2024/02/19

第10部  粛清       6

  粛清を行おうとしたが失敗した。邪魔が入ったからだ。
 その”砂の民”はエクと呼ばれていた。彼の実際の職業や立場はこの際はどうでも良いので、記述しない。エクは標的の密猟者を南部からずっと追跡して来た。彼は憲兵隊の手配書を見た訳ではなかった。以前から標的の男が森の中で悪さをしていることを知っていた。法律に触れることだ。しかしそれを罰するのは”砂の民”の仕事ではないから、彼は見逃してきたのだ。しかし一族の人間を殺害したとの情報が耳に入り、首領から粛清の指示が発せられたと知らされ、エクは狩りに出た。
 標的の男は仲間が3人、謎の自殺と謎の喧嘩殺人で命を落としたニュースを知って、怯えた。”ヴェルデ・シエロ”の祟りだと恐れた。エクはすぐには手を出さなかった。標的がもっと怯えることを望んだ。殺害された者が味わったであろう恐怖と屈辱を、仇に味わせたかった。標的の近くに潜み、夜になると幻聴で死者の声を聞かせ、昼間はチラチラと幻覚を見せた。
 標的は思ったよりしぶとかった。犯行現場から遠ざかれば、なんとかなると思ったらしい。標的はヒッチハイクで故郷を離れた。エクは仕方なく移動しなければならなかった。一度は標的を見失ったが、トラック運転手を片っ端から当たり、南部でヒッチハイカーを乗せた車を見つけた。
 標的は都会まで逃れて、少し安心した様だ。身内の家に転がり込んでいた。エクは標的が身内の家族に何の話をしたのか気になった。”ヴェルデ・シエロ”を殺したと喋って、それが身内に信じ込まれたら、粛清の対象が増えてしまう。
 エクは標的の身内の家長と思しき男に近づき、心を盗んでみた。”ヴェルデ・シエロ”にとって簡単な作業だった。目を見れば済むことだ。人間の記憶を読み取る。最近のものだけだから、すぐに済んだ。
 標的は幸いなことに、己が犯した罪は喋っていなかった。身内に、賭博で喧嘩になったので暫く身を隠すと嘘を言って、誤魔化していた。そんなチャチな嘘で相手に信じてもらえる、つまらない人間だ。
 エクは標的を遊ばせるのを切り上げることにした。ちょっと幻覚を見せて交通事故に遭わせれば良い。一番簡単な方法だった。
 標的が乗るバスに彼も乗り込み、標的よりも前の、出口に近い席に座った。斜め後ろの席に座っていた若い男女の会話に注意を向けなかったのが、エクの失敗だった。
 若い男女は”出来損ない”だが、大統領警護隊だった。大巫女ママコナが認めた一族の戦士だ。それに気付いたのは、エクが標的の降車に続いて、幻覚を起こさせる”操心”をかけようとした時だった。

「駄目よ!」

 若い女の声が、彼の術を破った。気を散らしたのではない、”気”を砕いたのだ。そんなことが出来る”出来損ない”は滅多にいない。訓練を受けた大統領警護隊ぐらいなものだ。
 エクは力を収めた。逆らうと、反逆罪に問われかねない。彼はバスを降りて、標的と反対方向へ歩いた。妨害した人間の顔を見たかった。
 可愛らしい若いメスティーソの女と、白人に見える若い男のペアだった。男がエクを見た。エクは思わず睨みつけたが、それ以上のことは控えた。
 再び狩りを続けなければならなかった。

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