2022/03/17

第6部 訪問者    10

  東の水平線の向こうが微かに明るくなった頃合いに、一人の女性隊員が検問所から戻って来た。階級は大尉で、ケツァル少佐は彼女がクエバ・ネグラの国境警備隊の指揮官だとわかった。少佐は私服だったので、故意に気を発して己が何者かアピールして彼女を迎えた。大尉が彼女の前で直立して挨拶した。

「クエバ・ネグラ国境警備隊を指揮しておりますバレリア・グリン大尉です。グラダ・シティからの出動、感謝します。」
「文化保護担当部のシータ・ケツァル・ミゲール少佐です。司令部の指示により、サン・レオカディオ大学発掘隊襲撃事件を調査に来ました。暫くこの宿舎を宿泊に使用させてもらいますが、貴官達の業務に口を出すことはしませんので、我々の行動にも世話や口出しは無用です。」

 グリン大尉は微笑し、”心話”を求めた。少佐が応じると、大尉は昨夕に起きた事件のあらましを報告してくれた。
 サン・レオカディオ大学発掘隊はモンタルボ教授と5名の助手、それにアンビシャス・カンパニーと言うP R動画制作会社のスタッフ10名が昨日の昼間、船をチャーターして、8世紀頃に岬が水没したと伝えられる海域を数往復して水中カメラで海の底を撮影した。午後4時過ぎに彼等はクエバ・ネグラ港に戻り、ホテルで映像編集を行おうと機材などを運ぶ為に車を突堤に置いて、荷物を船から下ろしていた。そこへ2台のワゴン車が来て、停車するなりワゴン車から数人の男達(目出し帽を被っていたらしい)が降りて来て、撮影機材を奪おうとした。教授と仲間達は相手が銃を持っていないと判断して抵抗したが、相手はバットや棍棒を持っており、殴打され、結局撮影機材を奪われ、人も怪我をした。
 モンタルボ教授は警察に連絡を入れ、ついでに大統領警護隊にも通報した。彼が使った大統領警護隊の番号は国境警備隊オフィスのものだったので、グリン大尉は管轄外の犯罪の通報にちょっと困惑した。通報者は考古学者で発掘作業の事前調査だと言った。それで大尉は本部に連絡を入れ、文化保護担当部に任せようと思った。
 事情を理解したケツァル少佐も、彼女に情報を分けた。モンタルボ教授には発掘申請を出す段階で数件の奇妙な協力の申し出や問合せ電話があったことだ。
 グリン大尉が苦笑した。

「ここの海で宝を積んだ船が沈んでいると言う噂があれば、とっくの昔にトレジャーハンターが集まっていたでしょう。カラコルがあったと言われる海域はサメが多く、ここのビーチは綺麗ですが、浅瀬で水遊びをする程度で深度があるところで泳ぐ人間はいません。水中の宝物や沈没船を見たり聞いたりした人はいません。」
「そうでしょう。文化・教育省の文化財遺跡担当課にもその様な記録はないそうですし、建設省交通部に沈没船のマップがありますが、そこにもここの海域は何もマークされていません。」
「私は仕事柄麻薬か密輸関係の品物を誰かが海底に隠したか落としたのではないかと考えています。しかしサメが多く出没する海に部下や陸軍水上部隊や沿岸警備隊に潜れとは言いたくありません。」

 そして彼女はケツァル少佐に顔を近づけ、声を低めた。

「一月ほど前に、地元の漁師と観光客が釣り上げたサメから、人間の体の一部が出て来ました。」
「知っています。友人が偶然仕事でこちらを訪れていた時に、浜に揚げられたそうです。」
「そうでしたか。では、乗り捨てられた盗難車が同時期にあったことはご存知ですか?」
「それも聞きました。盗難車とサメの犠牲者に何か関連があるのですか?」
「物証はないのですが、犠牲者の身元が全く不明のままであることと、盗難車を乗り捨てた人物が見つからないことで、両者が同一人物ではないかと憲兵隊が憶測を立てているそうです。国境警備隊は盗難車は密出国者が乗り捨てたのではないかと考えていますが。」

 ケツァル少佐が、それが真っ当な考えだと言うと、大尉は頷いた。

「ただ、その盗難車を乗り捨てた人間と同一人物なのか、これも不明なのですが、車が発見場所に置かれた日に、浜辺で漁師のボートが一艘盗まれました。船外モーター付きの簡単な小型の釣り船です。それが2日後に国境の向こう側の浜辺で転覆した状態で打ち上げられたのです。隣国のオフィスと話し合った結果、密出国者が車を盗んで乗り捨て、ボートを盗んで海から越境しようとして波で転覆し、サメに襲われたのではないかと言うことになり、我々が盗難車を押収しました。」
「そして実際にサメから死体が出たのですね。」
「その通りです。でもこれは考古学者襲撃事件とは関連ないと思います。我々にとって完結した事案です。」

 少佐はグラシャスと言った。グリン大尉が、陸軍側の食堂で食事が取れることを教えてくれた。

「我が方では軽食を温める程度の厨房です。ハラールを気にしなければ、陸軍の食堂で十分ですから。」

 そこでふとケツァル少佐はパエス少尉を思い出した。彼がいた太平洋警備室の厨房ではきちんとハラールの儀式を毎回行ってから調理していたそうだ。それでさりげなく言った。

「先程案内してくれたパエス少尉が前に勤務していた太平洋警備室はハラールを行っていたそうですよ。」

 ああ、とグリン大尉がちょっと困惑した顔をした。

「それが些細な問題を引き起こしました。ここへ着任した当日に彼が陸軍の食堂の食事は食べられないと言い出し、他の隊員達の反発を招いてしまいました。我々は一族の文化を否定する気はありません。しかし国境警備は多忙です。クチナ基地では儀式を行って調理していますが、ここのオフィスは指揮官少佐の許可の元で省略しているのです。陸軍側に強制する権利を持っていませんし、”ティエラ”もハラールの文化を持っていますがクエバ・ネグラの陸軍国境警備班では儀式を行わないのです。理由は我々と同じです。」
「パエス少尉は孤立しているのですか?」
「勤務中は命令に従いますし、同僚とも協力し合っています。しかしプライベイトな時間は一人ですね。奥様を同伴されて部屋を近くに借りているようで、非番の日はそちらへ帰ってしまい、同僚と過ごすことはありません。」

 グリン大尉は若い。年齢的にはパエス少尉とあまり変わらないだろう。彼女はパエス少尉の転属の理由を知らされていた。だからパエス少尉がこのまま国境の町で退役まで暮らすのであれば、同僚と仲良くなって欲しいと願っていた。
 彼女の正直な気持ちを”心話”で伝えられたケツァル少佐は、彼女を励ました。

「貴女が良い指揮官となる試練ですよ。」


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