2022/03/29

第6部 七柱    17

  午後、シエスタが終わり、大統領警護隊文化保護担当部は業務に励んでいた。マハルダ・デネロス少尉も大学から戻り、机の前に座るとパソコン相手に担当する仕事に精を出した。フィデル・ケサダ教授が現れたのは、午後4時半頃だった。申請書に署名をしていたケツァル少佐は頭の中で名を呼ぶ声を聞き、顔を上げた。階段を上った所で教授が立っており、彼女と目を合わせると無言で顎を振り、「来い」と合図した。彼女は立ち上がり、ロホに”心話”で席を外すことを伝えた。彼女がケサダ教授の呼び出しを受けたと知って、ロホは不安になった。教授の娘と話をしたことが父親の怒りを買ったのか、それともムリリョ家の屋敷を覗いていたことがマスケゴ族の長老に知られてしまったのか。少佐は部下の心配をよそに、さっさとカウンターの外に出て、階段を降りて行った。
 雑居ビルの外に出たケツァル少佐は迷うことなくカフェ・デ・オラスに入った。教授は既に席を確保してコーヒーを注文した所だったので、彼女もその正面に座り、コーヒーを頼んだ。

「御用件は?」

 挨拶抜きでいきなり質問した。相手は目上で恩師でもある人だったが、業務中の呼び出しだったので、彼女は時間を節約しようと心がけた。ケサダ教授も単刀直入に質問した。

「今日の昼に、マルティネスとギャラガ、アルストがムリリョ家を見ていたが、何か意図があったのですか?」

 少佐は一瞬考え、そして答えた。

「今日の午前に私はアルストを同伴してロカ・エテルナ社を訪問しました。用件はアブラーン・ムリリョにお聞きになると宜しいですが、モンタルボ教授が襲撃された件です。その時、アルストがロカ・エテルナ社の社屋の形状に興味を持ちました。要件を済ませて文化保護担当部に戻ってから、昼食時に彼がそのことを言うと、マルティネスがマスケゴ族の住宅の形状、特にムリリョ家の屋敷が特徴的だと述べて、昼休みの暇つぶしに男達だけで出かけたのです。
 帰還してから、彼等は楽しいドライブだったと報告しました。その時、お宅のお嬢さんと出会ったそうです。父である貴方のお許しなくアルストが言葉を交わした無礼を、私が彼に代わってお詫びします。」

 教授は腕組みして彼女の返答を聞いていた。頭の中で内容を吟味した様だ。コーヒーが運ばれてきて、2人の前に置かれた。彼は一口コーヒーを飲んでから、口を開いた。

「わかりました。屋敷を見ていたのは、ただ建築に関する興味からだと解釈して宜しいのですね。」
「スィ。立派で美しい、そして風変わりな形状の邸宅を見学に行っただけです。建設会社の経営者らしい、ユニークな形だとアルストが感心していました。」
「オルガ・グランデにあったマスケゴ族の住居はもっと貧しいものでした。博士が生まれ育った生家も廃墟になって残っています。本当に部族の住居を見たければ、あちらへ行かれることです。」

 彼は少佐の目を見た。

ーーアブラーン・シメネスはピューマではないが、怒らせると危険な男です。

 ”心話”で警告を受けた少佐は素直に頷いた。そして面会の要件はこれで終了したかな、と思った。すると、教授はもう一口コーヒーを飲んでから、彼女がロカ・エテルナ社を訪問した件に関して質問してきた。

「モンタルボが襲撃された事件にロカ・エテルナが関わっていたのですか?」

 少佐はアブラーン・シメネス・デ・ムリリョが考古学者の身内に部族の秘密を教えていないことを確信した。言うべきではないかも知れないが、アブラーンが隠したかった秘密などモンタルボの映像には映っていなかったのだ。

