2021/08/28

第2部 節穴  8

  館長執務室に通されるかと思えば、中の展示室に入れてもらえただけだった。それでも空調が効いた館内は涼しかった。展示物が少ないと思ったら、博物館建て替えの案内が壁に貼り出されていた。建物の老朽化で新しく建て替えるのだ。展示物や所蔵物が仮の倉庫や展示室へ移転される途中だった。博物館の目玉展示物だけが客の為に残されているのだ。既に奥のブロックは閉鎖されており、立ち入り禁止のテープが貼られていた。
 夕刻なので客が少ない。博物館は午後7時迄開館しているが、外国人観光客は夕食の楽しみを逃すまいと昼間に目星をつけていた店へ向かって移動して行く。
 ステファン大尉は展示ケースの中の壁画の破片を眺めていた。ギャラガは先祖の遺物に興味がない。所在なげに大尉の横で立っていると、何処からともなく白いスーツ姿の老人が現れた。痩せて背が高く、髪は真っ白だ。目つきが鋭く、純血種の威厳と誇りが全身から漂っていた。ギャラガは一眼で彼が長老と呼ばれる地位の人だと察しがついた。姿勢を正すと、気配でステファン大尉が振り返った。彼も老人に気がつき、背筋を伸ばして足を揃えた。敬礼したので、ギャラガも急いで後に続いた。
 老人が呟いた。

「”出来損ない”が”出来損ない”を連れてきたか。」

 この差別用語は大統領警護隊に採用されてから嫌と言う程浴びせられてきた。純血種がミックスに対して使う侮蔑の言葉だ。それもメスティーソに対して使われる。異人種の血が入ると”ヴェルデ・シエロ”の能力を使いこなせないからだ。気の抑制が出来ない、ナワルを使えない、”幻視”や”操心”や”連結”と言った修行を必要としない能力も満足に使えない、当然高度な技を習得出来ない。純血種の”ヴェルデ・シエロ”からすれば、下手なことをされては一族の存在を一般の人々に知られてしまう恐れがあるから、ミックスの存在を嫌うのは当然なのだ。だが大統領警護隊に採用されたメスティーソ達は厳しい修行のお陰で純血種程の強さはなくても能力を使えるようになる。
 ステファン大尉は慣れている。彼もギャラガ同様入隊以来散々聞かされてきたのだ。そして、この長老が純血至上主義者で口が悪いことも承知していた。彼は挨拶した。

「お久しぶりです。お忙しいところに押しかけて申し訳ありませんが、教えて頂きたいことがあります。」

 老人がギャラガを見たので、彼は紹介した。

「大統領警護隊警備第4班のアンドレ・ギャラガ少尉です。少尉、こちらは人類学者でグラダ大学考古学部教授、セルバ国立民族博物館館長のムリリョ博士だ。」

 ギャラガは初対面の目上の人が話しかける迄黙っていると言う作法を守って、無言のままもう一度敬礼した。ムリリョ博士は見事にそれを無視して、ステファン大尉を見た。

「エステベスがお前を本隊に召喚したそうだが、母親をグラダ・シティに呼んでおいて放ったらかしか、黒猫?」

 いきなりプライベイトな話題を持ち出されてステファン大尉がちょっと怯んだ。

「仕送りは続けています。」
「半年の間、休暇なしで働いておるのか?」
「休暇はあります。家に帰っていないだけです。」
「エステベスはお前が家に帰るのを禁じておるのか?」
「ノ! 帰らないのは私が決めたルールです。修行が終わる迄の辛抱で・・・」
「その修行は何時終わるのか?」

 ステファン大尉が答えに窮した。ファルゴ・デ・ムリリョが冷たい目で彼を見つめた。

「お前が焦るのはわかる。お前の力は1年前に比べると遥かに大きくなった。今この瞬間も儂は感じる。上手く制御したいと気が逸るのだろうが、焦る程力は暴れるぞ。与えられる課題を一つずつ熟して身に覚えさせるしかない。休暇を与えられたら、家に帰って休め。」

 大尉は黙っていた。ムリリョは展示ケースの中を見るフリをして、付け加えた。

「何時までもケツァルにお前の母親の面倒を見させるでない。」
「え?」

 大尉が微かに狼狽えた。

「少佐が母の世話を?」
「早く街の暮らしに慣れさせようと、休日になれば買い物に連れ出したり、話し相手になっておる。お前の妹にも虫が付かぬよう見張っておる。」

 ギャラガはムリリョ博士がステファン大尉の親族に詳しいことを不思議に思った。純血種の長老とメスティーソの大尉はどんな関係なのだろう。
 大尉が首を振って何かを振り払う素振りをした。そして博士に改まって向き直った。

「兎に角、今日の訪問の目的を果たさせて下さい。大統領府でちょっと困ったことが起きているのです。」
「ほう?」

 ムリリョが初めてギャラガに目を向けた。

「それで、この白人臭いヤツを連れて来たのか?」

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

ムリリョはカルロが生まれる前から、カタリナ・ステファンに関わり合って来た。
シュカワラスキ・マナと一族の戦いに彼女が巻き込まれぬよう匿いもした。
恐らく、娘のように感じているのだろう。
彼女が娘を連れて上京して来たので、こっそり見守っているのだ。

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...