2021/06/21

風の刃 6

  シオドアは午後大学に戻り、充てがわれた医学部の研究室にいた。カフェから持ち帰ったクシャクシャの紙ナプキンを広げ、ケツァル少佐が唇を拭った箇所の紙を切り取り、溶媒に浸した。唾液からD N Aを検出するのだ。紙ナプキンをポケットに入れる時にウェイターが気味が悪そうに見ていたが、カップを持ち帰る訳にいかないので、己では気にしないことにした。何故少佐のD N Aを分析したくなったのか、自分でもわからない。好きな女性のことをもっと知りたいのかも知れない。オルガ・グランデの鉱山で働いている被験者の遺伝子マップは持ち出せなかったが、少佐の遺伝子を分析出来れば、その遺伝子マップを本国へメールで送って助手に見て貰えば良い。ダブスンに横取りされる恐れがあるが、誰のものか言わなければ良いのだ。
 作業に夢中になっていると、電話が掛かってきた。考古学のリオッタ教授だった。

ーー大統領警護隊の担当者に会えましたか?

 文化保護担当部の場所を教えてくれた人だ。シオドアは礼をまだ言っていないことに気がついた。

「会えました。女性の少佐に・・・」

 するとリオッタ教授が「ワオ!」と声を上げた。

ーーケツァル少佐に会えたんですか! ブラビッシモ!(素晴らしい) 彼女はとても忙しい人で、なかなか出会えないんですよ!
「そうなんですか。私はすぐに会えました。」

 ランチまで一緒に食べたと言う必要はないだろう。

「場所を教えてくれて有り難う。」

 シオドアは溶媒の中の紙ナプキンが気になった。そろそろ引き上げなくては。リオッタ教授はシオドアが電話を切るタイミングを図っているとも知らずに喋り続けた。

ーーなんの、なんの、貴方に喜んでいただけて、私も幸せです。ところで、今週末は何かご予定はおありかな?
「え? 今週末ですか・・・」
 
 ケツァル少佐が何か言っていたな。週末に出かけろとか何とか・・・。

ーーステファン中尉から電話がありましてね、貴方にオクタカス遺跡の発掘に同行願えないかと言うんです。素晴らしいじゃないですか、オクタカス遺跡ですよ!
「あの・・・」
ーーフランスの調査隊が発掘しているんですが、色々未知の神像とか彫刻が出てきて、凄い所だそうです。ずっと見学したかったのですが、ご存知の通り、この国は最初に申請した書類に書かれたメンバーしか遺跡に立ち入れないんですよ。でも貴方が行かれるのでしたら、私も同伴して良いと言うことなんです。
「でも・・・」
ーー交通の手配もしてくれるそうです。行きましょう、アルスト先生!

 リオッタ教授の勢いに押されて、シオドアは仕方なく承知した。電話を終えて考えた。ステファン中尉って誰だ? そして溶媒の中の紙ナプキンを思い出した。慌てて引き上げて、紙と溶液を別々の分析器にかけた。
 

0 件のコメント:

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...