2022/04/07

第6部  赤い川     5

  翌朝、テオがセラードホテルのフロントロビーまで降りると、そこにロホがいた。テオは苦笑するしかなかった。ケツァル少佐が送り込んで来たのだ。

「ブエノス・ディアス! 俺の護衛かい?」
「ブエノス・ディアス! 当然でしょう。」

 ロホは大統領警護隊の制服を着ていた。私用ではなく、正規の任務としてテオの護衛を命じられたのだ。テオは確認した。

「バスで来たんじゃないよな?」
「勿論です。航空機でもありません。」

 ブーカ族らしく、空間通路を使ってやって来た。テオがバスの中から送ったメールを見て、ケツァル少佐はロホに出張を命じたのだ。ロホはオフィス仕事の時の私服を脱いで、制服に着替え、何処かでオルガ・グランデに通じる”入り口”を探し出し、やって来た。セラードホテルは彼が最初にテオと出会った場所だ。だから彼は真っ直ぐここへ来た。テオを探す手がかりの第一の場所として。そして、ビンゴ! 彼は労を要せずにテオを見つけたのだ。

「朝飯に行く。君もまだだろ?」
「スィ。」
「昨夜は寝たかい?」
「寝ました。貴方の隣の部屋で。」

 2人は笑い、ホテルを出た。カフェまでの道はバルデスが付けた護衛がついて来ていたが、ロホがカフェの前で立ち止まって振り返ると、さっさと立ち去った。恐らく、バルデスに「エル・パハロ・ヴェルデが来ている」と報告して、撤退命令を受けたのだろう。

「貴方が記者の失踪に責任を感じる必要はありません。」

とロホが朝食を食べながら言った。テオは首を振った。

「わかっている。でも、やっぱり放っておけないんだ。彼女の家族がテレビに出て、情報提供を訴えていただろう。俺がバス事故に遭った時、誰もあんなことをしてくれなかった。同じバスに乗り合わせた人間として、彼女の家族に少しでも何かしてあげたいと思ってしまったんだ。」

ロホが優しい微笑みを浮かべた。

「貴方って人は・・・本当に優しいんですね。」
「昔は冷酷だったそうだよ。」

 テオは苦笑した。バス事故で人が変わってしまったのだ。もし元の性格に戻ったら、と不安もあったが、グラダ大学の精神科医は、それは滅多にないことだと言ってくれた。記憶が戻ったのに優しい人格のままなのだから、性格が戻ってしまうことはないだろう、と。

「きっと根は良い人だったんですよ。教育方法が間違っていたんだ。」

 ロホは食べながらも周囲を警戒していた。緊張していないし、キョロキョロもしていないが、テオはそれぐらいのことはわかった。地元でないから、警戒して当然だ。それに軍人が一人で出歩くと、大統領警護隊でなくても敵対心を抱く輩がいるものだ。オルガ・グランデは”シエロ”より”ティエラ”の勢力が強い町だ。金を求めて外国から集まった労働者が多い。古代の神様を怖がらない人間もいる。
 バルデスに呪詛で排除されたアンゲルス鉱石の創業者ミカエル・アンゲルスもそんな人間だった。そして腹心と信じていたバルデスに、神を恐れない不遜な人物と見做され、排除されたのだ。アンゲルスは地下に埋没していた遺跡や古い墓所を平気で破壊したと噂されていた。バルデスはそんな経営者の下で働く多くの労働者の安全を心配した。だから、呪いの神像を手に入れて社長を抹殺したのだった。
 朝食が終わると、ロホは事前に呼んでおいた陸軍の車にテオを案内した。運転手はリコではなく、兵士だった。小柄なアフリカ系のムラートと”ティエラ”のハーフで、テオは彼を知っていた。チコと名を呼ぶと、相手は不思議そうな顔をした。それでテオは失敗したと感じた。チコは以前、ある事件でテオが北部のラス・ラグナス遺跡へ行った時に運転手を務めてくれた。しかし、普通の人間には言えない事故が起こり、マハルダ・デネロス少尉がチコともう一人の兵士からテオ達の記憶を抜いたのだ。だから、チコにとってテオは、この日初めて会う人物だった。テオは言い訳した。

「知っている人とよく似ていたものだから・・・」

 チコが以前と同様に朗らかに笑った。

「スィ、私はチコって呼ばれてます。それで結構です、セニョール。」

 チコが運転する軍用オフロード車に乗った。2年も前のことをテオはぼんやり思い出していた。チコは歌が上手だった。それに砂漠地帯を上手に運転する技術も持っていた。だけど、今の君は俺のことを何も覚えていないんだな。
 クーリア地区のベンハミン・カージョの住まいに近づくと、警察車両や憲兵隊の車が集まっているのが見えた。チコが速度を落とした。事故でしょうか、と彼が後部席のテオとロホに尋ねた。ロホが首を伸ばして前方を見た。

「事故には見えない。事件か?」

と彼は独り言を呟き、チコに停車を命じた。
 車が停まると、ロホが外に出た。

「様子を見てきます。ここで待っていて下さい。」


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