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2021/08/03

太陽の野  5

  結局シャベス軍曹の直属の上官アデリナ・キルマ中尉が”ヴェルデ・シエロ”なのか違うのか訊けず仕舞いで、シオドアは文化・教育省を出た。大学に戻ると昼だった。昼食を取る前に、研究室からキルマ中尉に電話をかけてみた。野太いが女性の声だとわかる人が電話口に出た。

「キルマ中尉・・・」
「テオドール・アルストです。内務省から護衛をつけてもらっている・・・」
「ああ、アメリカから来た博士。」

 キルマ中尉は余計なお喋りをしないタイプらしい。

「何かご用件ですか?」

 まるでケツァル少佐だ。愛想がない。もしかすると、セルバの女性軍人はこれが普通なのだろうか。シオドアはすぐに要件に入ることにした。直ぐに昼休みだ。

「昼間の護衛につけてもらっているシャベス軍曹ですが、最近俺の妹と無駄話が多いと友人から聞きました。」
「無駄話?」
「任務遂行中に世間話をしているのを見たと言う人がいます。俺がいる時は静かですが。」

 ああ、とキルマ中尉が声を出した。言いたいことはわかる、と言う意味だ。

「軍曹に注意しておきます。他の者に交代させましょうか?」
「いや、そこまでしなくても良いです。ただ、任務に集中して欲しいだけです。」
「承知しました。」
「よろしく。」

 シオドアは電話を切った。もしかするとアリアナに恨まれるかも知れないが、休日にデートぐらいなら許そう、と思った。2人が互いに好き合っていると言う前提だが。
 シエスタの後、授業を行った。学生達はもうすぐ独立記念日の休暇が来るので、浮き足立っていた。旅行やら帰省やらで国外や田舎へ行くのだ。シオドアはエル・ティティのゴンザレス署長にグラダ・シティに遊びに来ないかと電話したのだが、ゴンザレスは独立記念日の休暇は帰省する若者で街の人口が増えるので忙しいと断った。

「それじゃ、俺も来年はその人口の一人だから。」

と言ったら、ゴンザレスが笑って、待ってるぞ、と言ってくれたのだ。
 夕刻、授業が終わってアリシアが研究室を出るのを待っていると、ステファン大尉から電話がかかって来た。

「今夜はご予定ありますか?」
「ノ。フリーだけど?」
「もし良ければうちに来てくれませんか? ご相談したいことがあります。」

 例の暗殺未遂事件のことだろうか。シオドアは「行くよ」と答え、駐車場へ向かった。シャベス軍曹が既に来ていて、車の横でタバコをふかしながら待っていた。シオドアが近づくと、ちょっと罰の悪そうな顔をしてタバコを地面に落として足で揉み消した。恐らくキルマ中尉から電話で注意をされたのだろう。シオドアは故意にそれに触れないで、夜の予定が変わったことを告げた。

「友人の家に行くことになった。悪いが、アリアナだけ乗せて帰ってくれ。俺は夕飯も要らないから。」
「夜間のお出かけは護衛をつけて頂かないと・・・」

 シャベスの言葉を彼は遮った。

「大丈夫だ、いつもの友達がいるから。」

 軍曹が溜め息をついた。

「ロス・パハロス・ヴェルデスですか。」
「スィ。エル・パハロかロス・パハロスになるかわからないが、兎に角少なくとも連中の一人と一緒だ。だから護衛は必要ない。」

 大学を出て、文化・教育省に向かって歩いた。徒歩10分の距離だ。直ぐに到着した。午後6時の定刻になると役所は一斉に閉庁し、職員達がゾロゾロ雑居ビルから出て来た。出て行く人に入り口の番をしている軍曹は知らん顔だ。シオドアはロホが出て来て、路地の奥の駐車場に入って行くのを見送った。次にデネロス少尉が若い女性職員達とお喋りしながら出て来た。彼女達も駐車場へ向かった。ロホのバイクが走り去り、デネロスが女性友達の車に同乗して去った。シオドアがさらに待っていると、ケツァル少佐が2人のスーツ姿の男性と話をしながら出て来た。一人は文化・教育大臣だったので、シオドアはちょっと驚いた。大臣の運転手は既に待機していたのだろう、彼等がビルから出ると直ぐに駐車場からやって来て、大臣と少佐を後部席に、もう一人の男性を助手席に乗せて走り去った。少佐はまだ仕事なんだ、とシオドアは思った。しかし少佐はTシャツにジーンズだ。大臣級の人間とデートする服装ではない。彼等の行き先が高い店とは思えなかった。
 ビルから出て来る人の流れが薄くなった頃に、やっとステファン大尉が現れた。携帯電話で誰かと話しながらビルから出て来て、シオドアに気づくと手で「ついて来い」と合図した。電話の相手は親しい友人らしく、テイクアウトの食べ物の話をしていた。夕食の打ち合わせか?とシオドアは彼と2人きりだと思っていたので、3人目は誰だろうと考えてしまった。
 ビートルの前でステファンは電話を終えて、ドアを開けた。そしてシオドアを振り返った。

