2021/11/28

第4部 嵐の後で     7

  セルバには、欧米のようなスーパーマーケットはないが、大きな建物の中にいろいろな店舗が入っているメルカド(市場)がある。テオは研究室の片付けを終えると、大学のカフェがまだ休業していたので、街に出た。一番近いメルカドへ行き、入り口でカートを調達すると、それを押しながら中を歩いた。ハリケーンの影響で海鮮を売っている店は閉まっていたが、八百屋や精肉店は既に店を開けていた。馴染みの店で値段交渉をして、揚げパン屋で昼食を済ませた。その日の夕食の食材を調達した。アスルが作るか彼自身が作るか、それは関係ない。その日食べる物を買うだけだ。支払いを済ませた商品をカートに入れて行く。未払いの物はカートに入れてはいけない。それがセルバのルールだ。
 3軒ある果物屋の中で一番大きな店の前で、アリアナ・オズボーンとバッタリ出会った。正直なところ、テオは驚いた。

「帰国は明日じゃなかったか、アリアナ?」

 アリアナがちょっと顔を顰めた。

「会うなり最初の言葉がそれ?」

 そして説明した。

「カンクンのアパートを引き払って飛行機に乗るまでホテルに泊まるつもりだったの。でもハリケーンが来るって言うので、満室になってしまったのよ。途方に暮れかけたら、今度はキャンセル待ちを入れておいた二日早い便に空席が出来たって航空会社から連絡が入ったの。乗らないとハリケーンが来てしまうでしょ? 泊まる所もないのに。だから乗っちゃいました。」
「すると、グラダ空港に着いたのは昨日か?」

 テオは呆れた。一番風雨が強かった時ではないのか? 

「風が出る直前に到着したのよ。」

とアリアナがちょっぴり自慢げに言った。

「でも雨がひどくなって、タクシーも来ないし、こっちのホテルも塞がってしまったから、どうしようかとターミナルビルの出口で迷っていたら、女神様が通りかかったの。」

 テオは黙って彼女の顔を見つめた。気のせいか、アリアナは彼が最後に彼女を見た時より逞しく見えた。以前は不安と不満に苛まれて頼りない雰囲気だった。孤独感と焦燥感で心から疲弊して見えた。しかし、一年半のメキシコでの一人暮らしで、彼女は強くなって戻ってきた感じだ。
 テオが黙っているので、彼女は種明かしをした。

「ケツァル少佐が仕事を早退きして、市内を巡回していたの。何処かに守護の不具合が出ていないかチェックしていたんですって。彼女が先に私を見つけて、車を止めてくれたの。貴方と同じように、帰国は2日後の筈では?って聞かれたので、さっきの説明をしたら、うちに来なさいって言ってくれたの。それで彼女の車に乗せてもらって、市内巡察を付き合って、そのまま彼女のアパートへ行って、泊めてもらった訳。」
「俺に連絡をくれれば、迎えに行ったのに。」

とテオは言ったが、内心は少佐に感謝していた。彼の家にはアスルとデルガドがいたのだ。アリアナの場所がない訳ではなかったが、狭い家に4人でハリケーンをやり過ごすのはそれなりに気苦労があったかも知れない。第一アリアナとデルガドはまだ会ったことがないし、アスルは以前アリアナに片思いをしていた。(今はどうなのか、不明だが。)
 アリアナは肩をすくめた。

「懐かしくて、2人でお喋りに夢中になって忘れたのよ。」

 彼女はテオのカートを見た。

「たくさん買うのね。」
「同居人の分も買ったからね。」

 ああ、とアリアナは以前電話で聞いたアスルの下宿の件を思い出した。

「要するに、私の居場所がない訳ね。」
「済まない。君の新しいアパートを探すつもりでいたら、ハリケーンが来たんで忘れてしまった・・・」

 テオもアリアナのカートの中身を見た。大量の野菜と果物と肉の包みが入っていた。これは現在の「家主」の食べる分だろう。

「今夜も少佐のアパートに泊まるのかい?」
「スィ。まだ家政婦さんは来られないのよ。子供の学校が再開されるまで家にいるのですって。だから、私が家事を引き受けたの、宿泊費の代わりにね。」
「少佐は、今・・・」
「今日は一日寝ているわ。昨夜祈祷して疲れたんですって。大統領警護隊って、自然災害の時は祈祷も任務になっているのね。」

 アリアナが遠くを見る目になった。テオは彼女がカルロ・ステファンを思い出したのかと思ったが、実際はそうではなかったと後で知らされることになる。


 

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