ケツァル少佐と別れたアンドレ・ギャラガ少尉はバス停に向かって走った。セルバ共和国の路線バスの運行は、首都に関して言えば概ね時刻表通りに運んでいる。ギャラガは官舎の夕食の時間に間に合わせたかった。食事をして通信制大学の課題に取り組む時間が欲しかった。
そうか、官舎を出ればバスで往復する時間も消灯時間も気にしなくて済むんだ。
”ヴェルデ・シエロ”は照明がなくても書籍を読める。それでも写真などの色彩は照明の下で見たかったし、大部屋の他の隊員達に気を遣わずに勉強するのも良いだろう。
バス停に着くと、すぐに大統領府行きのバスがやって来た。首都の中心地で飲食店街から外れるので、夕刻にこの方向のバスに乗る客は多くなかった。列の前の方にデネロス少尉がいるのが見えた。彼女も官舎組だ。女性なので、アスルは同居を誘っていない。彼女が官舎を出る出ないは彼女自身がその気になったら決めるだろう。
女性も同じ大部屋だ。彼女の方が独立したいんじゃないのかな。
列が動き出し、並んでいた客が乗り込み始めた。ギャラガは最後尾で、彼が乗り込むとすぐにドアが閉まった。空いている席を探して車内を見ると、デネロスが彼に気づいて手を挙げた。隣席が空いていたのだ。ギャラガは「グラシャス」と言って、先輩の隣に座った。
「明日は今季の発掘許可決定の最終選考日ですね。」
ギャラガが囁くと、デネロスは頷いた。
「最近選考を通る団体が固定されてきましたね。」
「アンティオワカはまだどこの団体とも決まっていないわ。フランス隊の不祥事の後、閉鎖されたままだから。」
「ミーヤ遺跡の日本隊がそろそろアンティオワカへ希望を申請する頃だと思いましたが、今季は出しませんでしたね。」
「ミーヤの発掘が完全に終わっていないからよ。日本隊は予算の都合上、一度に複数の遺跡を掘ったりしないの。エジプトやアンデスの遺跡と違ってセルバの遺跡にはスポンサーが少ないのよ。」
2人でボソボソと仕事の話をしていると、出発してから3つ目のバス停が近づいて来た。後ろの座席から立ち上がった気の早い男の客が通路を歩いて2人の横を通り過ぎた。するとデネロスの斜め前の席にいた男も立ち上がった。先に席を立った客の背後について行く。
ギャラガは不意に空気が少し震えた様な気がした。誰かが”気”を使った? 直後にデネロスが声を出した。
「駄目よ!」
周囲の乗客が彼女を振り返った。ギャラガも彼女を見た。先に立った男も彼女を振り返った。彼の背後に立った男は振り返らなかった。
デネロスがギャラガに顔を向けて言った。
「特定の団体に便宜を図ったりしては駄目よ。」
なんのこと? とギャラガは一瞬ポカンとして先輩少尉を見返した。デネロスが”心話”で事情を説明した。
ーー誰かが”操心”を使おうとしたから止めた。
ーーもしかして、あの前に立っている男ですか?
ーー多分。標的はその前にいる男。
ミックスで白人の血が混ざっていてもマハルダ・デネロスは”ヴェルデ・シエロ”で2番目に強い部族ブーカの娘だ。そしてギャラガが最強の部族と呼ばれたグラダ族だ。2人はブーカやグラダより弱い力を持つ部族が強力な力を使えば、察知することが出来た。
バスが停車した。最初に立った客が降車し、バスから出た途端に走り出した。後から立った客も降りたが、追いかけずに反対方向へ歩き出した。
バスが動き出した。ギャラガは歩道を歩く男がバスの窓越しにこちらを睨みつけるのを見た。純血種の”ヴェルデ・シエロ”だ。
ーー”砂の民”じゃないですか?
ーーそうだとしたら、逃げた方は密猟者ね。
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