まんじりともしない夜が過ぎた。シオドアはドアの外の音や通りの音に神経を尖らせたが、変わったことは起きなかった。翌日仕事に行くと眠たくて、ミスをしでかしそうになり、同僚に叱られた。
「ごめん、ちょっと1時間だけ休憩させてくれ。すぐに復活するから。」
と断って、店の近くの公園に行った。ベンチで寝転んで休んでいると、思わぬ邪魔が入った。
エルネスト・ゲイルが現れたのだ。
「黒豹が付近を彷徨いているって言うのに、そんな所で昼寝はいけないなぁ、テオ。」
頭がぼんやりしていたので、シオドアは黒豹のせいで午前中の客が少なかったのか、と納得しただけで、彼がそこに来た理由まで考えが及ばなかった。
エルネストは己のボディガードを車に待たせて、シオドアのベンチの端にお尻を載せた。
「探しに行かないのかい?」
「何を?」
「黒豹だよ。」
エルネストはシオドアに顔を近づけた。丸顔だが、カルロ・ステファンと違って野性味が全くない。顎の下に肉が弛んで見えた。こいつ、シェイプアップすれば良いのに、とシオドアはどうでも良いことを思った。
シオドアが返事をしないので、エルネストはちょっと躊躇ってから打ち明けた。
「面白い話を警察の電話を盗聴していて聞きつけたんだ。」
エルネストの趣味は盗撮と盗聴だ。彼は異性には興味がない。基地にいる軍人達の訓練の様子や職務上の会話をこっそり覗くのが楽しいのだ。身近にいながら自分が参加出来ない世界に憧れている。近頃は基地の外の警察にまで手を広げていて、もしホープ将軍やヒッコリー大佐に知られれば大目玉を食う筈だ。普段のシオドアなら、彼の盗聴に関心がないのだが、この時は違った。友人が警察に追われているかも知れないのだ。
「どんな話?」
エルネストがニヤリと笑った。シオドアが興味を示してくれたのが嬉しいのだ。
「巷じゃ警察が怪盗”コンドル”が現れるのを予想してメルカトル博物館を張っていたってことになっているが、あれは間違いなんだ。警察はあの博物館を全くノーマークで、もっと大きな州立博物館を見張っていた。それが、幸運にも、”コンドル”が自分でドジを踏んで警報装置を鳴らしたそうだ。」
「偶然だったのか・・・」
「それが不思議なことに、”コンドル”は警報装置の線を切っていた。それなのにベルが鳴ったんだ。」
「ベルが鳴ったから切ったんじゃないのか?」
「君はバカか? 何処の世界にそんな無駄なことをする泥棒がいるんだ? それに”コンドル”は逃げる時に二手に分かれたんだが、1人は路地に入る前に警察に銃を向けたんで、撃たれた。もう1人は行き止まりの路地に逃げ込んだ。警察が袋の鼠だと思って駆けつけたら、そこには誰もいなくて、服だけ残っていたそうだ。」
「服だけ?」
「そうだ。あの寒い夜に”コンドル”は素っ裸になって飛んで行ったんだよ。」
シオドアはもう一度確認した。
「つまり、下着も靴も靴下も、全部置いて行った?」
「警察はそう言っていた。しかも、服には刃物で刺した破れ目があって血で汚れていた。」
エルネストは知り得た情報を得意げに喋った。
「博物館の警報装置が鳴った部屋なんだけど、そこに血痕が残っていたらしいよ。服が残っていた路地の奥までその血痕は続いていた。しかも・・・」
彼は声を低めた。
「射殺された方の”コンドル”は血がついた軍用ナイフを持っていたそうだ。」
シオドアは体を起こした。パズルだ。物凄く簡単な筋書きのパズルだが、何故そうなったのかわからない。
「”コンドル”は2人で、メルカトル博物館に侵入したところで仲間割れをした、1人が相方をナイフで刺した、刺されたヤツが咄嗟に警報装置を作動させた、仲間割れをしたから一緒に逃げる筈がない、彼等は別々に逃げて、刺したヤツは警察に撃たれた。刺された方は・・・どうなったんだ?」
彼とエルネストは互いの顔を見合った。目を見ても、会話は出来ない。
「どうして着衣一切合切捨てて行ったんだと思う?」
とエルネストが尋ねた。
「夜だし、上着だけ捨てれば多少は人の目を誤魔化せるだろう? 」
「捨てられた着衣なんかは、きちんと畳んであったのかい?」
「そこまでは知らない。」
脱いだ物を畳む余裕などなかった筈だ。服や靴は逃げる経路にバラバラに落ちていたのではないのか。 シオドアは想像して身震いした。 カルロ・ステファンのナワルへの変身は逃げて行く過程で始まったのだ。生きたい、逃れたい、その一心で、あの”出来損ない”の”ヴェルデ・シエロ”は、一族が彼には出来ないと信じていた変身をやってのけたのだ。
その時、エルネストがシオドアの心臓を掴むような恐ろしい予想を言葉に出した。
「消えた泥棒はセルバ人じゃないかな、テオ?」
シオドアはドキリとした。服の下に冷や汗がドッと出た感じだ。
「どうしてそう思うんだ?」
だってさ、とエルネストは彼の反応を観察するかの様に、じっと彼の顔を見た。
「アリアナも君のボディガードも、セルバ人が消えるのを目撃したって証言したんだぜ。うちの年寄り連中も将軍達も、彼等が薬でもやったんだろうと言っていたけど、僕は違う、アリアナもボディガードも本当のことを語っているんだ。」
「セルバ人は消えるってか?」
「君も消えたんだろ? 」
「記憶にないね。」
シオドアはエルネストがさっさと立ち去れば良いのに、と思った。
「セルバ人には関わるなよ、エルネスト。俺の様に全てを失うことになりかねないぞ。」
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