「急にお呼びだてして済みません。」
「構わないさ。友達も来るのかい?」
「スィ。」

 ステファンはちょっと意味深に笑って、シオドアを見覚えのある古いアパートへ連れて行った。アパートの前に路駐すると、階段を上がって、部屋に入った。若い男の一人暮らしだ。散らかっていそうで整然としている。と言うより、あまり私物を持っていないのだ。彼はシオドアにキッチン兼ダイニングの椅子を勧め、冷蔵庫からビールを出して来た。シオドアは床を見た。

「以前ここへ来た時は、沢山の猫を飼っていたよな?」
「猫なんて飼っていませんよ。時々飯を食いに来ていた連中です。私が北米へ行って長い間留守にしたので、何処か別の家へ行ってしまいました。」

 その時、外で聞き慣れたバイクのエンジン音が近づいて来て、アパートの前で停まった。シオドアは3人目が誰だかわかったので、安心した。
 果たして美味しそうな匂いを漂わせた大きな紙袋を持ってロホが現れた。

「スイートソースが品切れだったから、ややスパイシーソースにしたぞ。」
「あの店の やや は やや じゃないぞ。」
「激辛よりはマシだろう。」

 シオドアを不安にさせる会話をしながら、大尉と中尉がテキパキとテーブルの上に料理を並べた。大統領警護隊の男達は家事をこなすのが上手い。もしかすると、一番下手なのはケツァル少佐かも知れない、とシオドアは思った。
 支度が整うと、男達はテーブルを囲んだ。各ビールの瓶を掴んだ。ステファンが言った。

「明日やっとのことで退院するアスルに乾杯!」
「松葉杖の英雄に乾杯!」
「ひ弱なアスルの脚の骨に乾杯!」

 本人が聞いたら気を悪くする祝辞で彼等は乾杯した。ビールをゴクリと飲んでからシオドアは質問した。

「相談したいことって何だい?」

 ステファン大尉が席を立ち、直ぐに棚から何かのパンフレットを持って戻ってきた。

「家を買おうと思うのですが、どれが良いですか?」
「はぁ?」

 シオドアは思わず彼を見つめ、それからロホを見た。ロホが説明した。

「カルロはオルガ・グランデから母親と妹をグラダ・シティに呼び寄せる決心をしたんです。それで貯めた金を頭金に、家を買って女性達を住まわせたいと考えているのですが、どんな家が良いか、貴方に助言をいただこうと思って・・・」
「そんなの、お母さん達に訊けば良いだろう?」
「母にはまだ言っていないのです。家を贈ってびっくりさせたいのです。」

 ステファンは自分がトゥパル・スワレに狙われていると知って、母と妹を目の届く場所に置きたいのだ。しかし、それは多分ケツァル少佐には相談出来ない話なのだ、とシオドアは理解した。ステファンの母親カタリナが夫シュカワラスキ・マナと知り合った時、ケツァル少佐の母親は既にこの世にいなかった。しかし正式の夫婦でない男女の間に生まれた少佐は、父親の正式な妻が今も健在で子供達と一緒にいられることに複雑な感情を抱いているだろう。マナは妻に出会う前の彼と彼の2人の半分グラダの血を引く仲間のことを話しただろうか。カタリナは”心話”が出来るから、恐らく夫の目から過去の話を伝えられただろう。夫のもう一人の娘の存在を知っているに違いない。その娘が現在彼女自身の息子の上官だと知ったら、どんな気持ちになるだろう。

