2021/08/01

太陽の野  1

  セルバ共和国は熱帯雨林気候の土地だが、丸一日雨が降るのは珍しい。雨季でも1日の数時間に大量の雨が降り、後は空が晴れているか曇っていると言う状態だ。だから乾季に終日雨が降るのは滅多にないことで、シオドアの教室の学生達は予定が狂ったと朝から文句を言っていた。シオドアも学生達と午後から植物採取に出るつもりだったので、次の日の予定を組み換えなければならなかった。シエスタも研究室の中で本当に昼寝をするしか時間を潰す方法がない。部屋の隅に置いた木製のベンチで横になっていると、マハルダ・デネロス少尉が訪ねてきた。彼女の顔を見るのは久しぶりだったので、シオドアは喜んだ。

「そろそろ卒業準備だね?」

と言うと、彼女は恥ずかしそうに頷いた。

「論文に取り組んでいます。でも結構難しくて・・・ケサダ先生は授業では優しいんですけど、論文の採点が厳しくて。」

 彼女の論文のテーマはなんと「”風の刃の審判”の実用性」だった。グラダ・シティ近郊のサラの遺跡を巡って調査し、実際に使用されたのか、使用されたとしたらどれ程の頻度だったのか、審判の効果はあったのか等を比較検討していた。
 お土産にお菓子を持ってきて机の上に並べるデネロスの為に、シオドアは昼寝を止めてコーヒーを淹れた。

「俺に”風の刃の審判”の実体験を聞きに来た訳じゃないだろう? 俺が遭遇したのは通路で、本当のサラの中じゃなかったから。」

 シオドアが指摘すると、デネロスは彼の向かいに座った。

「オフィスが息苦しくて、息抜きに来ちゃいました。」
「息苦しい?」
「スィ。上官達の様子が変で・・・」

 ケツァル少佐は撃たれてから4日後に退院した。護衛のステファン大尉も彼女の退院と共に病院での警護を打ち切ってオフィスに戻った。

「あんなに仲が良かった少佐と大尉が、あれから口を利かないんです。仕事で必要な話はするんですけど、それ以外は無駄口を叩かないし、目も合わさないんです。」

 ああ、とシオドアは原因に思い当たることがあるので頷いた。お互いに異母姉弟だと知って、あの2人はそれまでの関係を同じように保てなくなっているのだ。ケツァル少佐は両親がそれぞれ異なる立場で大罪を犯した咎人だったと知ってショックを受けているに違いないし、ステファン大尉も酷い最期を遂げた父親を思い、恋をした女性が姉だったと知って気持ちの整理がつかないのだろう。
 若いデネロスは「伝説の死闘」を知らない。長老会とは縁がないメスティーソの家族の子供だから尚更だ。ロホはどうなのだろう、とシオドアは思った。ロホの家は名家だとステファンが言っていた。長老会と深い繋がりがある筈だが、ロホはステファンと同年齢だ。事件があった頃はまだ赤ん坊だった。ロホの親は息子に歪んだ一族の歴史を教えただろうか。

「大尉が少佐が撃たれた時に持ち場を放棄して要塞に突入してしまったことを批判されたことは知っているかい?」

 すると意外なことにデネロスは知らなかった。そうだったんですか?と目を見張った。だからシオドアは彼女に教えてやった。

「大尉は文化保護担当部では少佐に次ぐ階級だ。少佐に万が一のことがあった場合は彼が指揮を執らなきゃならない。わかるね?」
「スィ。」
「だけど、ステファンは少佐が撃たれたと知った途端に、頭に血が上ってしまった。少佐を撃ったのは実際は憲兵だった訳だけど、彼はロハス一味が撃ったと勘違いして、持ち場を放棄して要塞に突入した。守るべき憲兵隊を放置したんだ。その結果、憲兵隊に負傷者が出た。ロホは中尉で、大尉が持ち場を放棄したら彼が指揮権を持つ筈だ。しかし、その時ロホは少佐の救助を優先した。彼は大尉が当然指揮を執るものと信じていたからだ。さらに最悪だったのは、少尉のアスルまでが大尉に続いて突入してしまった。」

