2021/07/18

聖夜 6

  グラダ族についてもっと詳細を聞きたかったが、書斎のドアをノックする者がいた。

「パパ?」

 少佐の声が呼んだ。ミゲール大使はシオドアに微笑で「終わり」と告げて、ドアに向かって言った。

「お入り。」

 ケツァル少佐が入ってきた。ふわりとした白いセーターとジーンズのラフな姿だった。シオドアを無視して真っ直ぐ大使の前へ行き、おはようと挨拶のキスをした。それからシオドアに向き直り、おはようございますと挨拶した。男達に何の話をしていたのかと訊いたりしない。彼女は大使の前で真っ直ぐ立った。

「昨夜航空券の手配をしたので、今日の昼過ぎの便でグラダ・シティに帰ります。」
「もう少しゆっくりしていけとも言えないのだろうね。」

と父親が寂しそうに言った。少佐は肩をすくめた。

「直にクリスマスでしょう。ママの帰国に合わせて私も休暇を取ります。」

 飽くまで”少佐流”で話す少佐。クリスマスか、とシオドアは呟いた。

「俺もゴンザレス署長と一緒に過ごせるかな・・・」
「無理でしょう。」

と少佐が遠慮なく言った。

「亡命者は最低でも一年はグラダ・シティの所定の場所から移動出来ません。警察署長をエル・ティティからグラダ・シティに呼ぶとよろしい。」

 それは良いアイデアに聞こえる。しかし・・・

「来てくれるかなぁ・・・都会は苦手だと言っていたし・・・」
「休暇の間だけでも来てもらうことです。さもないと一年会えませんよ。」

 それから少佐は大使に向き直った。

「本題に戻ります。」
「本題?」
「私はパスポートを持たずにアメリカに入国しました。出国に必要ですので、再発行願います。」

 ミゲール大使が笑い出した。シオドアも苦笑するしかなかった。アリアナにパスポートを持って来いと言った本人が、本国に自分のパスポートを忘れて来ていたのだ。

「”通路”にパスポートは必要ないもんな、少佐。」
「カルロ一人だけを連れて帰るつもりだったのです。2人だけなら、あの”通路”でセルバまで帰れました。」
「俺達がお荷物だったんだな?」
「貴方が私を迎えに来ずに、カルロを連れて来てくれていれば、あの騒動はなかったし、早くことが済んだ筈です。」
「俺の判断ミスが原因なのか?」
「違いますか?」
「お止し、シータ。」

 大使に割り込まれて、少佐は黙った。大使は業務時間になればパスポートの再発行手続きをすると言って、彼女を宥めた。

「朝ご飯だから、カルロとオズボーン博士を起こしてあげなさい。」

 少佐が書斎から出ていった。ドアが閉まると、また大使が笑い出した。

「申し訳ない。失敗を指摘されて、彼女はバツが悪かったのです。貴方に八つ当たりさせてしまった。」
「俺の判断ミスがあったのは事実です。」
「過ぎたことです。それに貴方は移住したかったセルバへ行くチャンスを掴めたではありませんか。」
「そう仰っていただけると有り難いです。」
「では、朝食としましょう。私は着替えてきます。先に食堂へ行って始めて下さい。」

 シオドアは礼を言って、書斎から食堂へ行った。女性達はまだ来ていなかったが、ステファン大尉が昨夜選んだ服とは別の暖かそうなセーターとジーンズ姿で窓のそばに立っていた。多分少佐に見繕ってもらったのだ。髭もパスポートの写真に合わせて再び綺麗に剃っていた。朝の挨拶を交わし、シオドアも窓の前に立った。外は明るくなり、庭が雪で真っ白になっているのが見えた。