「わかった。先ず、予算はいかほどだい?」



太陽の野  4

  文化・教育省が入居している雑居ビルの4階に、文化財・遺跡担当課があり、その片隅に大統領警護隊文化保護担当部のオフィススペースがある。他の部署と特に隔てられている訳でなく、パーテーションで分けられていることもない。だから時々物品の貸し借りで机から机へ何かが飛ばされている。シオドアが通路スペースとオフィススペースを分けるカウンターの内側に入ると、目の前を布で包まれた何かが横切った。顔に当たりそうになって危うく難を逃れた彼の横でロホが怒鳴った。

「出土品を投げるのは止めろ!」

 シオドアの右の方で若い男性職員が首をすくめた。左側でデネロス少尉がペロッと舌を出した。

「・・・たく、小さいからと言って、すぐ粗略に扱う・・・」

 文化保護担当部のスペースではそんな小さな騒動などなかったかの如く、ケツァル少佐が電話で忙しげに喋っていた。彼女の前の机ではステファン大尉が書類と電卓を相手に格闘中だ。ロホは自分の机にヘルメットを置き、シオドアにまだ入院中のアスルの椅子を勧めた。

「取り敢えずシャベス軍曹の直属の上官を探してみましょう。」

 ロホがパソコンを起動させた。シオドアは昨晩検索したのだが、軍部の名簿が出てくる筈もなく、断念したのだ。ロホは大統領警護隊だからこそ知っているパスワードで陸軍兵士の名簿を開いた。

「エウセビーオ・シャベス軍曹・・・陸軍特殊部隊・・・第17分隊所属、分隊長は・・・」
「アデリナ・キルマ中尉。」

とケツァル少佐が呟いた。あっ本当だ! とロホ。ステファン大尉が独り言の様に、「あの巨乳ちゃん」と囁いて、側頭部に少佐から消しゴムの投擲を受けた。それを見てデネロスが嬉しそうな顔をしたのをシオドアは見逃さなかった。どうやら以前の雰囲気が戻って来た様だ。

「シャベスの上官は女性なのか。」
「女性では都合が悪いですか?」
「軍曹の女性問題を相談したいからなぁ・・・」

 少佐が、ステファンが、そしてデネロスがシオドアを見た。皆んなアリアナのゴシップを知っているんだ。否、俺が自分で拡めたんだ・・・。大統領警護隊だけの部屋ならここで話が出来るが、他の部署が隣に並んでいる。シオドアは慎むことにした。携帯にキルマ中尉の電話番号を記録した。

「面会なさるのですか?」

とロホがちょっと興味を持って尋ねた。キルマ中尉は”ヴェルデ・シエロ”なのだろうか? シオドアは訊きたかったが、やっぱり隣の部署が気になった。職員達は気にしていないフリをしてしっかり聞いているのだ。シオドアは携帯をポケットに仕舞いながら、「ノ」と答えた。

「電話で話すだけだよ。面会したら、シャベスにバレるだろうし。」

 ロホがちょっぴり残念そうな顔をした。きっとシオドアのバックアップを兼ねて「巨乳ちゃん」に会ってみたかったのだろう。真面目なロホでも若い男性らしく女性に興味があるのだ。
 シオドアは椅子から立ち上がった。ロホは既に仕事の準備を始めていた。
 シオドアは少佐の机の側に行った。少佐は電話を終えて次の書類に取り掛かっていた。何処かの国の発掘調査申請書だ。隣のセクションを散々たらい回しされたらしく、書類のあちらこちらに赤ペンで書き込みがあり、紙面に皺が寄っていた。役人達が申請書を受理して、読んで、申請者の人数や日程、場所、調査目的、予算などを検討し、最後に大統領警護隊文化保護担当部に護衛が可能か否か判断を任されるのだ。文化保護担当部が陸軍の護衛部隊に日程と人数の打診をして了承を取れたら、ケツァル少佐が調査隊に「保護協力金」名目で遺跡に入るための入場料を請求する。料金は調査隊の規模によって異なるので、その計算をしているのが、ステファン大尉だ。
 シオドアは少佐に声をかけてみた。

