2022/05/08

第7部 南端の家     3

  ヘリコプターが一旦飛び去った。学生達が少し落ち着かない様子だ。あまり遠くない場所で何かが起きていると察したのだ。ンゲマ准教授は若者達に声をかけ、調査への注意が散漫にならないよう気を引き締めにかかった。アスルは尾根に戻った。低い尾根だから登るのにも下るにも時間はかからない。遺跡から学生達が掛け合う声が聞こえていたが、南の森からも特殊部隊の兵士の声が聞こえた。大声を出しているから、所謂作戦ではない。事件捜査の手伝いだ。アスルは耳を澄ませた。学生の声が邪魔だが、どうにか兵士達の会話を断片的に聞き取れた。死体の数を数えている。一軒家の家族に何かとんでもない不幸が起きた様だ。
 一軒家の家族は友達ではないし、発掘隊と何らかの接触があった訳でもない。遺跡へ来る途中、家の前を通過しただけだった。細い轍だけの道が家の前を通っている、それだけだ。畑は家から少し藪の中を歩いて行かねばならない場所にあり、そう言う位置関係は珍しくない。古くからの農民には訪問者に大事な畑を見せない習慣がある。だから都会から来た学生の中には、家だけ見て、どうやって暮らしているのだろうと素朴に驚きと疑問を抱く者もいた。
 それだけの接点しかない人々の身に何か良くないことが起きたとしても、発掘隊や護衛部隊に責任はない。だがすぐ近くで起きたことは、気持ちの良いことではない。
 アスルは無視しようかと思ったが、心がざわついた。以前はそんな経験をしなかった。テオドール・アルストと付き合い出してから、彼の心に変化が起きたのだ。”ヴェルデ・シエロ”でなくても仲間になれる。仲間でなくても守りたくなる人はいる。例えば、ジャングルの奥地で細々と家族を養っている人とか・・・。
 無線機からンゲマ准教授がアスルを呼ぶ声が聞こえた。アスルは無線機を手に取った。

「何か用ですか?」
ーー学生達が落ち着かない。渓谷の入り口で何かあったのだろうか?

 落ち着かないのは准教授もだろう、とアスルは思った。発掘隊の責任者としてンゲマは学生達の安全を守る義務がある。彼は軍隊が動いたので、反政府ゲリラを心配しているのだ。アスルは過去に何度もンゲマの発掘調査隊の護衛と監視をしてきた。ンゲマ准教授は古代の裁判方法である”風の刃の審判”に用いられたサラと呼ばれる円形洞窟型の完全な原型を探している。求める物が洞窟の奥にあるので、もしその中に入って調査している最中にゲリラに襲われたら逃げる場所がない。だからンゲマは治安が不安定な地方を極力避けて場所を選んできた。アスルにとって、仕事がやりやすい考古学者だった。しかし、今回のカブラロカ遺跡はンゲマにしては珍しく辺鄙な場所だ。最寄りの街まで車で1時間以上かかるし、携帯電話が繋がらない。先住民も、渓谷の入り口の一軒家の家族だけで、人がいない。ゲリラが出たと言う噂さえなかった。人間がいない場所で、軍隊が現れた。だからンゲマは神経質になっていた。
 アスルは無線機に向かって言った。

「陸軍は我々がここにいることを知っています。何か良くない事態が起きれば、連絡が来ます。先生は我々に全てを任せて、発掘を続けて下さい。」

 ざーっと雑音の後、ンゲマが「わかった」と応えた。そして雑音が途絶えた。
 アスルは渓谷の入り口を見た。樹木の揺れは収まっていた。ヘリコプターから降下した特殊部隊も憲兵も姿は見えなかった。しかしアスルは木々の下で10名ばかりの兵士が動き回っているのを感じていた。

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