 うそーっとデネロスが声を上げた。

「何やってたんですか、うちの男共は!」

 実戦経験がないデネロスはプンプン怒って見せた。

「何の為の大統領警護隊なんですか? 私達が守っているから、憲兵隊や警察隊は安心して悪者達と戦えるんですよ。それなのに守らずに自分達で突入したなんて!」
「少佐もロホに運ばれながら、守れと命令を叫んだらしいけど、ステファンもアスルも聞いていなかったんだ。ロホが後ろを見ずに守るなんて無理だったしね。味方の銃弾まで破壊してしまう危険は冒せないだろう?」
「ああ・・・それは少佐が怒っているのも無理ないですね。」

 デネロスは上官達の間がギクシャクしている原因はステファンの持ち場放棄にあると思い込んだ。今はそれで良いのだろう、とシオドアは思った。今少佐と大尉の間にあるのは、「家族の問題」なのだ。

「アスルはまだ退院出来ないのかい?」
「脚の骨の手術が終わって松葉杖で歩けるらしいです。だけど少佐がまだ病院から出るなと言ったらしいです。」
「彼も持ち場放棄したから、病院に閉じ込められているんだよ。本当なら、ステファンもアスルも営倉送りらしいけど、要塞を陥落させた手柄で帳消しになって、謹慎で済んでいる訳だ。」
「仕方がないですね。国民の守護が私達の任務ですもの。それを放棄したら、大問題です。」

 デネロスはお土産に持ってきた筈のお菓子を自分でパクパク食べながら、オフィスの緊張の原因がわかって少しスッキリした様子だ。
 シオドアは少佐と大尉が仲直りしてくれないかな、と思った。ステファン暗殺の脅威はまだ解消されていないのだ。連携して守備を固める筈の姉弟の間に不協和音が存在すると、守りが難しくなる。
 そんなことを思案していると、デネロスが話題を変えて、シオドアをびっくりさせた。

「アリアナは最近好きな人ができたんですか?」
「ノ・・・聞いてないけど。」
「でも最近お洒落に熱が入っているし、楽しそうですよ。彼氏がいるみたい。」

  少佐とステファンの親達の過去に気を取られていて、アリアナへの注意が疎かになっていた。シオドアは毎日顔を合わせている”妹”の変化に気がつかなかった。

「医学部に誰か男友達でも出来たのかな?」
「そうじゃないと思います。」

 デネロスは女性らしく、こう言う話題に鋭かった。

「監視と護衛を務めている軍曹がいるでしょ?」
「エウセビーオ・シャベス軍曹か?」
「あの人、アリアナに馴れ馴れしいです。」
「まさか・・・」
「テオがいない時に、彼女といつもお喋りしてます。彼女も楽しそうです。」

 つまり、シオドアの目を盗んでアリアナを誘惑しているのか。デネロスはそれが気に入らないらしい。

「監視をつけているのは、内務大臣のパルトロメ・イグレシアスでしょう? 私達、あの大臣が嫌いなんです。」
「大臣が嫌いでも、軍曹と関係がないだろうけど・・・」
「彼の弟の建設大臣はうちの少佐にずっと求愛しているんですよ。」
「え?」
「デートの誘いを電話やメールや手紙や、秘書に直接伝言を届けさせたりして、しつこいんです。少佐は全く相手にしていませんけど。」

 そう言えば、ケツァル少佐の病室にあった見舞い花の3割はイグレシアス建設大臣からのものだった、とシオドアは思い出した。

「あの大臣は白人だったね?」
「スィ。一族の血は一滴も入っていないって、官舎の先輩が言ってました。少佐が誰をお相手に選ぶかは少佐の自由ですけど、あの大臣は絶対にないって皆んな信じています。」

 あの山の様な見舞い花の送り主は大半が男性だった。もしかして、皆んな求愛者なのか? シオドアはライバルが多過ぎることに愕然とした。確かにケツァル少佐は美女だ。金持ちのお嬢様だ。しかしそこいらの男が気軽に求愛出来る様な女性ではない。並の男性では釣り合わない。そう思って安心していたが、見舞い花の送り主達は皆セルバ共和国のセレブばかりだった。

「兎に角ですね・・・」

 デネロスはツンツンして見せた。

「あのイグレシアス大臣に与えられた仕事をしている男に、アリアナを取られるのは嫌です。」


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第11部  紅い水晶     14

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