テオはキロス中佐の現状に部下が心を痛めていることは言わなかった。その代わりに、3年前にアスクラカンに行ったことを覚えていますか、と尋ねた。
キロス中佐はボーッと前方を力のない目で見ていた。それから、ゆっくりと答えた。
「覚えています。バルセル医師を追いかけて行きました。」
「バルセル?」
「エンジェル鉱石の産業医でした。」
スペインっぽくない名前だが、この際医師の先祖が何処の国の出身かは問題ではない。テオは誘導したくなかったが、中佐があまり喋りたがらない様子なので、ガルソン大尉から聞いた話をしてみた。
「エンジェル鉱石が健康診断で集めた従業員の血液をアメリカに売却していたことを知って、貴女はバルセル医師にその真偽か目的を追求しようとされ、アスクラカン迄追いかけたのですか?」
キロス中佐は反応しなかった。言いたくないのか、それとも意識が飛んでしまったのか。目は虚空を見ていた。テオはどう話を進めるべきか考えた。
「貴女はバルセル医師に会われたのですか?」
「ノ。」
今度は即答だった。
「会えなかったのですか? 会わなかったのですか?」
答えが直ぐに返って来なかったので、別の質問をしようと考えかけると、中佐が呟いた。
「会えなかった。」
テオは彼女の視界に入るように椅子の位置を少しずらした。
「どうして会えなかったのですか?」
キロス中佐がギュッと眉を顰めた。何か不愉快な記憶が蘇った様だ。そして片手を額に当てた。頭痛でもするのか下を向いてしまった。テオは優しく声をかけた。
「水をお持ちしましょうか?」
返事がないので、彼は立ち上がり、戸口へ行った。キロス中佐が後ろで何か呟いた。彼は振り返った。中佐は体を前に折り曲げ、苦痛に耐えている様に見えた。
テオは急いでドアを開けた。ガルソン大尉がパソコンで作業中だったが、素早く振り返った。テオは彼に伝えた。
「中佐は気分が悪い様です。指導師かセンディーノ医師を呼んだ方が良いでは?」
ガルソンが立ち上がり、中佐の部屋を覗き込んだ。中佐の状態を確認すると、彼は携帯を出して誰かにかけた。
「ステファン、オフィスに戻ってくれ。指導師が必要だ。」
その時、キロス中佐が顔を上げた。彼女が何か言ったが、テオには理解出来ない言葉だった。ガルソン大尉がギョッとした表情になった。彼は”ヴェルデ・シエロ”の言葉で彼女に言葉をかけた。中佐が頭を両手で抱え、首を振った。
オフィスのドアが勢いよく開き、ステファン大尉が駆け込んで来た。
「どうしました?」
「中佐を診てくれ。」
テオとガルソン大尉がほぼ同時に同じことを言ったので、彼は急いでオフィスを横切り、指揮官の部屋に入った。テオには、彼が一瞬何かに押し戻されかけた様に見えた。しかしステファンは両足を踏ん張り、それから力強い足取りで前に進んだ。
「中佐、どうされました?」
キロス中佐は再び何かを言った。テオにステファンは背を向けていたので、テオは彼がその時、どんな表情をしたのか分からなかった。ステファンは優しい声根で指揮官に話しかけた。彼等の母語だったので、テオには理解出来なかった。だがステファンが机を回り込み、キロス中佐の上半身をそっと抱き締めた時、あまり驚かなかった。ステファンは指導師としての治療行為を行なっているのだ、とわかった。ステファンがオフィスの方へ顔を向けた。次の瞬間ドアがバタンと音を立てて閉まった。誰が閉めたのか分からなかったが、テオは指導師の仕事が見られないと悟った。
ステファンの席に行って椅子に腰を下ろすと、ガルソン大尉が声をかけて来た。
「何か分かりましたか?」
「何も・・・」
テオは溜め息をついた。
「中佐がエンジェル鉱石の産業医だったバルセル医師を追ってアクスラカンに行かれたことは分かりました。でも医師に会えなかったそうです。その理由を訊こうとしたら、中佐の気分が悪くなった様です。」
するとガルソン大尉が頷いた。
「私が訊いた時も同じでした。アスクラカンでの出来事を訊くと、あの様な症状が出るのです。」
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