2021/11/22

第4部 嵐の後で     3

  大きな開放的な窓の向こうは真っ黒な雲に覆われ、視界がほとんどなかった。時々稲妻が走るのが見えた。ケツァル少佐はブラインドを閉めた。閉めても閉めなくても部屋の中は暗い。
バスルームからTシャツと短パンの上にバスローブを羽織ったアリアナ・オズボーンが現れた。髪がまだ湿っていた。

「シャワーのおかげで生き返った気分よ、グラシャス、シータ。」

 少佐がソファにクッションを並べた。

「今夜はカーラが来られないから、私が夕食を作りました。味はあまり期待しないで下さい。」
「貴女の煮豆は世界一だって、皆が言ってるわ。」

 アリアナはソファに腰を下ろした。テーブルの上には既に料理が並んでいた。煮豆に焼いたチキンと焼いた野菜の盛り合わせ、トルティージャ。

「私もセルバ料理を本格的に習わなきゃ。」
「メキシコ料理は作れるのでしょう? それで十分じゃないですか?」
「でもセルバ人なんだから、セルバ料理は作れなきゃ。」

 アリアナ・オズボーンは一年半のメキシコでの病院勤務を終えて帰国したばかりだった。当初は半年の予定でカンクンの病院に出向したのだ。しかし、出向先の病院でよく働いたので、「あと半年」「もう半年」と先方の要請で結局一年半も経ってしまった。流石に本人はセルバ共和国の国民として来ているのに、セルバの市民権を取ってセルバに住んだのが半年しかないと言うことが気になってきた。アメリカ合衆国から亡命したのに、すぐ隣にいると言うのも気掛かりだった。セルバ共和国の方が彼女には安全なのだ。それに・・・

「本当に、彼と結婚するのですか?」

 少佐がまだ信じられないと言った表情で、彼女の向かいに座った。アリアナははにかんだ笑みを浮かべた。

「私、異性関係が派手だったから、自分でも信じられないんだけど、でも彼とのことは真剣です。」

 彼女は薬指にはめた指輪を少佐に見せた。

「私がちゃんとセルバの秘密を守って真面目に勤務しているかどうか、彼は月に1回カンクンに通って監視していたんですよ。」
「本当に監視していたのですか?」

 少佐が揶揄い半分で尋ねた。アリアナが笑った。

「真面目な人だから、彼を揶揄わないでね、私は良いけど。」

 そしてフッと心配気な表情になった。

「テオもきっと信じないわよねぇ・・・」
「心配ですか?」

 少佐が彼女の顔を覗き込んだ。アリアナは苦笑した。

「彼、私がまだカルロを思っていると信じているのよ。だから私が新しい恋をしても、彼への片思いを誤魔化すためだと思っている。私だって前に進んでいるってことを、考えつかないのね。確かに、今の彼氏はカルロに比べるとパンチが弱いかも知れないけど、私の仕事を理解してくれるし、私の気持ちもわかってくれる。」
「スィ、彼は紳士です。私は受け合いますよ。」
「それに、別のことでテオは反対するかも知れない。」

 アリアナは少佐の目を見た。

「彼は、私が人工の遺伝子組み換えで生まれた人間だから、”ヴェルデ・シエロ”との間に子供を産むべきじゃないって思っている。」

 少佐の表情が曇ったので、彼女は思わずテーブルの上に手を伸ばして、少佐の手を掴んだ。

「そんなこと、産まなきゃわからないわよね? 絶対に普通の子供が生まれるわ。普通の”ヴェルデ・シエロ”と白人のハーフが生まれるわよ。そうよね?」

 少佐が彼女の手を握り返した。

「私もそう信じます。」

 その時、室内が真っ暗闇に陥った。アリアナが息を呑んだ。少佐が言った。

「停電ですね。すぐにアパートの自家発電に切り替わりますよ。」

 彼女の言葉通り、1分も経たないうちに照明が生き返った。
 少佐が、フォークを持ち直した。

「自家発電は12時で消灯です。早く食べてしまいましょう!」





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