2022/02/15

第5部 山の街     17

  ケツァル少佐が昼休みの直前にメールを送って来た。

ーーちょっと出かけませんか? 歩いて行ける距離ですが。

 ただそれだけの内容だ。デートなどではない、と思いつつもテオは心が躍った。大統領警護隊文化保護担当部と行動を共にすることは、いつも楽しい。その相手が少佐だと最高だ。どんな酷い状況でも我慢出来る。彼は返信した。

ーー出口で待っている。

 急いで研究室を施錠して出かけた。徒歩10分の距離、と言っても、実は大学のキャンパスはそれなりに広いので、門まで歩くと時間がかかる。15分かけて文化・教育省の出入り口に到着した。幸い少佐は彼が到着してから2分後に現れた。いつものカーキ色のTシャツにデニムパンツ。本日は一日中事務仕事です、と言う日のスタイルだ。荷物はハンドバッグではなく斜め掛けバッグだ。多分、財布と拳銃が入っている、とテオは予想した。
 彼女はテオを見ると、立ち止まりもせずに、「来い」と手で合図した。やっぱりデートではない、と心の中で苦笑しつつ、テオはついて行った。
 通りを横断して、ビルとビルの間を抜け、複雑な迷路の様な細い道を歩いた。市街地の中ほどにこんな迷宮の様な場所があるなんて意外だった。テオは己のグラダ・シティに対する知識がまだまだなことを痛感した。毎日通う職場の目と鼻の先だ。
 10分程歩いて、不意に開けた空間に出た。ビルに囲まれた四角い平地で、地面はコンクリート敷きだった。歩いて来た道の反対側に自動車2台分の幅の道路が伸びていた。その先はどこかの大通りだ。
 空間を囲む3辺は壁だったが、1辺はガレージで、自動車修理工と思われる男女が数台の車に取り組んで修理をしたり、塗装を行なっていた。テオはそれらの車が軍用車両であることに気がついた。車体に緑色の鳥の絵が描かれている車もあった。
 それに気を取られていると、一人の軍服姿の男性が近づいて来て、ケツァル少佐の前で立ち止まり、敬礼した。少佐も敬礼を返したので、テオは振り向き、その男の顔を見て、思わず笑顔を作ってしまった。

「ガルソン大尉!」

と呼んでしまってから、相手が降格された身であることを思い出して、焦った。

「・・・じゃなかった、ガルソン中尉。 ブエノス・タルデス!」

 肩章の星が一つ減ったガルソン中尉が微笑して、彼にも敬礼した。

「ブエノス・タルデス、ドクトル・アルスト。」

 大統領警護隊警備班車両部に転属させられた、と聞いたことをテオは思い出した。

「ここは貴方の職場ですか?」
「ノ、今日は車の部品調達です。普段は本部内の車両整備場にいます。」

 ガルソンが近くの修理工達の休憩所らしき場所に置かれている椅子へテオと少佐を案内した。

「貴方にもう一度お会いして、お礼を言いたかったのです。それで副司令にお願いして文化保護担当部に連絡をつけて頂きました。勿論、文化保護担当部にもお礼を言いたかったのです。」
「お礼って?」
「キロス中佐の名誉と命を助けて頂きました。そのお礼です。」

 サスコシ族のディンゴ・パジェが逮捕後に事件の真相を全て白状した。白状したと言うのは不正確だ。司令部幹部達の強力な読心能力によって、ディンゴはカロリス・キロス中佐に対して行なった気の爆裂による攻撃と、路線バスを転落させ、己の関与を隠す為に目撃者となり得た乗員乗客37人を焼き殺したことを認めざるを得なかった。
 被害者であることが判明したキロス中佐は降格を免れたが、退役せざるを得なかった。事件の発端が彼女が個人的な感情を制御出来なかったことにあったからだ。しかしガルソンは彼女が中佐の身分のままで退役出来たことを喜んでいた。そして彼女が極刑を免れたことに安堵していた。
 ケツァル少佐が感情を抑えた顔で彼に質問した。

「ご家族はどうされています?」

 ガルソンの微笑みが柔らかくなった。

「妻子は私について来てくれました。警備班なので私は官舎住まいですが、彼等は軍関係者が多く住むトゥパム地区に部屋を借りられたので、そこに住んでいます。警備班の家族持ちは2週間に1日休みをもらえるので助かっています。」

 テオは安心した。少なくともホセ・ガルソンの家族は離散せずに済んだのだ。ケツァル少佐もやっと微笑を浮かべた。

「トゥパム地区には大統領警護隊の隊員の家族が多いので、奥様とお子さんも早く慣れてお友達が出来ると良いですね。」
「グラシャス。」

 テオはパエス中尉、いや、パエス少尉のことも気になったが、恐らくガルソン中尉には元部下の近況は知らされていないだろう。
 また機会があれば、一緒にバルで一杯やろうと言って、テオはガルソン中尉と別れた。
 再び来た道を辿って帰った。

「彼等が再び出会うことはないんだろうな。」

とテオは呟いた。少佐は否定も肯定もしなかった。ただ彼女はこう言った。

「失った信頼をいつか取り戻せたら、彼等はもっと自由に活動出来るでしょう。」

 彼は溜め息をついた。

「俺は事故の原因がわかれば少しは楽になるかと思ったが、運が良くて一人だけ生き残ったと知ったら、また悲しくなった。」
「何故です?」

 少佐が彼の顔を覗き込んだ。

「今生きていることを感謝して、喜ばなければいけません。37人の命の分だけ、貴方は人生を楽しむべきです。」

 テオは彼女を見た。罪人の子として牢獄で生まれた事実を知った時、彼女は確かに落ち込んでいた。しかし、すぐに気を持ち直し、元気を取り戻した。今では誇り高く僅か3人のグラダ族の族長として生きている。
 テオは囁いた。

「君がキスをしてくれたら、人生を楽しもうって気分になれるかな。」
「試しますか?」

 少佐が悪戯っぽく微笑んだ。

 


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