2022/05/25

第7部 渓谷の秘密      9

  森の中の道はダートでぬかるんでいた。予想通り凸凹だし、車はエアコンの効きが悪かった。運転はテオ、ケツァル少佐、ロホの3人で交代にハンドルを握った。路面に轍がなければ引き返したくなるような道だ。途中で2度ほど分かれ道があり、真新しい轍がそちらへ続いていたので、2度目の当番で運転していたテオが危うくそちらへ行きそうになったこともあった。しかし助手席の少佐が軍用車両の轍でないことに気がついて、その分かれ道が別の家族の開墾地へ向かうのだとわかった。

「分岐点に標識ぐらい立てておけよな・・・」

 テオは独りで苦情を呟いた。ロホが本来の道に残る轍を見て、憲兵隊か陸軍特殊部隊でしょうと言った。

「大統領警護隊が訓練を終えて引き揚げた後、彼等も事件現場の臨場を終えて帰投したのです。」
「それじゃ、この轍を辿って行けば、殺人があった家に行き着くんだな。」

 正直なところテオは現場を見たくなかった。あまりにも無惨で酷くて悲しい事件だ。殺された夫婦は何故息子が凶行に及んだのか理解出来なかっただろうし、息子も己が親を殺してしまった記憶もないのに親殺しの罪を問われている。兄が親を殺してしまう場面を見てしまった弟はどんなに深い心の傷を抱えていることだろう。
 物思いに耽っていたので、大きくカーブを曲がったところで、対向車が来ることに気が付き、離合スペースがないことに焦ってしまった。
 オフロード車同士、顔を突き合わせて停車してしまった。まさかの対向車だ。テオが窓から顔を出すと、向こうも顔を出した。見覚えのある顔だった。テオは思わず声をかけた。

「君は確か考古学部の・・・」

 向こうもテオをじっと見つめてから、アルスト先生、と言った。名前を思い出せないテオの複雑な表情に気が付かずに、学生は助手席に座っていた兵士に何か言い、それから数メートル車をバックさせた。ぬかるみに車を入れ、テオ達の車を通してくれた。
 離合してから、学生の車がぬかるみから出られることを確認する迄テオは動かなかった。

「何処へ行くんだ?」
「デランテロ・オクタカスまで、買い出しですよ!」

 学生はそう言って、クラクションを鳴らし、走り去った。
 少佐が時計を見た。

「この時刻にここへ来たと言うことは、かなり早い時刻にキャンプを出たようですね。」
「買い出しは予定の行動なのだろう。兵士は護衛だな?」
「当然です。」

 奥地に大勢の人間がいるのだと確信が持てれば気が楽になった。テオは車のスピードを上げた。そして昼になる前に、一軒の家が前方に見えてきた。
 誰も来ない土地だが周囲に黄色いテープが張り巡らされていた。前庭は既に草が伸びかけており、車や大勢の人間に踏み荒らされた箇所がぬかるんで残っていた。テオはなんとなく鼓動が激しくなり、血圧が上昇する気分になった。ケツァル少佐が彼の雰囲気に気がついて声をかけた。

「大丈夫ですか? 私は何も感じませんが?」

 テオは深呼吸して、車を停めた。

「大丈夫だ。犯罪現場と思ったら、ちょっと興奮してしまった。」
「もう霊はここにいませんよ。」

と言いながら、ロホが早くも後部座席から外に出た。彼は黄色いテープをくぐり、規制線の中に足を踏み入れた。
 少佐も外に出たので、テオも出ようとすると、少佐が手で制止した。

「駐車場所を決めてからにして下さい。私が決めます。」

 現場の下見をロホに任せて彼女は周囲の地形を眺めた。そして少し進んだ場所に乾燥した平地があるのを発見して、そこに車を誘導した。周囲より高いと言う訳でなかったが、渓谷の尾根を形成している岩盤の端っこが露出している感じだ。少佐はそこの周囲に無数の轍があるのを見て、その場所が特殊部隊の野営地になっていたのだと見当をつけた。焚き火の跡を残さないのが、いかにも特殊部隊らしいが、少佐は敏感に炉の跡を見つけた。アデリナ・キルマ中尉は憲兵隊の護衛をしていたので、戦闘体制とは違って多少の気の緩みがあったのかも知れない。そこが大統領警護隊のスカウトから漏れた要因だろう、と少佐は想像した。少佐と中尉はほぼ同期の年代だが、少佐はいきなり大統領警護隊に入隊したので、陸軍の経験がなかった。キルマ中尉と同じ時間を過ごしていないので、彼女が新兵時代どんな様子だったのか、知らなかった。
 テオが車を停め、輪止めを置いて、野営の準備を始めたので、彼女は物思いから戻って彼の仕事に手を貸した。


0 件のコメント:

第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...