「雪ですね。」

と大尉がちょっぴり嬉しそうな響きを声に滲ませた。南国生まれなので、初めて本物を見た様だ。これで喜ぶなんて、可愛いじゃないか、とシオドアは思った。

「この程度じゃ日が昇ったらすぐに融けてしまうよ。航空機には影響がないから、君は今日中に帰国出来る筈だ。」

 大尉が少し恥ずかしそうに目線を下へ向けた。

「すっかりお世話になってしまいました。有り難うございます。」
「俺は何も出来なかった。君を助けたのはアリアナと少佐だ。」
「貴方は研究所で私を守り続けてくれました。特にあの変な男から・・・」
「エルネストのことは早く忘れてしまえ。俺もアリアナも彼のことは早く忘れたいんだ。」

 シオドアはエルネスト・ゲイルは今何をしているだろうと思った。破壊されたデータの復旧に取り組んでいるのだろうか。ワイズマン所長はどうなったのか。少佐に心を操られデータを破壊してしまったあの男は、無事では済むまい。そしてホープ将軍は、1時間足を動かさず声を出さずに立っていられただろうか。
 アリアナが入って来た。シンプルなワンピース姿だ。彼女に続いてケツァル少佐も入って来た。ステファン大尉がアリアナに朝の挨拶をするのを横目で見て、シオドアの向かいに座った。最後にミゲール大使が服装を整えて現れた。客がいなければ、業務開始直前までラフな格好でいられたのだろう。
 朝ご飯はセルバ風に ガジョピント(豆ご飯)、卵料理、サルサ(野菜サラダ)果物だった。シオドアとステファン大尉にとっては久しぶりのセルバ料理だったので、喜んで食べた。アリアナはちょっと用心深く一口目を食べたが、好みの味だったのか、すぐにスプーンをせっせと動かした。
 大使が、食べながらで良いから、とその後の予定を話した。シオドアとアリアナはこのまま大使の私邸に留まる。大使は本国に2人から亡命申請が出されたことを伝える。恐らく本国から移民手続きの指示が来るので、2人は面接を受けることになる。それから本国が亡命許可を出す迄大使館に留め置かれる。許可が出れば、その日の内に空港へ移動し、航空機でセルバ共和国へ向かう。大使が関われるのはそこ迄だ。その後のことは、本国から来る面接官から説明があるだろう。
 どのくらいの日数がかかるのか、大使にも見当がつかない。なにしろセルバ流に物事が動くのだ。

「ただ、クリスマス休暇に入る前に仕事を終えたい役人が多いですから、早めに進む筈です。先延ばしはしません。アメリカ政府がドクトル達を取り返しに来ると困りますからね。そこのところは、暢んびり屋のセルバ人も理解しています。」

 アリアナがステファン大尉にではなくケツァル少佐に尋ねた。

「あなた方は今日帰ってしまわれるのですか?」
「スィ。」

と答えてから、少佐は大使をチラリと見て言った。

「私のパスポートの再発行の問題がありますから、私は帰国が遅れる可能性があります。大尉は今日中に帰します。」

 大使が肩をすくめた。アリアナが怪訝な顔をしたので、シオドアが教えた。

「少佐は空間の”通路”を通って来たので、パスポートを持って来ていなかったんだ。」

 アリアナが素朴に尋ねた。

「その”通路”で帰れないのですか?」
「この近所に”入り口”がないのです。」
「昨夜私達が出てきた・・・その・・・空中の”穴”は?」
「あれは”出口”専用です。」
「それに、今朝はもう塞がっている筈です。」

とステファン大尉が言ったので、少佐が彼を見た。

「昨夜は”出口”の位置が高過ぎました。」
「あの部屋の様子をはっきり記憶していなかったからです。」
「ここへ来たのは昨夜で2度目だ。部屋を間違えずに”着地”したのだから、上等じゃないか。」

と大使が大尉に助け舟を出した。少佐が「チェッ」と言う表情をした。シオドアはクスッと笑ってしまい、しまったと後悔した。少佐の攻撃の矛先がこっちへ来る。今朝は一番に彼女の機嫌を損ねてしまったのだ。彼は慌ててコックに卵料理の追加を依頼した。



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