2021/07/18

聖夜 7

  ミゲール・セルバ共和国特命全権大使は大使館業務が始まると、公使、参事官、武官、書記官、理事官を執務室に集め、1日の業務の打ち合わせを行った。そしてシオドア・ハーストとアリアナ・オズボーンを紹介して、2人の亡命申請を告げた。アメリカからセルバへの亡命申請は初めてのことなので、外交官達に戸惑いの表情が浮かんだのは無理もないことだった。
 シオドアは外交官達の顔ぶれをそれとなく観察した。純血種のセルバ人である武官は間違いなく”ヴェルデ・シエロ”だ。残りの外交官達はメスティーソだが、完全な”ヴェルデ・ティエラ”である筈がない、と彼は思った。その証拠に公使と参事官は、例の麻酔作用を含むタバコの匂いを微かに漂わせていた。書記官も理事官も時々大使と目を合わせる。それぞれが質疑応答を”心話”で行っているのだ。”心話”は嘘をつけない。そして大量の情報を1秒足らずでやり取り出来る。共有情報確認が目と目で一瞬にして行われていた。ほんの数分でセルバ共和国大使館の外交官達はシオドアとアリアナが置かれている立場を理解した。
 リギア・フナイと言う名の女性理事官がシオドアとアリアナを大使館の中の部屋に案内した。応接室の様な場所でソファとテーブルと飾り棚、テレビが置かれていた。

「本国から連絡がある迄、こちらで待機していただくことになります。お手洗い以外は部屋から出ないようお願いします。お昼のお食事は出しますが、飲み物は内線09で頼んで下さい。」

 真面目な顔をして流暢な英語で話した理事官は、そこで声を小さくした。

「もし夜になっても本国がぐずぐずしている様でしたら、大使私邸へお戻りになって結構です。あちらの方が快適ですから。」

 そしてウィンクして出て行った。
 待機は退屈だった。せめて大使館の業務を見学出来れば面白いのだが、訪問客と顔を合わせる訳にいかないので、2人でテレビで映画を見て午前中を過ごした。お昼ご飯はスパイシーなトマトソースのスパゲッティで、アリアナが食べ物だけならいつでもセルバに引っ越しても大丈夫だと冗談を言った。

「昨夜のお魚のソースも、大使と同じ辛いソースでも良かったと思うの。少佐が気を利かせて甘口に替えてくれたけど・・・」
「そうかい? あの辛いソースはもしかするとハバネロかも知れないぞ。」
「ハバネロは肉料理に合うのよ。魚にはあまり使わないわ。」

 無駄口を叩くのは、恐らくステファン大尉が帰国してしまう寂しさを紛らわせているのだろう、とシオドアは思った。大尉は朝食の後、シオドアとアリアナに別れの挨拶をさらりと告げて少佐と共に大使の書斎に去ってしまい、それきり姿を見せなかった。アリアナの為に、彼等は書斎で何をしているのかとシオドアが尋ねたら、大使は大統領警護隊本部へ提出する報告書を作成中だと答えた。
 そして、シオドアだけに聞こえる声で大使は囁いた。

「カルロに暗殺者から身を守る教授もしている筈です。」

 母国に帰っても、あの若い大尉には敵がいるのだ。もしかすると遺伝子学者よりも質の悪い純血至上主義者達が。
 午後になってフナイ理事官が本国から来たと言う移民審査官を伴って部屋に来た。審査官は平服だったが、左の胸に緑色の鳥の徽章を付けていた。大統領警護隊の隊員だ。シオドアはセルバ共和国政府が選挙で選ばれた大統領や議員以外はほぼ”ヴェルデ・シエロ”で占められているのだろうと想像した。
 面接は一人ずつ、小部屋で行われた。シオドアは大統領警護隊文化保護担当部と知り合った経緯を訊かれた。エル・ティティのバス事故で記憶喪失に掛かってから、ケツァル少佐と出会い、オルガ・グランデのアンゲルス邸で悪霊祓いをしたこと迄をかいつまんで話すと、審査官は持参したタブレットで書類を見ながら一々頷いていた。シオドアは審査官が見ている書類が彼の行動を逐一記録したものだと気がついた。これは文化保護担当部が提出した報告書からシオドアに関する記述を抜粋したものなのか、それとも警護隊が独自に調査したものなのか、シオドアは戸惑った。少佐がどこまで本当のことを報告書に挙げたのかわからない。もし彼女が彼を庇って虚偽を書いたとしたら、シオドアの面接の答え方行かんで彼女を窮地に追い込むかも知れない。反対に警護隊独自の調査結果が書類に載せられているのであれば、”ヴェルデ・シエロ”はセルバ共和国にいた頃のシオドアを常に監視していたことになる。気分の良いものではなかった。
 悪霊祓いの後でダブスン博士に連れられてアメリカに帰国した後の行動は、審査官からの質問で確認を取られた。記憶喪失が治らない内にセルバに再入国した理由、オクタカス遺跡での”風の刃の審判”事故、反政府ゲリラによる誘拐事件。シオドアはアスルによって過去の村へ送られたことが報告書に入っていないことを知った。アスルが彼を隠す為に時空を飛んで過去へ行ったことは、一族に秘密になっているのだ、きっと。最後は怪盗”コンドル”事件から前日の夜に大使館へ亡命する為に逃げ込む迄の経緯だった。シオドアはステファンとカメルがセルバ共和国政府の命令で美術品回収をしていた事実を知っていたとは言わなかった。公園でステファンと再会して彼がアメリカに来ていたことを知り、テレビで泥棒騒ぎと黒豹出没を知った直後にアリアナから救援要請を受けて彼女の家に行ったこと、そこで負傷したステファンに会ったこと、大使館に相談したらケツァル少佐が応援に来てくれたこと、遺伝病理学研究所がステファンを超能力者と知って攫ったので、少佐とアリアナと力を合わせて彼を救出したことを語った。語り終わると夕方になっていた。
 セルバ人にとって大切なシエスタの時間を潰してしまったが、審査官はシオドアが「以上です」と締め括ると、暫くタブレットの中に何かを入力していた。超能力者もインターネットを使って通信するんだな、とシオドアは疲れた頭でぼんやり思った。
 審査官がオズボーン博士と交替しなさいと言ったので、応接室にいたアリアナと交替した。すれ違う時に、彼は彼女にありのままを言えとアドバイスした。

