2022/04/08

第6部  赤い川     7

 オルガ・グランデ陸軍基地には基地を利用して活動する大統領警護隊の為の休憩室が設けられている。決して豪華でもなく、快適でもない、普通の兵士の大部屋と変わらない質素なベッドと机があるだけの殺風景な部屋だが、寝るだけに使うので、大統領警護隊から文句が出たことは一度もない。オルガ・グランデは砂漠に近い気候で、昼間は乾燥した空気が暑く熱中症の恐れがあるし、夜間は冷え切って下手をすると凍死することもある。 そんな厄介な土地だから、野宿より、質素でも無料で屋根のある場所で眠れる方が遥かにマシなのだ。
 テオがその部屋に入るのは3度目で、今回は宿泊するか否か予定も定まらなかった。ロホは慣れているから、基地司令に挨拶して部屋に戻ってくると、厨房でもらって来たチョコレートをテオにくれた。

「ベンハミン・カージョが何者か、知りたいですね。」

 ロホはベッドの上にあぐらをかいて座った。

「ちょっと呼びかけてみます。もし彼が”シエロ”なら、感応して動くでしょう。どこに呼び出しましょうか?」

 テオはちょっと考えて、オルガ・グランデ聖教会の名を言った。他に知っている場所はなかった。ロホは目を閉じた。テオは黙って彼を見ていた。ロホが何かをした気配も様子もなかったが、2分程経って、彼は目を開いた。

「呼びかけてみました。この力の欠点は、先方がこちらのメッセージを受け取ったか否か、こちらではわからないってことです。」
「何だい、それ?」

 テオは思わず呆れた。そんな一方通行のテレパシーって・・・あるか、あるだろうな。彼が育った国立遺伝病理学研究所でも、捕まって実験に協力させられていた人に、そう言う能力者がいた。他人の脳に話しかけられるが、相手の思考を読み取れない人や、相手の考えは読めるが自分の意思を伝えられない人がいたのだ。
 ”ヴェルデ・シエロ”は思考ではなく、ただ「呼ぶ」のだ。呼ばれた者は応答できない。呼ぶ側が受信出来ないからだ。だから呼ばれた者は呼んだ者を探しに来る。本来は親が子を呼び集める能力なのだとテオはケツァル少佐かデネロス少尉から聞いたことがあった。

「今夜、彼が教会に現れなければ、彼は”ティエラ”か、来る意志がないと判断しましょう。」

 ロホはゴロリとベッドに横になった。夜に活動するので今のうちに寝ておこうと言う、セルバ流の考えだ。余計な仕事はしない。
 テオは時計を見た。まだシエスタの時間迄1時間以上あった。彼はロホに声をかけた。

「車両部で知り合いのリコって奴に会って来る。」

 するとロホが体を起こした。

「私も行きます。」
「君は休んでいて良いさ。」
「そうは行きません。ここは陸軍基地です。貴方は民間人で、ビジターパスもない。荒くれ兵士に絡まれたら、外へ叩き出されます。」

 そう言われると仕方がない。それにシエスタの時間に寝れば良いのだ。テオはロホに連れられて車両部へ行った。
 リコはかつてアントニオ・バルデスの下で使いっ走りや用心棒みたいな仕事をしていた男だ。偶然テオと知り合って、ついでに大統領警護隊をアンゲルス前社長の家に引き入れる羽目になってしまい、彼はバルデスから制裁を受けるのではないかと恐怖した。実際のところバルデスはリコみたいなチンピラを歯牙にもかけておらず、すっかり忘れ去っているのだが、リコは身を守るためにケツァル少佐が世話してくれた陸軍基地での仕事に真面目に励んでいるのだった。そして彼はテオと大統領警護隊文化保護担当部を命の恩人と信じて止まなかった。
 大統領警護隊にも車両部はあるが、そこに属する隊員は車の点検、配備、運転を担当するだけで、実際にエンジンや部品を触って整備することはない。専属の業者に委託する。陸軍では、軍属の整備士達が車の部品を取り替えたり、修理している。リコは整備士の資格を取って、一人前に働いていた。たまには個人的用件で軍用車両を使うこともあるようだ。規則違反なのだが、車両部の指揮を取っている士官は目を瞑っている。セルバ共和国では、下の者が倫理違反や法律違反をしなければ、上の者は多少の規則違反を見逃してやるのだ。
 テオとロホが車両部の建物へ行くと、整備士達が固まってタバコを吸いながら休憩していた。そこへ大統領警護隊の制服を着た軍人と白人が現れたので、彼等は慌てて散開して仕事の続きを始めた。テオは周囲を見回し、リコがトラックの下に潜り込もうとしている現場を見つけた。名を呼ぶと、リコは叱られるものと覚悟して顔を出し、やっとテオを認めた。

「アルストの旦那!」

 己よりずっと年下のテオに、彼は腰を低くして応対した。テオだけの時はもう少しリラックスしているので、ロホに対して緊張を覚えているのだ、とテオは感じた。
 テオは「元気かい?」と声をかけ、近況を尋ねた。驚いたことに、リコは結婚していた。整備士仲間の妹を妻にしたのだと言う。テオが祝福すると、彼は照れた。

「ところで、今日も遺跡絡みのお仕事ですか?」

とリコがロホをチラリと見て尋ねた。彼が知っている大統領警護隊は文化保護担当部だけだ。他の隊員は陸軍基地を利用することはあっても、車両部まで来たりしない。軍属の労働者達にとって、大統領警護隊は雲の上の人々だった。

「遺跡絡みと言えばそうなるかなぁ・・・」

 テオは曖昧に答えた。

「最近テレビで捜索願いを出されていた行方不明の女性がいただろ?」
「ああ、新聞記者か何かでしたっけね。」
「雑誌記者だ。仕事で出会ったことがあった。知り合いと言える程会っていないがね。」
「そう言えば、オルガ・グランデに来る予定だったって言ってましたね。」
「ベンハミン・カージョって男と会う約束だったらしいんだ。」

 すると、思いがけず、リコの後ろにいた男が振り返った。

「ベンハミン・カージョ? ありゃ、インチキ占い師だ。」
「占い師?」

 テオが聞き返すと、ロホも耳をすませた。リコの同僚は頷いた。

「失せ物探しや、行方知れずの人を占いで探し当てるって評判だった。だけど、嘘っぱちさ。当たる時は当たるけど、当たらない時は全然当たらねぇ。当たる時は、誰も部屋に入れないんだそうだ。だから、誰かから情報を貰ってるんだよ。」


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