「会社ではなく、ムリリョ家の先祖代々の秘密だそうです。」

 微かにケサダ教授の顔に、しまった、と言う色が浮かんだ。訊くべきでなかったと言う後悔だ。だから少佐は彼を安心させるために素早く言った。

「アブラーンは、海に沈んだ古代の町に秘密の建築技法が施されていたと伝え聞いていたそうです。もしその仕組みがわかる様な遺跡であれば、発掘される前に処分したいと思ったらしいのです。しかし、モンタルボから奪った映像に映っていたのは、ただの珊瑚礁と魚、泥を被った石造物の欠片だけでした。珊瑚礁を傷つけたり出来ませんから、文化財遺跡担当課は海底を掘る許可を出していません。ですから、アブラーンはこの件を終了すると断言しました。我々にモンタルボのUSBを返すようにと彼は依頼しました。」

 彼女は試しにケサダ教授に尋ねた。

「貴方もご覧になりますか、海底の映像を?」

 ケサダ教授は「ノ」と首を振った。そして少佐にコーヒーを飲むように手で促した。彼女がコーヒーを口に含んだ時、彼は不意に言った。

「今日あの3人の男達が出会った私の娘は長女のアンヘレスですが、彼女が帰宅して私に『グラダを見つけた』と言いました。」

 ケツァル少佐はもう少しでむせるところだった。 グラダはグラダを見分ける。 それは少佐自身が数年前に入隊間もないカルロ・ステファンを見て、「グラダがいる」と指摘したことを、後に上層部がグラダ族の能力を高く評価して言った言葉だと伝わっていた。彼女がアンドレ・ギャラガを引き抜いた時も、思い出したようにこの言葉が大統領警護隊本部の中で囁かれたのだ。公式には、現在生きているグラダ族は、ケツァル少佐、カルロ・ステファン、そしてアンドレ・ギャラガの3人だけと言うことになっている。
 アンヘレス・シメネス・ケサダは、公式には純血のマスケゴ族と言うことになっている。しかし、父親は、マスケゴ族のふりをして生きている純血のグラダだ。
 少佐はここで誤魔化しても仕方がないと判断した。だからギャラガ少尉からの報告を素直に明かした。

「ギャラガがお嬢さんの気の放出を感じ取りました。マルティネスには感じ取れなかったそうです。」

 ケサダ教授は無言で彼女を見つめ、やがて目元をふっと微かに緩ませた。

「グラダはグラダを見分ける、か・・・。貴女も私が何者なのか知っている訳ですね。」

 少佐は肩の力を抜いた。少なくとも相手を怒らせずに済んだ、と感じた。

「正直に告白しますと、本当に最近迄気がつきませんでした。貴方がビト・バスコ殺害事件でセニョール・シショカの仕事に干渉なさる迄は。あのシショカを戦わずして制圧出来る貴方の強さがどこから来るのだろうと考え、この国で一番強い者の存在に考えが至りました。」
「私は決して強くありません。」

 ケサダ教授は決して彼女に”心話”を要求しなかった。知られたくない心の深淵を覗かれるのを防ぐためだ。

「貴女は長老会のメンバーとイェンテ・グラダ村の廃墟へ行かれた。恐らくそこでオルガ・グランデに出稼ぎに行った3人の村の生き残りの話を聞かれたのでしょう。そして生き残り達が残した子孫の存在を知った。カルロ・ステファンとグラシエラ・ステファン以外の人間の存在です。」

 彼は冷めてしまったコーヒーを飲んだ。

「私は今でも義父の保護下にいます。妻も私の保護者です。そしてアブラーンも私を守ってくれています。私は家族に守られて生きているのです。決して貴女が思っている程強くない。」
「でもお嬢さん達は貴方の力を受け継いでいらっしゃいます。どちらの世界で生きるかを決めるのは、お嬢さん達自身でしょう。」

 少佐は教授が溜め息をつくのを眺めた。そして彼を安心させるために言った。

「貴方のお生まれのことを知っているのは、私以外では、アルスト、マルティネス、そしてギャラガだけです。カルロ・ステファンは知りません。故意に教えていません。あの子は貴方に心を盗まれる迂闊者ですから。」

 プっと教授が吹き出したので、彼女はホッとした。重い空気が払拭された感じだ。教授が彼女に囁いた。

「一つお願いがあります。カタリナ・ステファンに会いたがっている人がいるのですが。」


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