「彼等は全部知っている様だ。下手に嘘をつくと亡命させてくれない。」

 アリアナは不安気な表情で小部屋に入っていった。彼女はセルバ共和国に短時間しか滞在しなかった。シオドアが行方不明になったので探しに行き、手がかりを求めてケツァル少佐に面会したこと、少佐が護衛に付けてくれたデネロス少尉がシオドアの遺伝子分析資料をホテルで焼いてしまい、彼女とボディガードの目の前で姿を消したことを語ると、審査官が質問を入れた。

「何故デネロスはアルスト博士の資料を焼いたのです?」
「わかりません。」

と答えてから、アリアナは真っ当な答えを自ら引き出した。

「あれはセルバ人の遺伝子の分析結果の資料でした。シオドア・ハーストは自身の研究が母国の軍事目的に使われるのを恐れていましたから、きっとケツァル少佐を通してデネロス少尉に資料の破棄を要請したのでしょう。」
「だが、貴女はケツァル少佐からそれを預かったのでしょう? 何故少佐は自分でそれを処分しなかったのです?」
「その時少佐はその資料がどれだけの意味を持つものかご存知なかったのです。遺伝子マップを見ても古代文字の解読より難しいと仰いました。ですから私が持っている方が、グラダ大学の研究室に放置したままにするより安全だと考えられた様です。私が資料をホテルに持ち帰った後で、シオドアが少佐に資料の破棄を頼んだのだと思います。」

 審査官は暫くタブレットを眺めていた。ホテルでのデネロス少尉消失騒動は報告がなかった。彼はアリアナに言った。

「目の前で女性が消えて、さぞかし驚かれたことでしょう。」
「それはもう・・・」

 アリアナはその後彼女とボディガードがどんなに訴えても誰も本気で聞いてくれなかった悔しさを審査官に延々と語った。アメリカに帰国後、ボディガードが精神カウンセラーにかかったこともぶちまけた。
 次に審査官は彼女がステファン大尉を救助した話を語る様にと言った。アリアナは緊張した。何もかも話せと言うのか。あの夜のことも?
 彼女は庭先で黒い大きな猫を見つけた話を語った。タブレットに入力していた審査官の手が止まった。彼が顔を上げてアリアナの目を見た。

「本当に、黒い猫だったのですか?」
「猫ではなく、ジャガーだと後でシオドアに教えられました。」
「黒かったのですね?」
「ええ、テレビでも黒豹だと言っていました。私が見つけた動物も真っ黒で、それは本当に・・・綺麗でした。」
「真っ黒なジャガー・・・ですか・・・」

 審査官はタブレットに打ち込んだが、その指が微かに震えていた。

ーー彼女はエル・ジャガー・ネグロを見たと語った。

 審査官はまた顔を上げた。

「その黒いジャガーはどうなりました?」
「男の人になりました。後で、シオドアが彼の名前はカルロ・ステファンだと教えてくれました。」

 審査官はタブレットに打ち込んだ。

ーー彼女の目の前でエル・ジャガー・ネグロはナワルを解き、カルロ・ステファンになった。

 彼はタブレットを閉じた。 そしてアリアナに言った。

「面接を終了します。グラシャス、お疲れ様でした。」



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