2021/10/10

第3部 潜む者  18

  ミーヤ遺跡とアンティオワカ遺跡の2箇所を任されてアスルは荷が重くないのだろうか? とテオは少し心配したが、本人は気にしていない様子だった。それによく考えたら、広いアンティオワカ遺跡に陸軍の警備兵だけが付いていて大統領警護隊がいないと言うのは可笑しいのだ。フランス隊に油断させておいて、実際はアスルがこっそり様子を伺っていたに違いない。
  少佐のベンツに荷物を積んでから、テオはアスルに昨夜の礼を言った。アスルは「仕事だ」といつもの様に無愛想に言ったが、きっと照れ臭かったに違いない。テオは予てから考えていたことを提案してみた。

「大統領警護隊の本部が君を中尉に引き上げたいと思っているのに君に固定の住所がないと言う理由で実現出来ていないと聞いたことがある。もし良ければ、登録の住所だけでも俺の家にしておかないか?」

 アスルが怪訝な表情で彼を見た。何か裏があるのかと疑っている様な目つきだったので、テオは苦笑した。

「家賃の請求なんてしないし、部屋が空いている。俺が予想するに、アリアナはセルバに戻って来るとしても、今の俺の家には住まない。セキュリティが甘いだろう? 彼女は一度恐ろしい目に遭っている。現在のカンクンのアパートも少佐の家並みの強力なセキュリティが売りなんだ。それに兄妹と言っても彼女と俺は血縁関係がない。同居しなきゃいけない理由がない。だから俺は居住場所に関して、彼女の自由にさせようと思っている。だから彼女の部屋は空いているんだ。君に自由に使って欲しい。もし誰かを泊めることになれば、君が使わなくても俺は君に必ずお伺いを立てる。」

 アスルはツンと顔を背けた。

「どこに住所を置こうが俺の勝手だ。」
「無理にとは言わないさ。君の自由だから。でも考えておいてくれ。」

 テオは車に乗り込んだ。帰りも後部席だった。少佐が運転席でギャラガが助手席だ。敬礼で見送るアスルと警備兵を後にして、ベンツは小道を走り、すぐにハイウェイに乗った。
 先刻の話を聞いていたのだろう、少佐が運転しながら尋ねた。

「アスルは貴方の家に今も泊まりに来るのですか?」
「スィ。10日程連泊することもあれば、今のように出張で数ヶ月来ない時もあるがね。朝飯作ってすぐ仕事に行くから、会話をする訳じゃない。」
「家賃を取りなさい。」
「しかし・・・」
「無料だと言ったら、却って寄り付かなくなりますよ。」
「そうか?」
「住所を置くと言うことは、そこに生活の基盤を置くと言う意味です。タダで住めるのはスラムか親の家だけです。家賃を払えと言えば、アスルはちゃんと貴方の家に住み着きますよ。」
「・・・変なヤツだな・・・」

 助手席でギャラガがクスクス笑った。子供時代をホームレスかスラムで暮らした男だ。

「クワコ少尉はプライドが高いんです、ドクトル。無料で住めと言われたら、逃げてしまいます。朝食の支度をするのは、家賃代わりですよ。」

 テオは少佐が彼の言葉を聞いてクスッと笑うのを見た。

「どうも俺はアスルの扱い方を間違えた様だ。」

と彼はぼやいた。前の席でガサガサと音がした。ギャラガが少佐に尋ねた。

「スルメを食べても良いですか? 一袋だけ開けて、3人で食べると言うのはどうです?」

 上官がすぐに返事をしなかったので、彼は言い訳した。

「この干したイカはガムみたいに噛むんです。眠気覚ましになります。」

 数秒間をおいて少佐が「許可します」と呟いた。ギャラガはグラシャスと言い、袋を開いた。後部席に体を向けて、テオに袋を差し出した。

「一つかみどうぞ。ただ指先がちょっと汚れるので気をつけて下さい。」
「グラシャス。」

 テオは初体験の食べ物を掴み取った。確かに指先に何か付着した様な感触があったが、目で見ても何もなかった。1本だけ口に入れてみた。想像したより硬かった。硬いので噛むと甘辛い味がした。焼いたイカの香ばしい味もした。

「あまり一度にたくさん食べないように。」

と少佐が注意した。

「人間には害はありませんが、ジャガーになった時は食べてはいけません。」
「それって・・・」

 テオは記憶を探った。

「生の頭足類だろう? これは加熱してあるし、ちょっと口が寂しい時にかじる程度だ。美味いぞ。」

 すると少佐がちょっとイラッとした声で言った。

「美味しいのは知っています。」

 彼女は前を向いたまま、ボソッと呟いた。

「食べ出すと止まらないのです。」


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