2021/09/11

第2部 ゲンテデマ  8

  事務所の外に出た時、テオが空を見上げた。海岸に並ぶ別荘の並びは屋根だけが見えていた。その向こうに緑色の海が輝いて見えた。真っ青な空・・・不慮の事故に遭った「空の緑」の命を呑み込んだ緑色の海・・・青い空・・・彼は心の中で言葉を繰り返し、空を見た。ケツァル少佐が車のドアを開けながら「テオ」と呼んだ。ステファン大尉とギャラガ少尉は後部席に乗り込もうとしていた。テオは彼等の焦りを理解していた。彼等の捜査期日は今夜だ。コンドルの目玉を取り戻しても、ラス・ラグナスへ行かなければ解決したことにならない。間に合うのか?
 彼は再び空を見て、ドキリとした。黒い鳥が大空を舞っていた。「少佐!」と彼はケツァル少佐を呼んだ。座席に座ったばかりの少佐が振り向いたので、彼は空を指差した。少佐がそちらを向き、よく見えなかったのか車外に出た。
 大きな黒い鳥がゆっくりと南の岬近くの空を輪を描いて舞っていた。

「コンドルです。」

 少佐が早く乗れと合図した。テオは走り、車に乗った。大尉が「何か?」と尋ねた。テオは空を見ろと怒鳴った。
 ベンツはハイウェイを南へ3分ほど走り、小道に曲がった。狭い道に入ってすぐに少佐が車を停めた。

「大尉、運転しなさい。」

と言いながら彼女は外へ出た。一瞬ステファンが戸惑うと、早く!と怒鳴った。テオは助手席から外に出た。ギャラガは動かなかった。どうして良いのか戸惑っていた。少佐が忍耐強く、”出来損ない”の弟に言った。

「コンドルは恐らくジョナサン・クルーガーの上を舞っています。それを見てペラレホがクルーガーの所へ行く筈です。」

 大尉がハッとして急いで後部席から運転席へ走って移った。

「貴女は、少佐?」

 問われて少佐が路地の奥を指差した。

「向こうから怪しい気が発っせられているのを感じます。イスタクアテだと思います。二手に分かれて追いましょう。」

 大尉の返事を待たずに彼女が歩き出したので、テオは迷わず彼女に付いていった。
 ステファン大尉は2人が並んで歩くのをチラリと見送り、すぐに車を出した。ペラレホに殺人を犯させてはならない。そんなことをしたら、コンドルの目が汚れてしまう。路地と言うより岸壁と人工的な壁が混ざる遊歩道の様な道だ。幸い金持ちの別荘街なので高級車が通れる道幅があった。しかし視界が狭く空が見えにくかった。

「アンドレ、空にまだコンドルはいるか?」

 ギャラガは窓から顔を出し、上を見上げた。

「います。もう少し左方向・・・次の角を曲がれますか?」

 言われた角を曲がると少し坂を下り、ちょっと広い場所に入った。行き止まりだったが車の転回場所らしくスペースはあった。薄いベージュ色の壁と門扉。色鮮やかな花が咲き乱れる低木の植え込みの向こうに平屋建ての綺麗な別荘が建っていた。屋根の上空を真っ黒な聖なる鳥が輪を描いて飛んでいた。
 ステファン大尉は車を停め、エンジンを切った。車外に出て、塀の中を覗き込んだ。芝生の庭の向こうに海が見えた。階段で海岸に降りられる様だ。プライベートビーチだ。ギャラガも外に出たので、彼は塀から離れ、そして勢いよくダッシュした。ジャガーの如く塀の壁を足で蹴って縁に2歩で駆け上がった。ギャラガもそれを見て、真似して上がって来た。電流が通るラインを越え、庭に飛び降りた。防犯用監視カメラがあるが、気にしなかった。相手は警察を買収出来る金持ちだが、こっちは緑の鳥の徽章を見せるだけで警察を引き下がらせる大統領警護隊だ。そして屋敷からは誰も出て来なかった。監視カメラを常にモニターしている警備員は雇っていない様だ。
 人の話声が聞こえた。海の方からだ。ステファンとギャラガは階段の降り口へ行った。
 想像通り、コンクリートの階段が下へ降りていた。下に木製の桟橋があり、クルーザーが係留されていた。水着姿の若い男女が船の甲板に立っており、桟橋にはTシャツに短パン姿の男が1人いた。後ろ姿だったが、髪の色や肌の色を見れば地元民だと分かった。ギャラガが囁いた。

