2021/11/22

第4部 嵐の後で     4

  大統領警護隊本部の祈りの部屋にアンドレ・ギャラガ少尉が入ると、既に室内は非番の警備班隊員や遊撃班隊員で鮨詰め状態になっていた。男女入り混じっており、皆床の上に直に座って目を閉じ、瞑想状態に入っているのだった。静かだ。そして空気が冷たい。
 ギャラガは戸口で隙間を探して室内を見回した。突然、後ろから何者かに襟首を捕まれ、引っ張られた。驚いて振り返ると、仮面を被った長老だった。誰なのかは不明だ。長老は仮面を被ると決して己の身元を明かしたりしない。
 仮面のせいで聞き取りにくい低い声が囁いた。

「グラダはこっちだ。」

 長老が襟首から手を離したので、ギャラガはホッとした。そして貫頭衣を着用した長老の後ろをついて行った。
 ハリケーンがセルバ共和国を直撃する時、必ず大統領警護隊は守護任務として国家安泰を祈る。風と雨の神に鎮まっていただくようお願いするのだ。ハリケーンの規模によるが、今回は「手が空いている者は祈れ」のお達しが出ていた。場所は特に言及されていなかったが、居室ではなく祈りの部屋に多くの隊員達は集まった。居室で祈ると休憩を取らなければならないルーティンの隊員に迷惑をかける。やたらと勢力の大きなハリケーンの場合は、全員に集合が掛けられ、祈る場所も地下神殿の大広間になる。ギャラガは幸いなことにまだ全員集合を経験したことがなかった。今回も「手が空いている者は祈れ」の規模だ。
 しかし、グラダ族としてハリケーンを迎えるのは初めてだった。つまり、グラダとして認定されて初めてのハリケーンだ。グラダと他の部族で祈りの場所が違うのか、と未知の体験に彼は緊張した。
 長老は彼を地下へ導いた。地下へ降りるのは入隊式以来だ。普段は佐官以上の階級の者しか降りられない場所だ。尉官の隊員が降りる時は上官の許可をもらうか、よほどの理由がなければ立ち入りを許されない。
 大広間では火が焚かれていた。山羊の匂いがした。ギャラガの血が騒いだ。気が動いたのだろう、長老が振り返った。

「まだだ。」

と長老に制された。大広間を縦断し、奥の扉の前に立った。ギャラガにとって未知の場所だ。長老が扉を押した。冷たい空気が流れ出て来た。山羊の匂いが強くなり、不快なほどだ。
 扉の向こうは、さらに広い空間が広がっていた。沢山の篝火が焚かれ、山羊の脂の匂いが充満していた。 中央に祭壇があり、そこに白い人影が見えた。

ーー見てはならぬ

 脳の奥で声が聞こえた様な気がした。ギャラガは慌てて目を伏せた。

 名を秘めた女の人だ

 入り口から入って10メートルほどのところの床に、裸の男が座っていた。その体格に見覚えがあった。エル・ジャガー・ネグロ、すなわちカルロ・ステファンだ。彼はギャラガが入室しても振り返らなかった。既に瞑想に入っているようだ。
 ギャラガは後ろで扉が閉まるのを感じ、そっと振り返った。長老は姿を消しており、扉の横にきちんと畳まれたステファン大尉の軍服と軍靴が置かれているのが目に入った。
 ギャラガは何をすべきか悟った。すぐに彼も服を脱いで畳み、靴も脱いで、ステファンの衣類の横に置いた。生まれたままの姿になると、先輩の隣に座った。

 

 ケツァル少佐はアリアナ・オズボーンが客間のベッドで眠りについたことを確かめると、静かにアパートの部屋を出た。エレベーターはいつ止まっても不思議ではない夜だ。彼女は階段を登り、屋上へ出る扉がついた最上階の小部屋に到着した。誰も付けて来ていないと確信する迄少し時間を置き、それから彼女は着衣を脱いだ。


 グラダ・シティの地表温度が10度低下し、周辺の東海岸地方のそれも3度から6度ほど一気に低下した、と某国の気象衛星は観測した。急激な地表温度低下によって、ハリケーンの勢力がやや削がれたことは、観測史上の大きな謎だった。どのハリケーンもセルバ共和国に接近すると勢力が衰えるのが常だった。


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第11部  紅い水晶     19

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