夕食はシュライプマイヤーと一緒に食べた。長い付き合いだが、守られる人と守る人が向かい合って食事をすることはない。その夜、シオドアはステーキ用の肉を買って、一緒に食べようとボディガードを誘った。
「今夜は出かけないし、明日は昼前に出勤だ。君もたまにはゆっくり飯を食ってテレビを見て寝れば良いよ。」
ビールも買ってあった。彼は自分でキッチンに立って肉を焼き、付け合わせのポテトを冷凍庫から出して温めた。シュライプマイヤーは黙って彼が忙しく働くのを見ていた。シオドアは彼の好みの焼き具合を知っていたので、ミディアムに焼き上げ、塩胡椒で味付けして皿に載せた。ポテトに塩をふりかけ、2人はテーブルに向かい合わせに座った。
「エル・ティティでさ・・・」
とシオドアは肉を切りながら話し始めた。
「俺は警察官の家で世話になっていたんだ。警察署長の家だから、ちょっとは大きい家なんだ。そこに署長は1人で住んでいる。彼の妻子は伝染病に罹って亡くなっていてね、彼はひとりぼっちなんだ。だからバス事故で記憶を失った俺を引き取って、息子の様に大事に世話をしてくれた。俺も楽しかったんだ。自分が誰なのかわからない不安はあったけど、署長の家で暮らしていた時が、俺にとって最高に幸せな日々だった。
だから俺は、もう一度あの町へ帰りたいんだ。ここにいても何も面白いことも楽しいこともない。俺を愛してくれる人も俺が愛する人もいないんだ。」
シュライプマイヤーが溜め息をついた。
「貴方が母国を捨てて外国へ移住したいと仰っても、私は意見する資格はないし、権利もありません。しかし、これだけは言わせて下さい。セルバ共和国は貴方が思っている様な楽園ではありません。あの国には不可解なことが多過ぎます。」
その不可解なことの正体がわかっているシオドアは、ボディガードの不安を取り除いてやれないことを残念に思った。事実を伝えたところで、シュライプマイヤーの心は安心出来ない筈だ。シオドアの身を案ずるのは勿論のこと、彼自身の安全も脅かされると思うだけだろう。
「不可解なことが多くても、俺は行きたいんだよ。」
するとシュライプマイヤーはシオドアが忘れかけていたことを持ち出してきた。
「一緒に遺跡発掘現場へ行ったイタリア人の考古学者が亡くなったことはご存知ですか?」
「うん。階段から落ちたんだ。」
「彼は必要以上に”消えた村”にこだわっていました。セルバ共和国では住民の過去に関して外国人が興味を抱くのは良くないと、私は聞かされました。あのイタリア人は誰かを怒らせたのです。」
「リオッタ教授が殺害されたと思うのか?」
それの真実を知っているシオドアは、ボディガードがあの事件を早く忘れてしまえば良いのにと願った。覚えているから苦しいのだ。恐ろしいのだ。忘れてしまえば、”ヴェルデ・シエロ”は何もしない。
「考え過ぎだよ、ケビン。セルバ人と同じ様に、悲しい出来事はさっさと忘れて仕舞えば良いんだ。」
するとシュライプマイヤーはシオドアが触れて欲しくないことを言った。
「今日のお昼に、公園で貴方が話をしていた男は、セルバ人でしたね?」
「え?」
「顔をはっきり見た訳ではありません。服装も冬服で厚着をしていたので体型もわかりませんが、歩き方は軍人に見えました。遺跡発掘現場で貴方の護衛をした大統領警護隊の中尉でなかったですか?」
「違うよ。」
シオドアは否定したが、中尉ではなく今は大尉だと訂正もしなかった。
「ベンチに座っても良いかと声を掛けたら、向こうがスペイン語を喋ったので、懐かしくなってちょっと世間話をしたんだ。プエルトリコ人だと言っていた。」
シュライプマイヤーはシオドアをじっと見つめていたが、シオドアも頑張って見返した。先に目を逸らしたのはボディガードだった。
「私は明日研究所に辞表を出します。」
と彼は言った。シオドアは黙っていた。驚かなかった。シュライプマイヤーはシオドアの我が儘にずっと我慢を強いられてきた。そしてセルバ人の不可解な能力を見せつけられ、仕事に失敗した。挙句に精神カウンセリングまで受けさせられているのだ。今まで辞めなかった方が不思議なくらいだ。
「辞めて次の仕事の宛てはあるのかい?」
「田舎に帰って兄弟の会社を手伝います。共同経営者ではなく一従業員としてね。その方が気楽だし、護身術教室でも副業でやってみますよ。」
「君なら、きっと面倒見の良い先生になれるさ。」
シュライプマイヤーはビールをごクリと飲んで、またシオドアを見た。
「正直なところ、私も研究所に雇われて貴方を見張っているのは嫌でした。護衛するだけでなく、貴方の行動を逐一報告させられました。連中は貴方やオズボーン博士やゲイル博士を人間ではなく実験動物の様に考えています。」
「知ってる。生まれた時からずっとそうだった。」
シオドアは自嘲した。
「連中は俺達を優秀な頭脳を持つ人間を開発する目的で作った。だから俺達の優秀な頭脳は幼いながらも連中の意図がわかっていたんだ。子供の頃はそれに何の疑いも持たなかった。大人になって、外の世界を知って、今までずっと間違った世界に住んでいたことに気がついたんだ。」
彼はシュライプマイヤーにビールの新しい瓶を渡した。
「君が職業柄口が固いことを承知の上で言うよ。研究所で見たり聞いたりした話は絶対に故郷で喋るなよ。連中はセルバ人じゃないが、君をリオッタみたいな目に遭わせることだって考えられ得るから。」
するとシュライプマイヤーが初めて表情を和らげた。
「ハースト博士、貴方は事故に遭ってから、本当に良い人になられた。」
1 件のコメント:
ケビン・シュライプマイヤーとはこれでお別れ・・・
コメントを投稿