「拳銃を持っています。」

 ステファンは頷いた。捕まった時に、連中に拳銃を奪われたのだ。その銃でペラレホ・ロハスはジョナサン・クルーガーと女性を脅していた。

「言い訳は聞きたくない。」

と彼は言っていた。

「これからお前が海に入って、俺の父に謝るんだ。」

 ステファンに聞き覚えのある声だった。クルーガーが手を差し出して命乞いをした。

「泳げない。金ならたくさんある。助けてくれ。」

 あまりスペイン語は得意でないようだ。恐らくペラレホが何を要求しているのか理解出来ていない。謝れと言うペラレホに対して、金を出すと言い続けるクルーガー。
 ステファン大尉とギャラガ少尉は階段を降り始めた。女性が彼等に気がついた。

「助けて!」

 彼女は英語で叫び、それからスペイン語で同じことを言った。もしかするとペラレホの仲間の強盗団だと思われているのかも知れない。女性はクルーガーの後ろに隠れるように立っていた。
 ペラレホは拳銃を白人達に向けたまま、首を少し動かして近づいて来る大統領警護隊を見た。

「お前か、”出来損ない”。」

と彼が呟いた。

「少し待っていろ。こいつに父への謝罪をさせてやる。その後はお前の好きにさせてやる。」
「それは待てない。観光客に何かあれば国の名誉に関わる。」

 ギャラガは立ち止まった。彼の拳銃は下水道で濡れてしまって使えない。装着しているだけだ。大尉は丸腰だ。しかし大統領警護隊は丸腰でも銃を持った敵と戦う訓練は十分していた。ただ、ギャラガはまだ「守護」目的で気を放った経験がなかった。銃が発射されるタイミングで気を放って銃弾を空中で破裂させる技だ。早過ぎると銃を撃った人間に大怪我させるし、遅ければ標的が怪我をする。特に今のような至近距離は難しい。それに、大きな問題があった。拳銃を持っているのも”ヴェルデ・シエロ”、しかも純血種だ。まともに気をぶつけ合うと、向こうの方が強い・・・ことになっていた。
 ペラレホは船の方へ向き直った。

「それならこの地上での謝罪は良い。こいつらに海の底でやってもらう。」

 ステファンが一声、アンドレ! と叫び、いきなりペラレホに飛びかかった。拳銃の発射音が響き、ギャラガは思わず力んだ。空中で何かが弾けた。
 魚網を引くゲンテデマの力は強かったが、格闘技の訓練を受けてきた大統領警護隊の逮捕術が勝った。ステファン大尉はペラレホを桟橋の上に押さえ込み、両腕を背中へ捻った。

「何か縛る物はないか?」

 訊かれてギャラガは、船の上で呆然としているクルーガーに同じことを尋ねた。女性が船室へ駆け込み、何かのコードやスカーフを抱えて戻ってきた。クルーガーは甲板にへたり込んでいた。

「コードじゃ駄目だ。」

 ”ヴェルデ・シエロ”なら気の力で切ってしまう。ギャラガは思いついてペラレホ自身の所持品を検めた。そして革紐を見つけた。それで手首を縛り、スカーフで目隠しした。

「悪いのは、向こうだ!」

とペラレホが喚いた。

「あいつが父を殺したんだ!」

 女性がクルーガーを見た。 そしてギャラガに尋ねた。

「貴方達、警察なの?」


 

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