シオドアはミゲール大使から何か言ってこないかと待ったが、夜になっても連絡はなかった。カルロ・ステファンの身が心配だった。射殺されたのがカメル軍曹なら、軍曹は何故ステファンを刺したのだ? 地面に跡を辿れる程の出血をしながら変身したステファンは何処へ行ったのか。
警察は犬を使って黒豹と泥棒の双方を追いかけているのだが、奇妙なことに両方のチームの犬が同じ場所で重なった。泥棒追跡チームが黒豹追跡チームと同じ経路を追いかけ始めたのだ。そして「追われる者」は湖の岸辺で痕跡を絶った。湖に逃げたのだ。警察はドローンを飛ばし、ボートも出したが泥棒も豹も見つからなかった。何処かで岸に上がった可能性も考えられたが、湖の岸辺の3分の1を占める基地の捜索は難しかった。この基地には国立遺伝病理学研究所と言う関係者以外の立ち入りを厳しく制限している施設があり、部外者の立ち入りにうるさいのだった。居住区ならと言う条件で捜索を許可されたが、個人の住宅が湖岸まで建てられており、プライバシーの問題もあって容易に進まなかった。
シオドアは昼寝をした分の延長勤務を終えて、疲れて自宅へ帰った。リビングのカウチに身を投げ出して目を閉じた途端に電話が鳴った。渋々携帯を出すと、アリアナ・オズボーンからだった。彼女は彼が出るなり、言った。
ーーうちに来て、テオ。大至急、お願い!
シオドアはまた目を閉じた。くたびれて動きたくなかった。
「用件を言え。俺は疲れているんだ。」
アリアナはお構いなしに自分の要求を喋った。
ーー貴方の服を持って来て。下着と靴下とシャツと・・・靴はいいわ、こっちで買う。
「何を言ってんだか・・・」
ーー今必要なのよ。早く来て! 門衛に貴方が来ることを言っておくわ。1時間以内に来てね!
一方的に喋って切った。シオドアは不快な気分で電話の画面を眺め、そして突然ある考えに至った。
俺の下着と靴下とシャツだって?
一人暮らしの女性の家にない物だ。アリアナが何故そんな物を必要とする?
彼女の家に、それが必要な男がいるからだ!
シオドアは跳ね起きた。急いで袋に新しい下着と靴下とシャツを入れた。ついでにセーターも1枚入れた。ズボンも要るだろう。
荷造りする程の荷物ではなかったが、思いのほか時間がかかり、急いで車に乗り込んで基地に向かった時は40分も過ぎていた。基地は近い。門衛は彼が追放されたことを知らなかったので、また外国へ出ていたのかと言う顔で迎えた。走り慣れた基地内の道をゆっくり走り、湖畔に家が並ぶ区画へ入った。アリアナ・オズボーンの家は小さい建物が多い古い街並みの中にあった。シャッターが閉まったガレージの前に車を駐車すると、窓のカーテンを寄せてアリアナが外を覗いた。シオドアは車外に出て、衣類が入った袋を掲げて見せた。彼女がカーテンを閉じ、彼が戸口の前に立つと同時にドアが開いた。奇妙なことに彼女はまだ夕方だと言うのにTシャツと短パンの上にナイトガウンを羽織っていた。
以前と同じ様に、キスで挨拶をすると、彼女は彼を家の中に引き込んだ。ドアを閉め、鍵を掛け、チェーンを掛けた。そして、無言で「こっち」と手を振って彼を寝室へ誘導した。
アリアナ・オズボーンは滅多に自宅に他人を入れない女性だった。”兄弟”であるシオドアもエルネストも彼女の家に招かれたことがなかった。だからシオドアは歩きながらインテリアを見て、案外普通の女性の一人暮らしの家なんだ、と思った。壁に明るい色調のリトグラフが数点飾っており、棚にニットの縫いぐるみが並んでいる。テーブルには花が生けてあった。
アリアナは寝室のドアを静かに開いた。低い声で彼に言った。
「あの人を起こしたくないの。」
シオドアは寝室の中を見た。照明を点けないでカーテンを引いた室内は暗かった。消毒薬の匂いが満ちていた。そんなに広くない寝室の中央に女性の一人暮らしには不似合いなセミダブルのベッドが置かれており、その上で男が1人寝ていた。
シオドアは静かに室内に入った。セミダブルのベッドの左半分に男は遠慮がちに体を横たえていた。入り口に背中を向けて裸の肩が見えた。逞しい筋肉がついた軍人の体だ。少し長く伸びた黒髪は見覚えがあった。
シオドアが手で触れられる距離まで近づいても、彼は起きなかった。熟睡している。こんな隙の塊の様なカルロ・ステファンは初めてだ。ロホはナワルを使うと疲弊して2日間寝込むと言っていた。ステファンも疲れ切ったのだ。生まれて初めて変身して、怪我をして、恐らく冬の湖を泳いで逃げたのだ。これで元気いっぱいなら怪物だ。
シオドアはベッドの右半分が乱れていることに気がついたが、知らんぷりしてそこに衣類が入った袋を置いた。そして寝室から静かに出た。
ダイニングに行くとアリアナがコーヒーを淹れていた。
「ピザを注文したわ。食べて行って。」
ステファンと2人きりになるのが不安なのか。それにしても・・・。
シオドアは椅子に腰を下ろしてカップを手に取った。アリアナは化粧をしているが、くたびれた顔をしていた。この化粧は前日のものだな、と思った。彼女は時々研究で徹夜する。一つのことに集中すると中断するのが嫌なのだ。
「昨夜は徹夜したのかい?」
「ええ・・・」
「帰って来たのは何時?」
「今朝の10時頃・・・」
「昨日の事件を知っているかい?」
「何の事件?」
彼女の怪訝そうな表情で、博物館の泥棒騒ぎも黒豹の出没も彼女は知らないのだとわかった。シオドアは寝室の方を振り返った。
「彼が誰か知っているのか?」
すると意外にもまともな答えが返ってきた。
「ケツァル少佐の部下よ。」
シオドアは彼女に向き直った。
「彼が名乗ったのか?」
「いいえ、今朝会った時から彼は一言も言葉を話さないわ。私達はセルバ共和国で1回会っているのよ。貴方が少佐のアパートで消えたとケビン・シュライプマイヤーが報告して来た時に、私はグラダ・シティに行って少佐と面会したの。その時、オフィスに彼がいた。少佐は彼を中尉とだけ呼んでいたわ。」
「彼の名前はカルロ・ステファンだ。君がセルバへ行った時は確かに中尉だったが、今は昇級して大尉になっている。」
ドアチャイムが鳴って、アリアナは急いで玄関へ行った。デリバリーサービスの男と言葉を交わして、やがて再び戸締りする音が聞こえ、彼女はピザの箱を抱えて戻ってきた。
空腹だったので、シオドアもアリアナも直ぐに箱を開けて食べ始めた。彼女は彼の好物を覚えてくれていて、チキンとペパロニにチリソースをかけた物だった。
「彼と今朝出会ったと言ったね。何処で?」
「この家の庭先。湖に降りるステップのところよ。」
「彼は裸だったろう? 君は顔見知りなら誰でも平気で家に入れるのか?」
すると彼女ははっきりと言った。
「私が見つけた時、彼は人間の姿じゃなかったの!」
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アリアナ・オズボーン、カルロ・ステファンと運命の出会い・・・
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