2021/06/30

アダの森 6

 斜面を登るケツァル少佐の足取りが重たかったので、シオドアは足を止めて彼女を待った。

「幽霊が見えているのかい?」
「明瞭に見えている訳ではありません。白い人影があちらこちらに浮かんでいるのです。」

 シオドアは周囲を見回した。霧が漂っているだけだ。まさかこの霧が幽霊と言う訳でもあるまい。

「俺には霧にしか見えない。だけど、昨夜は声を聞いた。」

 先を登っていたステファン中尉がチラッと振り返り、また前を向いた。シオドアは昨夜耳にした不思議な声の説明をした。

「楽しそうな感じだった。きっと誰かを呪ったり恨んだりはしていないよ。生きていて楽しかった日々を思い出して語り合っていたに違いない。」

 少佐が彼の横に並んだ。しげしげと彼を眺めた。

「貴方は本当に不思議な人ですね、ドクトル。私達は亡者を見たり感じたりしますが、声は聞こえないのです。貴方に彼等の言葉が理解出来たら、簡単に済む物事もあるでしょうね。」

 幽霊の声が理解出来たら皆んなで祓い屋でもするかな、とシオドアは冗談を言った。大統領警護隊は多分、そう言う能力を持つ人々なのだ。しかし職業にはしていない。”ヴェルデ・ティエラ”の拝み屋はいても”ヴェルデ・シエロ”の祈祷師はいないのだ。正体を隠しているから。

「今朝、俺が目を覚ましたのは、空気がビリリと振動したからなんだ。あれも幽霊の仕業かい?」

 するとステファン中尉が足を止めて振り返った。少佐がまたシオドアをじっくりと見つめた。

「あれを感じたのですか?」
「スィ。君達も感じたのかい?」

 すると彼女が、

「あれは私です。」

と言った。

「ロホを心の力で呼んだのです。でも彼は応えてくれません。」

 シオドアは彼女が死者の村へ行きたがらない理由を突然悟った。彼女はもしロホが亡者の群れの中にいたらと不安なのだ。彼は彼女を励まそうと言った。

「ロホは本当に疲れているんだよ。変身後は2日程寝込むと言っていたから、今頃何処か安全な場所で休んでいるに違いない。」
「早く安全な場所で休憩しましょう。」

とステファン中尉が少し苛っとして言った。それで3人は再び歩き始め、シオドアが隠れていた小屋に辿り着いた。中の安全を確認して、中尉はシオドアと少佐を中に入れ、彼自身は外の草の中に座った。見張りながらの休憩だ。彼が背負っていたリュックを少佐が受け取り、中から携行食を出してシオドアに食べさせてくれた。シオドアは母国の軍事食糧を試食したことがあるが、セルバ共和国の物は超シンプルだと思った。ロホにもらった干し肉もそうだったが、少佐とステファン中尉が持って来たのはパサパサに乾燥させたジャガイモと硬いチーズだけだった。もっとも彼等は短期の活動を想定しているのであって、長期戦をするつもりはないのだ。真空パックに入ったオレンジジュースが一番美味しかった。

「ディエゴ・カンパロと言う男なのだが・・・」

とシオドアはお腹が落ち着くと、誘拐されている間に得られた情報を出した。

「アメリカ政府がCIAを使って俺を探していると言っていた。普通のセルバ人がそんなことをどうやって知る? 口から出まかせなのか、それとも彼に情報を流している人間が政府関係者の中にいるってことだ。そう思わないか?」
「お金で繋がっている政治家とゲリラは珍しくありません。」

 少佐が溜息をついた。

「セルバ人は天使ではないし、聖人でもありません。私達の一族にもお金を稼ぐのに夢中で優しい心を忘れた人は大勢います。」
「そりゃ、人間だもの、欲はあるさ。だけど、俺が北米政府のお尋ね者で、エル・ティティに隠れているってカンパロに教えたヤツがいるらしいんだ。」
「私のチームにとってカンパロと”赤い森”は天敵です。遺跡発掘調査団を狙う不埒な連中ですから、繋がりを持つことはありません。」
「わかってる。多分、俺はグラダ・シティから脱出する時に誰かに見られたんだ。大学関係者に知り合いが多かったからね。友達じゃなくても、北から来た講師って言うので注目を集めたことは確かだ。その目撃者がアメリカ大使館の動きを知っていて、カンパロと繋がりを持っている。」

 シオドアは食べた後のゴミを小さくまとめた。遺跡に残さないように、袋に入れてリュックに仕舞った。

「出かけるかい? ”赤い森”がキャンプを移動させていなければ、俺も何となく位置がわかる。逃げたのが夜中だったから、方角にちょっと自信がないけど。」

 しかし少佐はもう少し休みましょう、と言った。

「闇雲にジャングルの中を歩いても消耗するだけです。午後迄休憩です。」
「ロホと何処かで行き違いになった可能性もあるしね。」



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