2022/04/01

第6部 七柱    23

  テオはドキドキした。もしかして、ケツァル少佐の方からプロポーズしてきた? あり得るかも知れない。今迄彼が出会ってきた”ヴェルデ・シエロ”の女性達は積極的だった。彼女達の方から男性に求愛していた。だから、少佐も・・・?
 少佐がクールに言った。

「転属は各自行き先がバラバラですから、私が転属させられる時、ロホやデネロス達と別れなければなりません。私は一人ぼっちで新しい任地へ行くことになります。そんな場合、民間人の貴方なら、命令は関係ありませんから、来てくれるでしょう?」

 テオはがっくりきた。部下達を連れて行けないから、民間人の彼だけでも連れて行こうと言う我儘か? 彼はがっかりさせられたので、反論した。

「大学教授だって、学生に責任がある。研究を途中で放り出して女を追いかける訳にもいかない。」

 少佐が横目で彼を見上げた。

「何をムキになっているんです?」

 彼女は彼からスッと離れて宿のドアの取手を掴んだ。

「私はあるかも知れないことについて、貴方の考えを尋ねただけですよ。」

 そして建物の中に入った。テオは揶揄われた気分を拭えないまま、彼女の後に続いた。宿の主人に鍵をもらい、銘々の部屋に入った。上着を脱いでTシャツに短パンだけになり、ベッドに入った。目を閉じたが、やっぱり先刻の少佐との遣り取りが気になった。
 少佐は本当にプロポーズしてくれたのではないのか? 俺がすぐに返事をしなかったから、彼女はあんなことを言ったのかも知れない。彼女は話し相手に躊躇されるのを好まないのだ。俺は彼女の扱い方を誤った?
 結局まんじりともせずに朝を迎えてしまった。日が昇る前にシャワーを浴びようと浴室に行くと、既に少佐が中にいた。部屋に戻り、順番を待った。彼女が出てきた気配だったので、再び浴室に行き、まだ湯気と石鹸の香りが残る浴室で体を洗った。
 宿の朝食は主人夫婦と一緒だった。女将さんがテオの草臥れた顔を見て、眠れなかったのか、と心配した。テオは、大学の仕事の夢を見てうなされただけです、と答えて誤魔化した。朝食はあまり変わり映えのしない内容だったが、美味しかった。ケツァル少佐は卵料理の味付けが気に入って、お代わりして女将さんを喜ばせた。彼女は昨晩の会話を全く気にしていないようだ。やっぱり冗談だったのか? テオはちょっとがっかりした。
 チェックアウトして、グラダ・シティに帰ろうと車に乗り込んだところで、少佐の携帯にグリン大尉から電話がかかって来た。

ーーモンタルボ教授が少佐殿にお会いしたいと連絡して来ましたが、どうなさいますか? 

 少佐は眉を顰めた。

「昨夜の緊急車両のサイレンに関係あることですか?」
ーー恐らく。

とグリン大尉も詳細を知らない様子だ。

ーー教授は憲兵隊のクエバ・ネグラ駐屯地にいるそうです。責任者はアリリオ・カバン大尉です。

 少佐は溜め息をついた。

「なんだかわかりませんが、行ってみます。連絡ご苦労様です。」
ーーグラシャス。

 少佐が携帯をポケットに仕舞った。テオはやっぱりこちらに難儀が降りかかって来たな、と思った。少佐が緑の鳥の徽章が入ったパスケースを手に取り、テオに放り投げた。テオは慌てて受け取った。本来なら、大統領警護隊の身分証を持ち主以外が手に取ると、チクリと針で刺したような痛みを覚える。しかし、テオはパスケースの段階は平気だった。徽章そのものは触れないが。

「憲兵隊のゲートを通る時に、それを提示して下さい。」

 少佐が駐屯地のゲートでブレーキを踏むつもりがないことを悟ったのは、正にその時だった。彼女は緑の鳥のロゴが入った車を速度を落としたものの、停止せずに駐屯地の中へ乗り入れた。アサルトライフルを構えた兵士にテオは必死で少佐のパスケースを突き出しながら、助手席でヒヤヒヤしていた。駐屯地は宿から車で10分程の距離だったが、少佐はその間一言も口を利かなかった。昨夜のことを怒っているのか、それともモンタルボ教授の要請に機嫌を損ねたか、どちらかだ。
 事務所と思われる建物の前に車を停めると、すぐに将校が出て来た。口髭を生やした40代前半の男性だ。ケツァル少佐に敬礼して、カバン大尉だと名乗った。少佐は、ミゲールと名乗り、テオを見ずに手だけで示して、ゴンザレス博士、と正式名称だけ紹介した。

「リカルド・モンタルボが私を呼んだ理由は何です?」

 くだらない用件だったら帰るわよ、と言う顔で彼女が尋ねた。カバン大尉は国境警備隊の大統領警護隊とは格が違う相手だ、と感じたのか、無駄話をせずに事情を語り出した。

「昨晩、レオン・マリノ・ホテルの支配人から通報がありました。宿泊客に会いに来た訪問者が、客を刺したと言う内容です。刺された客と刺した男がどちらもアメリカ人だったので、支配人は警察と憲兵隊に通報を入れました。刺された客は、昼間、別の宿泊客、それがセニョール・モンタルボでして、彼とも激しい口論をしており、何か事件と関係があるのではないかと支配人が訴えるので、こちらへ連行しました。」
「刺した男と刺された男はどうなりました?」
「刺した男は逃走を図りましたが、ホテルの従業員と刺された男の用心棒に取り押さえられました。現在こちらの拘置所に勾留しています。刺された男は病院へ運びました。生きていると思われますが、まだ病院から連絡が来ていません。」
「モンタルボは事件に関して何か言っていましたか?」

 カバン大尉は肩をすくめた。

「何も・・・ただ少佐をお呼びして欲しいの一点張りで・・・」

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