2021/08/02

太陽の野  3

  シオドアが帰宅した時、アリアナは既に寝室に入っていた。シオドアがドア越しに「おやすみ」と言うと、「おやすみ」と返事があった。彼は自室で暫くネットゲームをしてから、ふと思うところがあって、庭に出た。夜間の監視役をしている兵士が直ぐに気がついて近づいて来た。

「何かありましたか、ドクトル?」
「ノ、ただの夕涼みだ。」

 シオドアは夜風にあたりながら、兵士が再び元の場所へ戻ろうとするのを見た。

「ちょっと聞きたいことがある。」

 兵士が足を止めて振り返った。

「何でしょう?」
「昼間の当番のシャベス軍曹のことだが、彼は家族がいるのかい?」

 兵士は肩をすくめた。

「個人的なことは・・・」

 そうだ、他人のプライバシーを詮索しないのがセルバ人のマナーだ。シオドアは「ごめんよ」と謝った。

「妹が彼を気に入った様なので、ちょっと気になったのさ。」

 正直に言うと、逆に効果があった。兵士が応えた。

「シャベス軍曹は独り身です。白人女性が好みで・・・妹さんは気をつけた方が良いですよ。護衛と対象者が親密になると碌なことがありません。」

 そして「おやすみなさい」と言って持ち場へ戻って行った。
 シオドアはアリアナに説教をした方が良いのだろうかと考えた。だがセルバに来てから彼女は家と大学を往復するだけの毎日だ。医学部の仕事仲間と出かけたり、たまに大統領警護隊のマハルダ・デネロスに誘われて買い物に行ったりするだけで娯楽もない。新しい友人ができるのであれば良いことだ。だが護衛が相手では、シャベスの任務に支障が出る。
 翌朝、何時もの様にシオドアとアリアナは朝食を取り、身支度をしてシャベス軍曹が運転する車で大学に向かった。シャベスが「今日のご予定は?」と尋ねた。シオドアは午後の授業が終われば普通に帰ると答えた。アリアナも夜の予定はないと言った。それでシャベスはいつもの時間に迎えに来ると言って、2人を大学の正門前で降ろし、士官学校の方向へ去って行った。
 アリアナと別れ、シオドアは生物学部の研究室に入った。内務省の指示で亡命者の護衛をしている部隊がどこなのか調べるのはどこに訊けば良いのだろう。内務省か? 先日のデネロス少尉の言葉が脳裏に蘇った。内務大臣の弟はケツァル少佐にご執心だって? 山のような花をお見舞いに送る大臣の兄の役所に、家族の問題を持ち込むのか? アリアナはたった一人の家族だ。エル・ティティの街へ連れて行ってやりたい。田舎暮らしの良さをわかってもらいたい。何処の馬の骨かわからぬ兵士に取られたくない。
 色々考えているうちに1時間ばかり経ってしまった。彼は午後の授業の準備をしてしまい、余った時間で外出した。ぶらぶら歩いて、気がつくと文化・教育省の前に来ていた。いつもの無愛想な女性軍曹が番をしていた。彼女も陸軍だ。シャベスの上官を知っているだろうか。近づいて行きかけると、後ろからバイクがやって来た。追い越しざま、「テオ!」と声をかけられた。驚いて立ち止まると、バイクは路地へ入って行った。路地の奥に文化・教育省の職員駐車場があるのだ。因みに来客用駐車場はない。客は歩いて5分の場所にある市営駐車場に車を止めなければならない。バスターミナルもそこにあるので、セルバ人は特に不便だと思っていないようだ。
 シオドアが立っていると、駐車場にバイクを置いてロホがやって来た。手にバイク用ヘルメットを抱えている。バイクは中古だがヘルメットは新品だった。セルバでは新車はすぐ盗まれる。だから「常識」がある市民は中古車を利用する。持って移動出来る物は新品で構わないのだ。
 挨拶を交わして、ロホが誰かに御用ですかと尋ねた。シオドアは誰でも良かったので、彼に護衛のシャベス軍曹の上官を知らないかと尋ねた。ロホが用心深く周囲を見回してから、質問で返した。

「内務省の指示でお宅の監視兼運転手をしている兵士ですか?」
「スィ。ちょっと彼の勤務態度について彼の上官と話したいことがあってさ。」

 するとロホがドクトラのことですかと言ったので、シオドアは噂が広まる速さに驚いた。デネロスもステファンも口が軽い訳ではないが、目と目を見合わせば意思疎通が出来てしまう種族だ。秘密を保つのは困難だ。

「軍曹が彼女に何をしたと言う訳じゃない。少し個人的な話をするのを控えてくれと言いたいだけなんだ。」

 ロホはあまりお勧めしないと言いたげな顔をした。

「上官に伝わると、その軍曹は更迭されるでしょうね。軍歴に傷が付くので、貴方を逆恨みする恐れが出てきます。」
「アリアナと必要以上に口を利くなと言うだけだよ。クビにする必要はない。」
「それは貴方の方の理屈です。シャベスの上官には、あなた方の安全を守れと言う内務大臣からの指示に従えなかったと言う悔いが残ります。例え内務大臣の耳に入らなかったとしても・・・」

 ロホがそこで珍しく嫌な顔をした。

「内務大臣の弟の建設大臣には地獄耳の秘書がいます。」
「秘書?」
「”砂の民”のシショカと言う男です。」

 建設大臣の秘書に”砂の民”がいると、以前ケツァル少佐も言っていた。シオドアも嫌な感じを覚えた。シショカは最近もカルロ・ステファンにちょっかいを出したのではなかったか? 

「なんで”砂の民”が大臣の秘書なんかしているんだ?」
「そこの事情は私も知りません。マリオ・イグレシアスの個人秘書ですから、かなり昔から働いているのでしょう。問題は、シショカはムリリョ博士の配下ではないと言うことです。マスケゴ族ですから、族長には従いますが、裏の仕事では一匹狼なのです。国政に関わって、一族に都合が悪い政治家が現れると動く、そう言うヤツです。貴方が内務省の指示で働く兵士に苦情を言えば、シショカの耳に入ります。シショカはあなた方を守りはしないが、仕事をしくじった兵士を許さないかも知れません。」
「面倒臭いヤツだなぁ・・・」

 ロホが時計を見て、雑居ビルを指した。

「お時間があるのでしたら、中へ入って話しませんか? ここは暑いです。」

 確かに南国の太陽が容赦無く照りつけていた。

 

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第11部  紅い水晶     24

  ケツァル少佐は近づいて来た高齢の考古学者に敬礼した。ムリリョ博士は小さく頷いて彼女の目を見た。少佐はトーレス邸であった出来事を伝えた。博士が小さな声で呟いた。 「石か・・・」 「石の正体をご存知ですか?」  少佐が期待を込めて尋ねると、博士は首を振った。 「ノ。我々の先祖の物...