基地からの帰路、シオドアはメルカトル博物館近くの公園で車から降りた。彼を途中下車させることにシュライプマイヤーは迷ったが、シオドアは公園を散歩して歩いて帰ると言い張った。
「今日一日休みをもらったんだ。のんびりさせてくれよ。」
ボディガードに帰宅して夜まで自由にしていろ、と言った。そして返答を待たずにコートのポケットに手を突っ込んで晩秋と言うより初冬の気配が濃い湖畔の細長い公園を歩き出した。平日のお昼で、あまり人は多くなかった。散歩をしたりジョギングをしているのは時間を気にしない年配者達だ。若い人は夜の仕事へ行く前の運動だろうか。小さい湖は泳いで横断できるので夏場はビーチが賑わうのだが、流石にこの季節の水辺は閑散としていた。
空腹を覚えたシオドアはホットドッグスタンドを見つけてホットドッグとコーヒーを買った。両手が塞がってしまい、何処かで座って食べようと周囲を見回すと、水際に近い所にベンチがあった。男が1人、右端に座ってコーヒーを飲んでいた。シオドアは左側へ行って、相手をよく見ないで声を掛けた。
「こちら側に座って良いですか?」
すると、男が湖を見ながら答えた。
「どうぞ。」
スペイン語だったので、シオドアは思わず相手の顔を振り返り、もう少しでコーヒーとホットドッグを落としそうになった。
「前を向いて。」
と男が囁いた。シオドアは英語で有り難うと言って、前を向いた。公園内には所々防犯用のC C T Vが設置されていた。彼は湖を見ながら、ゆっくりとホットドッグを齧った。自然に頭がスペイン語に切り替わった。
「とっくに帰国したと思っていた。」
「一度帰りました。今は別件で任務に就いています。」
シオドアは間違いであって欲しいと思いつつ、予想していたことを尋ねた。
「”コンドル”は君かい?」
相手は否定しない代わりにこう言った。
「そんな名前を名乗った覚えはありません。」
やはり美術品泥棒は大統領警護隊のステファン大尉だったのだ。
「3件の訴訟対象を処分するのに、ダミーを12件も盗むなんて無謀じゃないか?」
「ダミーはいずれ警察が見つけるようにしてあります。」
「セルバのものだけ足りなければ、怪しまれるぞ。」
「ダミーのうち、本当に博物館に置く値打ちのないものは捨てました。偽物を本物として展示して金を取るのは詐欺ですよ。警察は捨てられたと知らずに、売り捌かれたと思うでしょう。」
シオドアはなんと評価して良いのかわからなかった。
「いつまで続けるんだ?」
「あと1件で終わりにします。」
シオドアは思わずメルカトル博物館がある方向を向きそうになって、自重した。
「悪いことは言わない、今止めて帰れよ。」
「・・・」
「君1人かい?」
「部下が1人います。飛行機の中で見たでしょう?」
「スィ、彼も君の一族かい?」
「彼は”ヴェルデ・ティエラ”です。だが特殊部隊の人員で、私とは別の上官の指示で私と行動を共にしています。」
「特殊部隊でも盗難品の処理に当たるんだ。」
「実を言うと、私達も初めての経験で戸惑いました。特殊部隊の方から外国での任務だからと申し出があったのです。」
「少佐は承知したのか?」
「特殊部隊の隊長から警護隊の司令に強い要請があったそうです。特殊部隊の隊長は一族の人間で、古い家柄です。司令も少佐も反対出来る立場ではありません。」
もしかすると泥棒行為もその古い家柄の軍人からの提案かも知れない、とシオドアは思ったが、あまり複雑な話し合いが出来る場所ではなかった。
彼はホットドッグを食べてしまい、温くなったコーヒーを啜った。
「俺はコンピューターウィルスを作って、研究所の全てのコンピューターからセルバに関するデータを全部消してやったよ。お陰で研究所も基地も追い出されて、今は外で暮らしている。コンビニの店員をしているんだ。食い物に困ったら、援助するよ。」
ステファン大尉が微かに笑った。それは頼もしい、と彼は呟いた。
大尉のポケットで携帯が鳴った。大尉は画面をチラリと見た。
「カメル軍曹が呼んでいるので行きます。」
互いの顔をまともに見ることもなく、ステファン大尉は立ち上がり、空になったコーヒーカップをゴミ入れに突っ込んで去って行った。シオドアは湖を見ながら、彼の無事を祈るしかなかった。
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