2022/01/26

第5部 山の向こう     5

  宿舎に帰ると、2人の院生はそれぞれの部屋で真面目に日中のサンプル採取に関するレポートを作成中だった。テオは彼等の邪魔をしないように、静かにキッチンで湯を沸かして体を拭き、ベッドに入った。
 キロス中佐がバスを崖から落とした説はどうしても考えたくないが、アスクラカンに彼女がいた時期がはっきりしないことには彼女の無実も考え辛い。今もバスが崖から転落した原因は不明だ。道幅が狭い未舗装の道路だったが、バスの運転手はベテランだったと聞くし、天候も良かったと聞いている。テオを含めた37名の乗客の数も定員オーバーではない。もっと詰め込みで客を乗せて走るバスはいくらでもあった。車両故障か、運転手の突然の病気発症か、それとも何者かの破壊行為か、とゴンザレス署長は捜査したが、転落の衝撃で破壊され、焼け焦げたエンジンや車体から何も手がかりを掴めなかった。
 テオは己がエンジェル鉱石が売却した血液から発見された超能力者かも知れない人間に会いに行ったのだろうと言う、セルバ渡航の動機を捨てていない。その動機を何らかの経緯で”砂の民”が知って、彼の暗殺を図ったのだとしたら、と考えたこともあった。しかし基本的に”ヴェルデ・シエロ”達は自身の存在意義を「セルバ国民を守護する」ことに置いている。”砂の民”がテオ以外の37名を殺害してでも彼を暗殺しようとしたとは考えられない。寧ろ彼を生かしても構わないからバスを救おうとした筈だ。
 色々考えが頭の中を駆け巡り、テオはそのまま訳のわからない夢を見ながら眠った。だから翌朝目覚めた時は、頭がボーッとしてしまった。カタラーニが、気分が悪ければ一人で採取してきます、と言ったので、彼はガルドスと一緒に行ってみれば、と提案した。ガルドスも診療所ばかりで採取していても人数を稼げないだろうし、村の中の様子を見て歩くのは悪くないだろうと。ガルドスも彼の提案に喜んで同意したので、カタラーニはちょっと照れながらも女性と2人で歩くことにした。
 若い2人が出かけると、テオは朝食の後片付けをして、身支度した。キッチンのテーブルで採取した検体の分類整理をしてラップトップにデータを入力していると、ステファンからメールが入った。1030にオフィスへ来て欲しいと言う内容だった。キロス中佐は話が出来る状態らしい。テオは少しだけ安心した。
 入力作業を済ませ、サンプルが入っている冷蔵庫の電源が切れていないことをチェックして(地方ではよく停電が起きる。)約束の時間に太平洋警備室に出かけた。
 オフィスではガルソン大尉一人が机で仕事をしていた。パエス中尉は前日修理したエンジンを沿岸警備隊へ届けに行ったのだと言う。ラバル少尉はいつもの様に港湾施設のパトロールに出かけており、ステファン大尉とフレータ少尉は食材購入に出かけている。
 大尉はテオと挨拶を交わすと、奥のドアの前へ行き、ノックした。そしてドアを少し開いて中の人に声をかけた。

「ドクトル・アルストがお見えです。」

 そしてテオには中の人の声が聞こえなかったが、大尉は頷いて、テオに中へどうぞ、と手を振った。それでテオは奥の事務室に入った。
 薄暗い室内の執務机の向こうに、一見70歳かと思える様な疲れた顔の女性が座っていた。テオが「ブエノス・ディアス」と挨拶すると、彼女も同じ言葉で返礼した。そしてミイラの様にやせ細った手を持ち上げ、椅子を指差した。

「どうぞおかけになって・・・」

 消え入りそうな低い声だった。テオは椅子に座った。中佐が息を吸い込み、それから言葉を発した。

「ガルソンとステファンから話を聞きました。3年前の私の行動についてお聞きになりたいと。」

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第11部  紅い水晶     19

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