大統領警護隊遊撃班はグラダ東港で荷運び人夫の元締めをしていたカスパル・シショカ・シュスを囲い込んで生け捕った。”ヴェルデ・シエロ”を捕らえるのは”ヴェルデ・シエロ”にとっても危険行為だ。特に人間に対して爆裂波を使用した経験がある人間は用心しなければならない。遊撃班はカスパルを追い詰めると抑制タバコの吸引を強いた。ある種の植物から製造された抑制タバコは”ヴェルデ・シエロ”の脳波を鈍らせ、一時的に超能力を使えなくしてしまう。カスパルは逃げられないと悟るとタバコを一気に吸い込み、意識朦朧となった。そして大統領警護隊本部の地下にある「留め置き場」の一つに軟禁されていた。
司令部ではカスパル・シショカ・シュスの犯行を、個人的なものか、組織的なものか、感情的なものか、政治的なものかと判断を話し合った。アラム・チクチャンとアウロラ・チクチャンの証言を照らし合わせると、チクチャン兄妹はただ感情的に、ダム建設で故郷を追われ肉親を失った悲しみで、「建設大臣」を恨んでいたと思って良さそうだ。そこにカスパルが付け入った訳だが、それが彼単独の考えなのか、それとも誰かと共謀したことなのか、尋問の必要があった。
目下の問題は、抑制タバコの影響が消える迄、尋問側は何も出来ないと言うことだ。
セプルベダ少佐は司令部に行って、戻って来ない。副指揮官のステファン大尉は部下達に夜の休憩を取るよう指示を与え、囚人の見張りを警備班に任せて彼も官舎へ戻った。大尉なので個室だ。入隊以来ずっと大部屋で暮らし、文化保護担当部に配属されて初めて隊の外に出て、アパートを借りた。お陰で1人部屋に慣れた。そしてふとつまらないことを思った。後輩達は昇級や退官後、1人で眠れるだろうか?と。
カルロ・ステファンの後輩で同じく官舎に住んでいるマハルダ・デネロス少尉は眠らなければならない時刻になっても目が冴えてしまって、食堂へ行った。食事は無料だが、間食は有料で1日1回と制限がある。空腹でなく喉が渇いたのだ。水なら好きなだけ飲ませてもらえる。
厨房の配膳カウンター横に給水器が設置されている。正しくは給水場で、地下水が絶えず小さな穴から流れ出ているのだ。だから水は無料なのだった。備え付けのアルミのカップに水を汲んで喉を潤した。今回の事件捜査の流れに彼女は満足していなかった。折角デランテロ・オクタカス迄行って調査したのに、神像窃盗犯は自らバスコ診療所に現れて、あっさり捕まった。彼女の活躍する場面はなく、男達だけが関わった感じで、彼女は置いてきぼりを食った思いだった。
確かに私は力が弱いし、実戦経験もない。だけど物事が動く時はどうして除け者なの?
空になったカップを食器返却棚に置いた時、後ろから声をかけられた。
「眠れないのか、少尉?」
振り返ると、遊撃班のファビオ・キロス中尉が立っていた。普段顔を合わせることがない男だが、たまに通路などで出会うと優しい目で黙礼してくれたり、食堂の列で順番を譲ってくれたりする。彼女が兄の様に慕っているカルロ・ステファンとよく行動を共にしているそうだし、文化保護担当部に度々助っ人に来るエミリオ・デルガド少尉ともコンビを組むことも多いらしい。だが個人的に言葉を交わしたことはなかった。大統領警護隊の中では、”ヴェルデ・シエロ”の男女間の礼儀作法と言うものは殆ど簡略化されているか無視されているのだが、部署が異なれば同じ大部屋にいても言葉を交わさない。大統領警護隊に女性用の部屋はなく、大部屋で男女一緒に生活している。但し、女性は部屋の中の一角に固まって寝起きするスペースを与えられていた。
相手が中尉なので、デネロスは丁寧に答えた。
「喉が渇いたのです。すぐに部屋に戻ります。」
ところがキロス中尉は食堂の窓がある壁を顎で指した。
「今夜は月が綺麗だ。少し見ていかないか?」
デネロスは時刻を考え、「10分ほどでしたら」と答えた。キロスが微かに苦笑した。
2人は窓枠に少し間隔を空けて並びもたれかかった。確かに満月が明るく空に浮かんでいた。デネロスはキロスが誘った真意を計りかねて、無難な話題を出してみた。
「今日捕まえた男は、やっぱりピソム・カッカァ遺跡で警備員に爆裂波を食らわせた大罪人ですか?」
「先に捕まえた兄妹の『心』の中にあった顔と同じだから、間違いないだろう。」
キロスはグラダ東港での捕物に参加したのだ。
「抵抗しました?」
「ノ、私達が取り囲んだら、観念してあっさり拘束された。腕力はありそうだが、爆裂波の強さでは我々の方が上だからな。」
彼は純血のブーカ族だ。軍人を代々輩出している家系の出だった。だからデネロスには彼が常に自信に満ちている様に聞こえた。
「私の様なミックスでは敵わなかったでしょうね。」
彼女が自嘲気味に呟くと、彼が振り返った。
「そうか? 力の使い方次第では、君だってあいつと互角に戦える筈だ。あいつは素人で、君はプロの軍人じゃないか。」
デネロスは頬が熱くなるのを感じた。そんな風に言われたことは今までなかった。
「実戦経験がないのです。」
「ケツァル少佐は毎週軍事訓練を行なっておられるだろう?」
「そうですけど・・・私はまだ命懸けの場面を体験したことがありませんので。」
大統領警護隊の訓練は実弾射撃を伴うのが常だが、”ヴェルデ・シエロ”にとって、それはまだ遊びのレベルなのだ。キロス中尉が声を立てずに笑った。
「命懸けの場面に遭遇せずに済めば、それに越したことはないさ。誰もそんな体験をしないまま退役年齢に達したいと思っている。」
デネロスはちょっとびっくりした。そして軍人の家系の出の男を見た。
「キロス家の様な名門の方でもそうお考えなのですか?」
「デネロス家もキロス家も変わりないさ。」
目が合った。彼女は頬が熱くなるどころか、全身がカッとなる程緊張を覚えた。この感覚は何だろう?
食堂の入り口の向こうから人の話し声が聞こえてきた。当番が終了した警備班の隊員達がやって来るのだ。
「そろそろ撤収しようか?」
とキロス中尉が残念そうに提案した。デネロスも小さく頷いた。
「そうしましょう、中尉。」
壁から離れてから、キロスが囁いた。
「またこんな風に話が出来たらいいな。」
え? とデネロスが改めて彼を見ると、中尉が「おやすみ」と敬礼してくれた。
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