マイロは慎重にポケットから携帯を取り出した。
「正直に言います。私は今、この虫を探しています。見たことがありますか?」
サシガメの写真を画面に出して、相手にゆっくりと差し出した。民家の住人である男性はそれを眺め、それからマイロに視線を戻した。
「そこらへんにいる虫ですが、これが何か?」
そこらへんにいる? マイロは突然期待に心が躍るのを感じた。彼は少し慌てて身分証を出した。
「私はグラダ大学の医学部で研究をしているアーノルド・マイロと申します。アメリカから研究の為に来ている客員研究者です。」
彼はチャパを振り返った。
「こちらはホアン・チャパ、セルバ人で私の助手です。2人でこの虫を探してグラダ・シティからオルガ・グランデ迄のハイウェイをドライブしているところです。」
男性はマイロの大学のI Dを手に取った。彼が眺めている間にチャパも己の身分証を出した。男性は彼のI Dも見た。そして2人にI Dを返した。
「医学部のドクトルと言うことは、お医者さんですか?」
「アメリカの医師免許は持っていますが、セルバ共和国ではただの研究者です。チャパ君は将来医者になると思いますが・・・」
チャパがちょっとはにかんだ笑みを浮かべた。マイロが説明した。
「写真の虫は原虫・・・寄生虫のようなものを持っていて、人間の血を吸います。そして糞をします。寄生虫はその糞の中にいて、人間が鼻から吸い込んだり、刺された傷口から侵入します。原虫が体の中に入った人間は心臓疾患などの病気に罹り、完治するのが困難になります。最悪、死に至ります。」
マイロは説明を続けた。
「この病気は中南米の至るところで確認されている、広く蔓延している恐ろしい病気です。しかし、不思議なことにセルバ共和国では発症事例の報告がないのです。ですから、僕はセルバのサシガメ、この写真の虫です、と他の地域のサシガメにどんな違いがあるのか調べたいのです。」
「違いがあれば?」
「他国での予防の対策を考える材料になる筈です。」
「違いがなければ?」
「その時は、セルバ人の体質が他国の住民と違いがあるのか、調べます。」
喋りながら、ふとマイロは思った。相手はただの農民に見える。普通の人はマイロの説明を聞いても、へぇ!とか、ふーん、と言った表情をする。難しくてよく理解出来ないと言う顔だ。しかし、目の前の男性は、「わかっている」と言う表情だった。
男性は不意に視線を畑の方向へ向けた。
「この村でその虫に刺されて病気になったと言う人はいません。そもそも虫に刺されたと言う話は聞きません。乾いた土地ですから、虫には生きにくいでしょう。」
サシガメは家の中にいると、マイロが言いかけると、チャパが彼の袖を引いた。そっと小声で囁いた。
「彼は僕等に去れと言っているのです。」
マイロは助手を振り返った。チャパが小さく首を振った。先住民を怒らせるな、と言いたいのだろう。マイロは畑の向こうに見えている都市を見た。まだ調査対象はいくらでもある、と彼は思った。それで、彼は名刺を出した。
「私達の為に時間を割いて頂いて有り難うございました。もし虫を捕まえたり、刺された人がいたら、この番号に電話して下さい。すぐに駆けつけられるとは思いませんが、必ず戻って来ます。協力をお願いします。大勢の病気で困っている人々の為です。」
すると、男性が名刺を受け取ってくれた。名前と電話番号を眺め、静かな口調で言った。
「では、私も名前を貴方に教えます。セフェリノ・サラテ。この村はセロ・オエステです。」
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