2021/10/13

第3部 隠された者  2

  テオは出張の疲れが出たので、ビールを一本空けるとシャワーを浴びて寝てしまった。カルロ・ステファン大尉は彼が寝室で寝息を立て始めたのを確認してから、上着を着て、武器などの装備を身につけた。静かに玄関のドアを開き、外に出て施錠した。そしてマカレオ通り3丁目第3筋に向かって歩き出した。満月が過ぎたが、月はまだ丸い。彼は気を抑制していた。以前はコントロールが出来なくて放出しっ放しだったので、よく犬に吠えられた。いや、犬に吠えられた時は大概気力が弱っている時、母親に叱られた日や喧嘩で負けた日だった。気分が高揚していた時は気力が強かったのだろう、犬の方が怯えて吠えるどころか尻尾を巻いて縮こまっていたのだ。今の彼は普通の人間並みに制御出来ている。犬たちは民家の庭で道を通り過ぎる彼を眺めている。中には尻尾を振っているヤツもいた。

 こいつらと話が出来たら、ジャガーの正確な位置がわかるのにな。

 と彼は思った。雨季が近いせいか空気が湿っていた。だが雨にはなるまい。”雨を降らせるもの”と呼ばれたジャガーは雨が降る時をほぼ正確に察知する。降らせることは出来なくても、降るか降らないかはわかるのだ。
 3丁目の通りに来ると、前方に人影が見えた。ステファンは静かに歩調を変えずに近づいて行った。第1筋、第2筋と通り過ぎて行く間、その人影は1軒の家の前を行ったり来たりしている様子で、近づくステファンには気がついていなかった。
 女だった。ビアンカ・オルティスだ、と彼は判別した。彼はわずかばかり気を発してみた。側の植え込みの中でトカゲか蛇がいたのだろう、ガサリと音をたてて何かが逃げた。同時にオルティスがビクリとして振り返った。タイミングからして植え込みの音を聞いて驚いたのではない。ステファンが気を発したので驚いたのだ。
 数秒間暗がりの中で彼と彼女は互いの姿を見つめ合った。目は合わさない。ステファンは彼女が”ヴェルデ・シエロ”だと確信した。夜目が効いている。彼は低い声で尋ねた。

「こんな時間にそんな所で何をしているのだ?」

 オルティスは彼をグッと睨みつけたが、すぐに視線を逸らし、山側の二階建ての家に顔を向けた。ステファンもチラッとその家を見た。ピアニストのロレンシオ・サイスの家だ。人気アーティストの自宅らしく塀が高く、監視カメラも付いている。周囲の家々の3倍の広さはあるだろう敷地の奥に家があった。家は暗く、住人は就寝しているか留守なのだ。エミリオ・デルガド少尉の報告では、サイスは自宅にいると言うことだった。昼間近所の店でメイドが買い物をしたり、本人が庭でサッカーの真似事をしているのを目撃したと言う。
 ステファンはオルティスにもう一度声をかけた。

「こんな時刻にここにいるとストーカーか泥棒だと思われる。それにジャガーも出没する。」

 オルティスは無言で彼を振り返り、やがて通りの反対側に止めてあった自転車に歩み寄った。彼女は自転車を起こすと押しながら彼の側へやって来た。

「ロレンシオは無知なのよ。」

と彼女は言った。

「彼は自分に何が起きたのかわかっていない。だから・・・」

 彼女は自転車にまたがった。そして懇願の口調で言った。

「見逃してあげて。」

 彼女は地面を蹴り、自転車で走り去った。
 ステファンは彼女の姿が遠ざかって行くのを眺め、再びロレンシオ・サイスの家を見た。先刻の彼が発した気を感じた様子は伺えなかった。周辺の動物達も気がついていない。
 彼はサイスの家があるブロックをゆっくりと周回してみた。特に変わった気配はなかった。サイスの家の裏手に小さなロータリーがあった。中央に生えている大木を切りたくないので残してロータリーを造った、と言う感じの道の構造だった。彼は大木の周囲をぐるりと周り、それから木の上に素早くよじ登った。地面が傾斜しているので、それほど高い位置に登らなくとも目的の家の中が見えた。彼は枝の分かれ目で主幹にもたれかかり、枝にまたがる姿勢でサイスの家を監視した。
 夜明け近く迄そこでそうしていたが、結局動きはなかった。早起きの労働者が出てくる前にステファンは木から下りてマカレオ通りのテオの家に戻った。家の中に入ると玄関を施錠して浴室に行き、さっと水を浴びた。そしてリビングのソファの上で横になった。


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