2022/03/30

第6部 七柱    19

  クエバ・ネグラの町に到着したのはお昼前だった。昼食に少し早かったが、営業している食堂を見つけて早めのランチを取った。そしてクエバ・ネグラ洞窟前で自然保護担当課が手配してくれたガイドと落ち合った。ガイドはアニタ・ロペスと言うメスティーソの中年女性だった。テオがシエスタの時間に働かせることを詫びると、彼女は笑って手を振った。

「大丈夫です、私はさっき起きて朝ごはんを食べたところですから。」

 どんな生活サイクルなのかわからないが、彼女は洞窟探検用のヘッドライト付きヘルメットと長靴、蛍光マーカー付きのパーカーをテオと少佐に貸してくれた。
 洞窟内は静かで、気温が低かった。夜目が効く”ヴェルデ・シエロ”の少佐はヘッドライトを必要としないが、普通の人間のふりをして、ガイドとテオの間を歩いた。本当は先頭か殿を歩きたいだろう。
 以前トカゲを捕獲した辺りから、テオはヴィデオカメラで撮影を始めた。天然洞窟だから足元が不安定で用心しなければ転倒して大怪我に繋がりかねない。彼は時々マイクにコメントを入れ、足元、壁、天井を撮影して行った。偶に女性達も入れると、アニタ・ロペスは笑顔を作り、少佐は無表情で直ぐに顔を背けた。
 洞窟は次第に狭くなり、落盤の痕跡が見られるようになってきた。そろそろ引き返した方が良いだろう、とテオが思った頃に、少佐が足を止めた。

「水の音がします。」

 確かに、岩壁の向こうで水が波打つような音が聞こえた。
 アニタが耳を澄ましてから説明した。

「海の底から細い洞窟がこの下へ繋がっている様です。でも誰もそこまで行ったことがないし、行ける幅の通路もありません。ですから、波が来ているのだろうと言われていますが、確認した人はいません。」
「地下水脈ではないのですか?」
「地下の川ですか?」

 アニタは首を傾げた。

「古代のカラコルは水を売っていたと言われています。その水が何処から得られていたのか、不明なのですが、その水脈かも知れませんね。でも、川の存在を確認するにも音の発生源が深すぎます。」
「こんな場所でボーリング出来ないしな。」

 テオもちょっと地下水脈に興味があったが、洞窟は奥の方でかなり崩落していた。まだ新しい落石跡と思えるものもあったので、近づかない方が無難だ。彼はマイクに話しかけた。

「洞窟は最深部で崩落し、これ以上は進めない。トカゲの一つの種が独自に進化するには無理がある洞窟の長さだ。あまり長くない。」

 彼は女性達に声をかけた。

「引き返そう。地下川は地質学か考古学の世界だ。生物学の分野ではない。」

 なんだかアブラーン・シメネス・デ・ムリリョが隠したがっている秘密に繋がるような予感がした。引き返せる時に引き返すべきだ。タイミングを誤ると、また厄介なことが起きる。アニタ・ロペスを巻き込む訳にいかない。
 ケツァル少佐も彼の考えと同じことを思ったに違いない。素直に彼の提案に従った。
 3人は再び撮影しながら出口に向かって歩いた。少佐がアニタに質問した。

「カラコル遺跡の伝説は、この近辺では誰もが知っているようですね?」
「御伽噺みたいなものです。」

とアニタが笑った。

「何処かの遺跡みたいに漁網に黄金が引っかかって揚がったり、女神様の石像が揚がったりしたら、観光資源になるでしょうけど、網に入るのはサメと魚だけですから。昔、神様を怒らせて一晩で海に沈んだ町がありました。親の言うことを聞かないと、お前にも悪いことが起きますよ、って言う類の御伽噺ですよ。」

 洞窟から出ると、まだ太陽は高く、陽光が眩しかった。テオと少佐は装備を体から外してガイドに返却し、料金を支払った。テオがチップを渡すと、アニタは夕食に最適なお店と快適な宿を紹介してくれた。緑の鳥のロゴが入った車を見て、私服姿の少佐と白人のテオを見比べながら、アニタが「本当に大統領警護隊ですか?」と尋ねた。テオは「スィ」と答えた。彼は少佐を指し示し、

「彼女が大統領警護隊で、俺は顧問。」

と紹介した。アニタが少佐を見て微笑んだ。

「国境警備隊のグリン大尉も優しい方です。やっぱり女性の軍人さんの方が接しやすいですね。男の方は威張っているから・・・」

 彼女は急いで周囲を見回した。

「さっきの話は内緒ですよ。」

と言ったので、少佐が笑った。
 ガイドと別れて、テオは少佐と共にモンタルボ教授が宿泊しているホテルを目指した。


 

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