2021/10/11

第3部 隠された者  1

  テオが自宅の玄関の鍵を開けると、リビングの照明が点いた。短い廊下の奥のリビングで、カルロ・ステファン大尉がソファに横になっていて、テオが部屋に入ってくると上体を起こした。

「こんばんは。勝手に休ませてもらっています。」
「ヤァ。いつでも使ってもらって構わないって言ってるじゃないか。」

 テオは鞄を己の寝室のドアを開けて中へ放り込んだ。長時間のドライブを2日連続で行ったので、体が強張った感じだ。肩を回しながらキッチンへ行って冷蔵庫を開けた。中身は変化していなかった。ビール以外は。彼はビールを1本取り出し、ステファンを振り返った。

「君も飲むかい?」
「いただきます。」

 もう1本取り出してリビングに戻った。向かい合って座り、栓を抜いた。ステファンが尋ねた。

「また文化保護担当部と出かけたんですか?」
「スィ。少佐の口車に乗せられてまんまと利用された。」
「口車?」

 それでテオは彼にミーヤ遺跡のチュパカブラ騒動を語って聴かせた。大統領警護隊本隊には南の遺跡で起きた吸血鬼騒動を用いた麻薬組織の犯罪情報が伝わっていなかったので、ステファンは驚いた。

「へぇ! そんなことがあったのですか。」
「少佐とアスルは最初からチュパカブラなんか信じていなかったから、発掘隊に何か良からぬ企みがあって警備の目を逸らす為の狂言だろうと睨んでいたんだ。ただ発掘作業自体が停滞するのは困るから、作業員達にチュパカブラはコヨーテだと納得させて欲しいと俺に依頼してきた。俺は君から預かったジャガーの体毛とコヨーテの体毛を前後して分析したのさ。その検査結果を持って少佐とアンドレと一緒にミーヤ遺跡へ行ってきた。昨日の午後だ。南部の国境近くへ行ったのは初めてだった。結構密入国者がいるんだな。」
「海からもジャングルからも入って来ますよ。道路はしっかり警備していますがね。細工を施したトラックやバスは大概摘発出来ます。しかし国境全部にフェンスを設ける訳にいかないのです。野生動物の移動を妨げてしまうことになりますから。」
「今回の案件も密入国者の麻薬密輸だった。それに盗掘も絡んでいた。麻薬組織がチュパカブラ騒動で発掘を中止させて警備が引き揚げた隙に遺跡に麻薬を隠し、後で取りに来る算段だったらしい。ところがアスルが遺伝子分析の専門家の俺を呼び寄せたものだから、麻薬組織の下っ端が焦ったんだ。少佐とアンドレが憲兵隊と一緒に本命のアンティオワカ遺跡のフランス隊を制圧しに行った夜、昨夜だけど、アスルが俺の部屋に泊まってくれた。そしたらチュパカブラの牙を模した槍を持った男が部屋に侵入して来てアスルにとっ捕まった。俺達を刺してチュパカブラにやられた様に見せかけようとしたんだ。」

 ステファンが笑った。

「幼稚ですね。」
「スィ。アスルは連中の企みをお見通しだったが、あまりにも予想通りに動いてくれたんで呆れていたぞ。」

 ステファンはビールをごくりと飲んで、しかし、と言った。

「彼は貴方を利用したのでしょう?」
「そうだけど、俺は腹が立たない。彼はちゃんと俺を守ってくれたから。」

 テオは客間のドアを見た。

「エミリオは捜査に出ているのか?」
「ノ、今夜は官舎に帰らせました。休憩も必要ですから。」
「そうだな・・・それじゃ、今夜は君が出かけるのか?」
「0時になったら出かけるつもりです。夜明け前に戻ります。」
「ジャガーの居場所に見当がついたのか?」
「一応・・・」

 ステファン大尉はちょっと躊躇った。

「ナワルを使ったのが誰か、はわかりました。目的は何だったのか、これからマナーに関する指導を受けるつもりがあるのか、相手に接触しなければなりません。」
「簡単に会える相手じゃないのか?」
「一応有名人ですから。」

 それでテオはジャガーが誰だったのか予想がついた。

「人気者の家に大統領警護隊がいきなり押しかけたらスキャンダルになるよな?」
「忽ち町中の噂になるでしょう。それに”砂の民”が動き始めていると思われます。」
「マズイなぁ。」
「スィ。有名人なので、なおさら長老達が神経質になっているようです。」

 テオはピアニストのロレンシオ・サイスが”ヴェルデ・シエロ”であったことに驚いた。それを告げると、ステファンも頷いた。

「私も知りませんでした。私だけでなく、長老達の殆どがご存知なかったのです。」
「サイスはミックスなのか?」
「そうらしいです。片親が”ティエラ”で片親が”シエロ”であると聞きました。ただ”シエロ”の父親が認知していないのです。サイス自身もウェブサイトのプロフィールで母子家庭で育ったと書いています。父親は彼の養育に関わってもいなかったようで、サイスは恐らく自分が”シエロ”だと言う自覚がないのです。」
「それじゃ・・・」

 テオは考えた。

「君のところに偽りの目撃証言を伝えに来た女子学生は何者だい? ただの見間違いだったのか? それともサイスを庇って情報の撹乱を試みたのか? それだとしたら、彼女はサイスが”シエロ”だと知っていることになるが・・・」

 ステファンが溜め息をついた。

「ビアンカ・オルティスとサイスの関係を調べる時間はあまりないと思います。”砂の民”が本当に動いているとしたら、今この瞬間でもサイスは危険な状況にいることになります。」
「それじゃ、俺がオルティスを調べてみよう。」

 ステファンが携帯電話を出した。ビアンカ・オルティスがジャガーの目撃証言をした時の音声を録音してあったのだ。テオはその声を聞いて記憶した。

「彼女の話し方にはアスクラカン周辺の訛りがあるね。」

 アスクラカンはグラダ・シティからルート43を通ってエル・ティティに向かう途中にある地方都市で、セルバ共和国では3番目に大きな街だ。ジャングルを開墾して出来た農地の中にある。都市と言っても農産物の取引が主な産業で、工場や観光地はなかったので国外では知名度がほとんどない。ただ大きなバスターミナルがあって、セルバ人が自国を地上で東西に移動する時はアスクラカンで乗り換えたり、途中下車して休憩するのが普通だった。だからバックパッカーはそこそこ多かった。

「流石ですね、テオ。貴方の聴力の良さは私以上です。」

 ステファンが素直に褒めた。テオは照れ笑いした。

「いや、エル・ティティとグラダ・シティの往復でいつもアスクラカンのターミナルを経由するからさ。あそこで売っているパイナップルジュースをよく買うんだ。ジューススタンドのお姉さんがひどく訛ってるんだよ。」


 

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