2022/07/04

第7部 誘拐      3

  夕刻、採取に来る人が少なかったので、テオは早めに受付を閉め、検体の整理を始めた。1人で出来るので、助手のアーロン・カタラーニはコックの手伝いで水汲みに行くと言った。井戸は遠くないが水のポリタンクは重たい。手押しカートでもガタガタ道ではちょっと厄介な道のりだ。村の女性の装飾品をセルバのカブラ族の衣装のデザインサンプルと見比べていたケサダ教授が、アンドレ・ギャラガに声をかけた。

「一緒に行ってやりなさい。」

 つまり護衛しろと言うことだ。ギャラガは素直に自分のタブレットを仕舞い、カタラーニと共にカートを押して出かけて行った。
 テオはタバコをふかしながらぼんやりしているボッシ事務官に声を掛けた。

「採取を明日の午前中で終わらせて、セルバに引き揚げませんか?」

 これ以上待っても手に入る検体が増えることは期待薄だった。それにアランバルリ少佐の部隊から早く離れたかった。アランバルリがどの程度の能力者なのか不明だし、どれだけの人数の仲間がいるのかも掴めない。だが”操心”を使えるのだから用心するに越したことは無い。
 ボッシ事務官は少し考え、頷いた。

「ドクトルがそう仰るなら、そうします。考古学の先生の方は如何ですか?」

 意見を求められて、ケサダ教授は肩をすくめた。

「遺跡のない場所で古代の文化の共通点を探せと言われてもね・・・」

 彼はチラリとテオを見てから答えた。

「引き揚げに賛成です。」

 ボッシ事務官は大きく頷いた。

「わかりました。では、明日の朝から私の方で撤収手続きを行います。午後、昼食後に出発でよろしいですか?」

 スィ、とテオとケサダは頷いた。採取作業も忙しくないから、撤収作業しながら行えば良いだろう。
 セルバ人は暢んびり作業するが、テオは記録を終えると既に備品のいくつかを片付け始めた。写真の照合だけの仕事をしているケサダ教授が、気が早いなぁと言いたげにチラリと視線を送って来たが彼は無視した。早くセルバに帰りたかった。隣国なのに異質な世界に思えて落ち着かないのだ。”ヴェルデ・シエロ”がいない世界。セルバだって日常は誰もが古代の神様の存在なんて意識せずに暮らしている。話題に上ることはないし、ほとんどの国民は純粋に”ティエラ”だ。それでもテオには安らぎを与えてくれる国だ。だがこの隣国は、どことなくギスギスした空気が漂っていた。村人は軍隊に怯え、警戒していた。軍隊も彼等と距離を置き、親しくなろうとしない。役人は両者の間で中立を保とうと気を張っていた。数年前の政治的内紛がまだ暗い影を落としているのだ。
 アランバルリ達古代の”シエロ”の子孫は、内紛にどんな形で関わったのだろう。隣国の内紛は、政府上層部の権力闘争だった。当時の大統領派と副大統領派がそれぞれ陸軍と海軍を味方につけて争ったと聞いている。結局副大統領が大統領を国外追放し(しかも後に亡命先で暗殺して)政権を掌握した。大統領派が殺害した国民の遺体が多く発見され、世界的なニュースになったのだ。隣国政府は自国の汚点を浄化しようと必死だった。現在いる陸軍は、大統領派から投降して新大統領に忠誠を誓った部隊だ。だからアランバルリもその中の1人だろう。しかし本心から新政権に服従しているのだろうか。
 テオは隣国の内紛にセルバ共和国が巻き込まれるのは御免だ、と思った。もしかするとアランバルリは己の能力が異常に強いと感じ、セルバ共和国の伝説の神々と結びつけて考えたのかも知れない。そして神々の子孫の存在を想像し、恐らく大統領警護隊の話を聞いて、己の能力と伝説の神々を結ぶヒントが得られると思ったのではないか。

 彼より強い能力者が他にいなければ、彼はこの国の独裁者になれる。

 テオはゾッとした。

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