2021/10/28

第3部 隠れる者  18

  ステファン大尉はロレンシオ・サイスに水を汲んでやり、デルガドには冷蔵庫から勝手に出したソーセージを与えた。大統領警護隊の朝食は豆が中心なので、デルガドは喜んで肉の塊に齧り付いた。
 ステファンはサイスの向かいに座ると、ピアニストが水を飲んで気分を落ち着かせるのを待った。

「人間がジャガーになるなんて、御伽噺だと思っていました。」

とサイスが小さな声で言った。普通の人はね、とステファンは応じた。

「ただ、このセルバには、古代、”ヴェルデ・シエロ”と名乗る種族がいました。勿論、人間ですが、今で言う超能力を持っていて、祭祀の時にジャガーやマーゲイなどの動物に変身したり、目と目を見つめ合うだけで意思疎通を図ることが出来たのです。やがて超能力を持っていない種族が増えてくると、彼等は普通の人間を”ヴェルデ・ティエラ”と呼び、超能力で支配しました。”ティエラ”は”シエロ”を神として敬い、畏れ、神殿に住まわせ奉仕しました。"シエロ”は奉仕の見返りに超能力で”ティエラ”を外敵から守護したのです。”シエロ”は人口が少なく、超能力の強さと反比例して繁殖力が弱く、やがて長い歴史の中で”ティエラ”の中に埋もれていきました。
 今私が話したことは、セルバ共和国の学校や博物館で教えている内容ですから、セルバ人なら誰でも知っています。」
「神話を学校で教えるのですか?」
「神話ではなく、歴史です。考古学では、遺跡を研究して”シエロ”が実在したことを証明しようと躍起になっている学者もいます。大事なのは・・・」

 ステファンはデルガドを見た。少尉はまだ窓の外を眺めている。外に異常はない様だ。

「”シエロ”は歴史の中に存在を埋もれさせただけで、決して滅亡した訳ではないと言うことです。」
「それじゃ、超能力者がまだこの国にいる?」
「我々は自身を超能力者とは思っていませんが。」

 ステファンに見つめられて、サイスはドキドキした。ステファンもデルガドも私服姿だが、身のこなしは確かに軍人だ。大統領府の正門を守る儀仗兵は大統領警護隊だ。サイスはセルバに引っ越して来て、最初に観光したのだ。その時にガイドに言われた。セルバ共和国では、警察よりも軍隊よりも大統領警護隊が一番強くて頼りになる、しかし絶対に彼等の機嫌を損ねてはならない、と。

「貴方達、大統領警護隊は、”シエロ”なんですか?」
「大統領警護隊が”シエロ”であると知っているのは、”シエロ”だけです。」

 ステファンは早く本題に入りたかった。

「一般人は”シエロ”は大昔に絶滅したと信じています。ただ、神様として彼等の土着信仰に残っている。セルバ人の多くは、大統領警護隊はシャーマンの軍隊の様なもので神と話が出来ると信じているのです。」
「・・・」

 急にそんな話をされても理解しろと言うのが無理だ。サイスが黙り込んだので、ステファンは己の説明がまずかったかな、と不安を感じた。しかしここで止める訳にいかない。

「”シエロ”はジャガーなどに変身して、仲間に一人前の”シエロ”として認められます。変身するのは特別な儀式の時や、どうしても姿を変えなければ自身の命が危ない時だけです。当然ながら、世間の人に見られてはいけない。もし1人でも世間の人に見られてしまえば、古代から秘密の中で生き延びてきた一族全体が危険に曝されます。お分かりですか?」

 俯き加減になっていたサイスが顔を上げた。

「僕が変身したことで、その・・・隠れている神様が危険に曝されたと言うことですか?」

 ステファンは無言で大きく頷いた。サイスの目に再び恐怖の色が現れた。

「僕は何も知らなかった。ただドラッグをやって、酔っただけです。本当にジャガーになったのかどうか、記憶もはっきりしないんです。」
「ジャガーの足跡がこの付近の民家の庭に残っていました。有刺鉄線に体毛と血が付着していました。どこか体を怪我しましたね?」
「月曜日の夜、脇腹に引っ掻き傷が出来ていました。」
「他に変わったことはありませんでしたか? 例えば目・・・」
「鏡を見たら、猫の目になっていて・・・だけどドラッグをやったから・・・」
「貴方はドラッグで変身してしまったのです。我々は市民の通報で出動しています。市民は本物の動物のジャガーが現れたと思っています。危険だから捕まえて欲しいと言う通報です。しかし我々”シエロ”は、こんな都会の真ん中に現れたジャガーが動物である筈がないことを知っています。貴方が掟を知っているセルバ人の”シエロ”なら、我々は貴方を逮捕して然るべき処罰を受けさせることになります。しかし貴方は北米人だ。」
「そうです、僕はアメリカ人です!」

 声を大きくしてから、サイスは突然ある考えに漸く至った。

「死んだ父はセルバ人でした。父が”シエロ”だったのですか?」
「その通りです。我々は貴方の父上の親族を調査しました。何故貴方の父上が貴方を”シエロ”として養育しなかったのか、理由を探る必要があったのです。」
「どんな理由ですか?」

 ステファンは少し躊躇った。親族に認めてもらえない事実を告げるのは残酷だ。しかし誤魔化す理由がないのだ。


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