2021/06/22

風の刃 9

  ステファン中尉の言葉通り、発掘隊は1時間半後に戻ってきた。シオドアとシュライプマイヤーは中尉と一緒に陸軍のトラックの荷台に乗ってベースキャンプへ向かった。昼当番の兵士5人も一緒だったので、運転席と助手席の2人を除いた3人の兵士と合計6人、狭い荷台でガタガタ道を運ばれて行った。兵士達は普段4人だけなのに、アメリカ人が2名増えて迷惑だったことだろう。
 昨晩は暗くなっていたのでわからなかったが、ベースキャンプから最寄りの村が見えた。民家の屋根が20軒ばかり森の向こうに見えていたので、案外人間の生活範囲から近いのだと安心出来た。ジャングルの中の村は農業をしているのだろう、果樹園らしき場所が村の反対側に広がっている様だ。人の生活圏に近いのに、オクタカス遺跡は今迄手付かずだったのだ。
 キャンプの一番大きな建物が集合棟と呼ばれていて、食堂と会議室を兼ねていた。事務所もそこにあり、中に入るなりステファン中尉は事務所の衛星電話を借りて定時報告を行った。シオドアはボディガードとテーブルに着いた。兵士達は小隊のキャンプへ行ってしまったので、彼等だけだった。中尉はどっちへ行くのだろうと思いつつ、シオドアは豆の煮込んだものと硬いパンの食事をもらった。中尉はまだ早口のスペイン語で相手と喋っている。低い声なので不明瞭だが、シオドアがボディガードを連れて来たことに苦情を言っている様にも聞こえた。
 報告を終えた中尉が食事を受け取ってテーブルにやって来た。シオドアは彼が食べ終わるのを辛抱強く待ってから、話しかけた。

「電話の向こうはケツァル少佐かい?」
「他に誰かいますか?」
「訊いてみただけだ。」

 中尉は食べ終わるとタバコを出して、同席者に断りもなく火を点けた。シガーだが、シオドアが今迄嗅いだことがない爽やかな香りが微かに嗅ぎとれた。タバコの箱には銘柄がなく、模様が描かれていた。遺跡の壁に刻まれているような線画だ。

「君はいつからここにいるんだ?」
「今日で38日目です。」
「街に帰りたいだろう?」

 チラッと中尉がシオドアの目を見た。わかりきったことを言うなよ、と言われた様な気がした。少なくとも、シオドアのお守りをする為にここへ派遣されている訳でないと分かって、シオドアはちょっぴり安心した。
 シエスタが終わると、シオドアはシュライプマイヤーにキャンプに残れと言った。シュライプマイヤーが抗議しかけるのを遮った。

「ここには、ステファン中尉も陸軍小隊もいるんだ。アフガニスタンやイラクだったら、君がいてくれた方が安心だろうけど、ジャングルではセルバ人の方が役に立つと思うな。」

 夕方には調査隊と一緒に戻って来るから、とシオドアはボディガードを宥め、再び兵士達とステファン中尉と共にトラックの荷台に乗った。
 兵士の1人が話しかけて来た。

「ドクトル、貴方は考古学者ではないのですか?」
「俺は医学部の講師なんだ。」
「お医者さん?」
「そうじゃない。遺伝子工学だ。人間や植物の細胞を分析して薬を作ったりする。」

 人間の能力開発をしているなんて説明をしてもややこしいだけだろう。それに研究所の真実をシオドアはまだ思い出せなかった。いい加減なことを言って上層部から睨まれたら、セルバ共和国から連れ戻されてしまう。
 兵士がまた尋ねた。

「遺伝子を分析する人が、どうして遺跡に来ているんですか?」
「珍しい植物がないか、探すんだよ。」

 シオドアは誤魔化した。

「今朝はメサの上にいたけど、岩場の植物は薬になりそうになかった。午後は遺跡の中で探そうかな。」

 ステファン中尉が駄目だと言わなかったので、結局彼はその日の夕方迄発掘現場の近辺で植物を適当に採取して回った。中尉が護衛も兼ねているのか目の届く範囲にいて、彼の方は発掘作業員の手元を見張っていた。出土物が1箇所に集められ、学生が丁寧に刷毛で土を落としたり、洗ったりしている。そこそこ原型を留めた壺などもあったので、あれは持ち出して良いのかとシオドアは中尉に尋ねた。

「あれは地面に埋まっていた物です。土の上にある物は国外に持ち出さない限りは、大学や博物館で研究したり展示して構いません。」
「壁画や神像を遺跡から持ち去るのは駄目ってことか?」
「壁から剥がしたり、祭壇に置かれている物を動かすことは禁止です。」
「もし、あの壺が祭壇に置かれていた物だったら?」
「どう言う意味です?」
「あの壺は本来祭壇に置かれていた物だったが、誰かが動かして、落っことして土に埋まっていたとしたら・・・」

 シオドアの意地悪な質問に、ステファン中尉は素っ気なく答えた。

「一旦土に触れてしまった物は、只の壺です。」
「国内の何処へ持って行っても良いの?」
「貴方は何処へ持って行きたいのですか?」

 ”反撃”されて、シオドアは返答に困った。

「例えば、骨董品屋とか・・・」

 中尉が黙っているので、彼は思いついた名前を口に出した。

「ロザナ・ロハスとか・・・」

 中尉が笑った。

「あの女は、高く売れる物しか買い取りませんよ。」

 そして忠告をくれた。

「もしあの女とお知り合いでしたら、さっさと別れることです。どんな関係であれ、付き合っても碌なことにならないでしょう。」



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