2022/05/30

第7部 渓谷の秘密      14

 尾根と言っても標高が低いので、登山のレベルではなかった。トレッキング程度だ。ロホを先頭に、テオを挟んでケツァル少佐が最後に並んで歩いた。通常は女性が真ん中だろうとテオは言ったが、いつもの如く無視された。民間人で”ティエラ”だから、真ん中はテオの位置なのだ。ロホも少佐も足音を立てない。木の葉が擦れて音が出るのはテオが動く時だ。 尾根を越えて、低地に降りると、渓谷と違って湿度が低くなった。川はなさそうだ。
 南に向かっていると、テオの耳に人の話し声の様な音が聞こえてきた。彼が小声でそれを少佐に囁くと、彼女は首を振った。聞こえないのだ。ロホも気に留めていないので、聞こえていないらしい。つまり、これはテオだけが聞き取れる霊の声だ。彼は緊張したが、ロホはそれほど重要とは考えていなかった。

「真っ昼間に大声を出している霊は大丈夫ですよ。」

 どう大丈夫なのか?と尋ねる間もなく、声が静かになった。こちらの話し声が霊に聞こえたのだろう。藪を掻き分け、開けた場所に出た。苔や蔦に覆われた石の壁や床が見て取れた。低木が生えているので全体像が見通せないが、結構な面積がありそうだ。少佐が囁いた。

「カブラロカの住民が住んでいた地域と思われます。安全を確認した後でンゲマ准教授に教えてあげましょう。」
「それじゃ、俺が聞いた声は?」
「陽気な古の住民達でしょう。」

 悪霊ではない、と言われて、テオはホッとして肩の力を抜いた。ロホが前方を銃先で指した。

「澱みが見えたのは、もっと向こうです。恐らく、そっちに墓地があるのでしょう。」

 古代の町の遺跡の中を慎重に足を進め、遺跡を傷つけないように細心の注意を払って歩いた。テオはンゲマ准教授やケサダ教授に見せるために写真を撮影しておいた。

「現代のカブラ族はここへ来ないのか?」
「植民地化された時に彼等の先祖は捕まって海の近くへ集められました。2、3世代はここを覚えていたかも知れませんが、現在の人々は言い伝え程度の知識しか持っていないでしょう。もしかすると、トロイ家の息子はその言い伝えを確認しようと冒険に来て、悪霊に捕まってしまったのかも知れません。」

 テオは遺跡を振り返った。そして心の中で言った。

 お喋りしている暇があるなら、子孫を守ってやってくれよ。

 遺跡を抜けるのに半時間かかった。石組がぐらついて足元が覚束ない箇所があったり、藪になって抜けられず、迂回しなければならない箇所があったり、で、考古学者には楽しい場所だろうが、ただ歩いている人間には散歩に不向きだった。
 再び森に戻り、ロホがリュックサックを探って、ネックレスを出した。黒い小さなビーズのネックレスで、テオの首にかけてくれた。

「お守りです。悪霊避けにどの程度効果があるかわかりませんが、憑依されるのは防げると思います。」
「グラシャス! 悪霊に襲われたら、憑依される他にどんな支障が出るのかな?」
「邪気の為に病気になったり、怪我をしたり・・・」
「それは防げないのか?」
「どれだけ防げるのか、悪霊の力によります。」

 ロホは申し訳なさそうに言い訳した。

「父や長兄ならもっと強力な魔除けを作れるのですが、私は四男ですから・・・」

 つまり、マレンカ家に代々伝わる秘伝の魔除けは教わっていないと言うことか。テオは納得した。
 少佐が彼等の遣り取りを聞いていたが、テオの不安を取り去る為に言った。

「ロホか私のそばにいれば大丈夫です。」

 ”ヴェルデ・シエロ”の中でも最強と言われるグラダ族とブーカ族だ。テオは彼等を信じていたが、悪霊の正体がわからないことが気になった。邪気を放って、それに触れただけの人を衰弱させ死に至らしめたネズミの神様より強いのだろうか。 
 町の遺跡から小一時間歩いて、地面がかなり乾いてきた。植物の様子も少し変化した。背は高くないが頑丈そうな樹木が生えていた。その木がまばらになる辺りに蟻塚があった。白っぽい蟻塚を2つ眺め、3つ目は赤い色をしていた。周囲の土の色とは違う、気味が悪い黒みがかった赤だ。テオは不快な臭いを感じた。彼が足を止めると、少佐とロホも立ち止まり、ロホがテオを己の背に隠す形で立った。少佐が囁いた。

「これは開けられていません。霊はまだ地下にいます。」

 テオは地図を出し、歩いてきた行程の地形を思い出しながら、現在地を探った。ロホが振り返り、テオが指したポイントを見て、空を見上げた。太陽の位置を確認して、それからテオに頷いて見せた。テオは地図に印を記入した。ロホがリュックサックから木で作った人形の様な物を出し、蟻塚の上に刺した。

「封印かい?」

 テオが尋ねると、彼は首を振った。

「ただの標識です。触るな、と言う警告です。」

 まだ眠っている悪霊には手を触れないで、彼等は探索を続けた。



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