤーもあまり過去を詳細に語りたくない様子だったが、他にすることもないので、当たり障りのない戦闘の話や斥候に出た時の話を語った。中央アジアの過酷な派遣経験の話に、若いセルバ軍人が興味を抱くかと期待してデッキチェアを見ると、怪しからぬことにステファン中尉は帽子を顔に載せて寝ていた。
  シュライプマイヤーの話のネタが尽きてしまった。仕方がないので、次はシオドアが今回の大学講師の職を得る為にどれだけ文化・教育省の役人と言葉の戦いをしたかを語った。英語で話しているので、ステファン中尉は理解出来ないかも知れないと思いつつ、セルバ共和国のお役所仕事のスローさを散々愚痴っていたら、帽子の下でクスッと笑う声が聞こえた。
 英語が理解出来るんだ。もしかするとシュライプマイヤーの武勇伝も全部聞いていたのかも知れない。
 暑さと湿気で座っているだけで疲れてきた。そろそろお昼だ、と思う頃にやっとステファン中尉が起き上がった。双眼鏡で遺跡を眺め、デッキチェアから下りた。彼が帽子を被り、サングラスをかけ、アサルトライフルを手に取ったので、シオドアは座ったまま尋ねた。

「何処かへ行くのかい?」

 自然とスペイン語で話していた。中尉が彼を見下ろした。

「仕事です。」

 シオドアも立ち上がったので、シュライプマイヤーも立った。

「パトロールだね?」
「スィ。」

 ステファン中尉はそれ以上余計な話はせずに大岩を下り始めた。シオドアがついて行くと当然ながらシュライプマイヤーもついて来た。
 慣れているのか中尉は野生の獣の様に岩の上をするすると降りて行く。まるで道がついているかの様だ。シオドアは彼が通った道筋をしっかりと辿った。外れると滑落すると本能的に分かっていた。後ろを必死の形相でついて来るシュライプマイヤーは気の毒だったが、手を取って誘導してやる余裕はなかったし、向こうも嫌だろう。曲がりなりにも元軍人だ。
 岩山から降りると、朝小隊長に送ってもらった道に出た。ステファン中尉は近道をした訳だ。そのまま遺跡の入り口まで歩いて行くと、調査隊が昼休みでキャンプへ戻るところだった。マーベリックが中尉に気付いて乗りかけていた車から離れてやって来た。地図を出して、午前中はこの辺りを掘ったと言う報告をした。中尉が頷き、行ってよろしいと合図をしたので、彼は車に戻り、クラクションを鳴らして走り去った。小隊の兵士が5名ばかり残っていた。昼休みの当番なのだろう。
 遺跡の中へ入った。シオドアは昨夕に少しだけ見学したので、目新しいものはないな、と思った。ステファン中尉が新しく掘られた区画へ行き、壁や穴を見て行くのを、シオドアとシュライプマイヤーは見物した。

「何をしているんです?」

 シュライプマイヤーが尋ねたので、シオドアは本当のことを教えてやった。

「調査隊が貴重な遺物を勝手に持ち出したりしていないか、確認しているんだよ。それが彼の仕事だ。」

 シュライプマイヤーは陸軍兵士達を見た。シオドアはそれも説明した。

「向こうの陸軍兵はゲリラを警戒している。彼等は調査隊の護衛だ。」

 体を動かさなかったが、空腹を感じていた。水筒の水の補給もしたい。シオドアは穴を検分しているステファン中尉のそばへ行った。

「俺達も昼休みにしたいんだが・・・」

 中尉が軽々と穴から出て来た。

「調査隊がシエスタから戻って来たら、交替でキャンプに行きます。それまで我慢して下さい。」
「シエスタが終わる迄何時間あると思っているんだ?」

 シオドアが腹を立てかけると、中尉は平気な顔で応えた。

「1時間です。彼等はフランス流に行動しています。セルバ時間で働いているのではありません。セルバ流にシエスタを取れば、日が暮れてしまいます。遺跡を掘れないでしょう。」

 言われてみれば、その通りだった。次の壁を眺めている中尉にシオドアはまた尋ねた。

「君がリオッタ教授を通して俺をここへ呼んだのは、どんな理由だ?」

 すると、中尉はけろりと「知りません」と答えた。

「私は上官の命令で貴方をここへ呼んだだけです。」

「上官って・・・ケツァル少佐かい?」
「スィ。」

 シオドアは文化保護担当部の部屋で、C・ステファンと書かれたネームプレートが置かれた机を見たことを思い出した。あれはこの男の机だったのだ。

「少佐はどんな理由で俺をここへ遣ったのだろう? 俺にグラダ・シティから離れろと彼女は言った。何故だい?」
「知りません。」

 逆に中尉が質問して来た。

「貴方は何方かを怒らせたのですか?」

 シオドアは既知感を覚えた。この中尉との会話はまるでケツァル少佐と話している感じがする。

「俺は誰も怒らせちゃいない。ピラミッドのそばに行っただけだ。警察官に叱られたけどね。」

 初めてステファン中尉が彼をまともに見た。上から下までじっくり眺めてから、成る程、と呟いた。

「何が成る程なんだ?」
「貴方がここに来た理由です。週明けにはグラダ・シティに帰れますよ。それ迄はここで大人しくしていて下さい。」

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

カルロ・ステファン登場!

少佐に似た会話の仕方をする男。何故似ているのか、後に判明するが・・・

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