2021/06/30

アダの森 8

  今度はケツァル少佐が先頭に立った。3人のゲリラが歩いた後を追跡して行く。アサルトライフルは何時でも撃てる様に腰だめの状態だ。シオドアは最後尾にいた。ついて行くのがやっとだ。大統領警護隊の2人は殆ど駆け足だったが彼を置き去りにすることはなかった。シオドアの足音が少しでも遠ざかると歩調を落とし、追いつくのを待ってくれた。
 つとステファン中尉が足を止めた。ケツァル少佐も立ち止まって振り返った。中尉が言った。

「敵が近いです。私が一緒だと全員が見つかってしまいます。向こう側へ廻って囮になりますから、その間にロホを救出して下さい。」

 シオドアは彼の言葉の半分が理解出来なかった。何故中尉が一緒だと敵に見つかるんだ? しかし少佐は素直に部下の申し出を受け入れた。

「了解です。”入り口”で落ち合いましょう。」

 中尉がリュックを下ろし、シオドアに差し出した。シオドアがそれを受け取り背負ったところに、今度は拳銃を渡された。

「撃てますね?」

と訊かれた。シオドアは自信がなかったが、頷いた。遊びで射撃場に行ったことはある。記憶喪失になる前だったが、そんな気がした。拳銃をベルトに差すと、ずっしりと重たかった。リュックより重たい。

「躊躇わずに撃ちなさい。」

と中尉がアドバイスをくれた。

「連中は”砂の民”と同じで危険です。向こうは躊躇わずに撃ってきます。」

 少佐が囁いた。

「一緒に闘い一緒に帰る。」Peleemos juntos,  Vamos a ir juntos a casa. 

 中尉も同じ言葉を繰り返した。2人がこちらを見たので、シオドアも真似た。

「一緒に闘い一緒に帰る。」

  ステファン中尉は少佐とシオドアに敬礼すると、夕暮れが迫るジャングルの中に素早く消え去った。
 シオドアが中尉が去った方角を見ていると、少佐が歩き出した。彼は慌てて追いかけた。用心深く足元を確認しながら進んだ。森の中はすっかり暗くなった。空気が湿っていて重たい。雨季だが今年は雨が少ないとエル・ティティの住人達が空を心配していた。豪雨になったのはシオドアが田舎町に逃げてから最初の半月だけで、後は曇ったままで、たまに思い出したように降るだけだった。
 一度何気なく倒木を跨ぎ越える際に、危うく蛇を踏みつけるところだった。少佐!と彼が声を出さずに叫ぶと、ケツァル少佐が軍用ナイフで蛇の頭を刎ねた。ナイフを草で拭いて、彼女はちょっと言い訳っぽく言った。

「カルロがいればこんな苦労はしなくて済むのです。」

 ステファン中尉がなんだって? 
 暗闇でも目が見えるのはロホだけではないと言うことが証明された。少佐は昼間と同じスピードで歩いて行く。夜行性の昆虫の鳴き声が煩く、樹木の上で何かが動き、声を立てた。
 シオドアはその音や声が先刻までしなかったことに気がついた。今朝少佐達と合流してから、ずっと静かだったのだ。小さな生き物達が彼の周辺で動き出したのは、何時からだ? 
 木が燃える臭いがして来た。タバコの臭いもする。人の気配だ。少佐が立ち止まり、シオドアに姿勢を低く、と手で合図した。彼女も中腰で数メートル進んだ。
 キャンプがあった。シオドアが脱出した同じ場所とは思えなかった。テントは2つだけだ。その間に焚き火が作られている。夜間航空機を飛ばさないセルバ共和国だから、火を焚いても空から発見されないとたかを括っているのだ。
 焚き火のそばに杭が打たれ、そこに1人の男が縛り付けられ、地面に座り込んでいた。迷彩服の左肩の色が黒くなっている。血だ、とシオドアは察した。男は顔を俯けていたが、ロホに違いない。
 
 焚き火のそばに3人の男がいた。折り畳みの椅子に座って、鍋で煮込んだ肉を食べている。1人は向こうの方で立ち番をしている様だ。テントの一つからカンパロが出てきた。

「明日の夜明けにここを発つ。」

 彼の宣言に仲間達が顔を上げてボスを見た。

「明日の夜明け?」
「あの白人は探さないのか?」
「あいつはどうでも良い。」

  カンパロがロホの前で屈み込んだ。捕虜の顎を手で掴んで顔を自分の方へ向けさせた。

「思いがけない獲物が獲れた。こいつは高く売れる。」

 手下達からブーイングが聞こえた。

「インディヘナの男なんか買うヤツがいるもんか!」
「大統領警護隊が身代金を払うとは思えねぇな。」
「第一、へフェ、あんたがそいつを刺して弱らせちまった。明日になれば死んじまうぜ。」
「死ぬものか。」

 カンパロが手を離したので、ロホはまたぐったりと頭を垂れた。

「またジャガーに化けるとヤバいから、弱らせる為に刺したんだ。こいつ等は簡単には死なない。しぶとく生き延びてきた連中だからな。」

 シオドアは少佐を見た。彼女は目を閉じていた。ここで感情を昂らせまいと気を鎮めている様に思えた。カンパロはロホが再びジャガーに変身するのを恐れて刺したと言った。刺された時、ロホは既に縛られていた筈だ。無抵抗な人間を刺すカンパロの残虐性をシオドアは思い知らされた。自分が無事だったのが不思議なくらいだ。ロホは刺された時に心の中でケツァル少佐に助けを求めたに違いない。彼女はそれを確かに受信した。
 どうやってロホを助けようか? シオドアは”心話”を使えない己が歯痒かった。少佐と相談が出来ない。その時だった。
 キャンプの向こう端で見張りに当たっていた男が声を上げた。

「何かいるぞ!」

 ゲリラ達が一斉に手近の武器を手に取った。見張りがジャングルを指差した。

「虫の声が止んだ。」

 ガサガサと茂みが音を立てて、黒い影が走り去った。見張りが発砲しながらそちらへ走った。焚き火のそばにいた1人が火の付いた棒を掴んだ。

「アメリカ人だ。捕まえろ!」



1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

カルロ・ステファンの「不思議」とロホの苦痛を想像する。

第11部  紅い水晶     18

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