「またジャングルへ出張かい?」
「これは砂漠の遺跡です。」

 するとマハルダ・デネロス少尉が顔を上げてこちらを向いた。目が「私に行かせて」と言っている。まだ護衛の現場に出た経験がないのだ。しかし少佐は彼女にではなくシオドアに言った。

「これは小さな遺跡で宝物はありません。調査隊の規模も小さいので護衛部隊をグラダ・シティから送ることはしません。現地の陸軍駐屯地から数名出してもらいます。」

 デネロスががっかりしてデスクワークに戻った。

2021/08/02

太陽の野  3

  シオドアが帰宅した時、アリアナは既に寝室に入っていた。シオドアがドア越しに「おやすみ」と言うと、「おやすみ」と返事があった。彼は自室で暫くネットゲームをしてから、ふと思うところがあって、庭に出た。夜間の監視役をしている兵士が直ぐに気がついて近づいて来た。

「何かありましたか、ドクトル?」
「ノ、ただの夕涼みだ。」

 シオドアは夜風にあたりながら、兵士が再び元の場所へ戻ろうとするのを見た。

「ちょっと聞きたいことがある。」

 兵士が足を止めて振り返った。

「何でしょう?」
「昼間の当番のシャベス軍曹のことだが、彼は家族がいるのかい?」

 兵士は肩をすくめた。

「個人的なことは・・・」

 そうだ、他人のプライバシーを詮索しないのがセルバ人のマナーだ。シオドアは「ごめんよ」と謝った。

「妹が彼を気に入った様なので、ちょっと気になったのさ。」

 正直に言うと、逆に効果があった。兵士が応えた。

「シャベス軍曹は独り身です。白人女性が好みで・・・妹さんは気をつけた方が良いですよ。護衛と対象者が親密になると碌なことがありません。」

 そして「おやすみなさい」と言って持ち場へ戻って行った。
 シオドアはアリアナに説教をした方が良いのだろうかと考えた。だがセルバに来てから彼女は家と大学を往復するだけの毎日だ。医学部の仕事仲間と出かけたり、たまに大統領警護隊のマハルダ・デネロスに誘われて買い物に行ったりするだけで娯楽もない。新しい友人ができるのであれば良いことだ。だが護衛が相手では、シャベスの任務に支障が出る。
 翌朝、何時もの様にシオドアとアリアナは朝食を取り、身支度をしてシャベス軍曹が運転する車で大学に向かった。シャベスが「今日のご予定は?」と尋ねた。シオドアは午後の授業が終われば普通に帰ると答えた。アリアナも夜の予定はないと言った。それでシャベスはいつもの時間に迎えに来ると言って、2人を大学の正門前で降ろし、士官学校の方向へ去って行った。
 アリアナと別れ、シオドアは生物学部の研究室に入った。内務省の指示で亡命者の護衛をしている部隊がどこなのか調べるのはどこに訊けば良いのだろう。内務省か? 先日のデネロス少尉の言葉が脳裏に蘇った。内務大臣の弟はケツァル少佐にご執心だって? 山のような花をお見舞いに送る大臣の兄の役所に、家族の問題を持ち込むのか? アリアナはたった一人の家族だ。エル・ティティの街へ連れて行ってやりたい。田舎暮らしの良さをわかってもらいたい。何処の馬の骨かわからぬ兵士に取られたくない。
 色々考えているうちに1時間ばかり経ってしまった。彼は午後の授業の準備をしてしまい、余った時間で外出した。ぶらぶら歩いて、気がつくと文化・教育省の前に来ていた。いつもの無愛想な女性軍曹が番をしていた。彼女も陸軍だ。シャベスの上官を知っているだろうか。近づいて行きかけると、後ろからバイクがやって来た。追い越しざま、「テオ!」と声をかけられた。驚いて立ち止まると、バイクは路地へ入って行った。路地の奥に文化・教育省の職員駐車場があるのだ。因みに来客用駐車場はない。客は歩いて5分の場所にある市営駐車場に車を止めなければならない。バスターミナルもそこにあるので、セルバ人は特に不便だと思っていないようだ。
 シオドアが立っていると、駐車場にバイクを置いてロホがやって来た。手にバイク用ヘルメットを抱えている。バイクは中古だがヘルメットは新品だった。セルバでは新車はすぐ盗まれる。だから「常識」がある市民は中古車を利用する。持って移動出来る物は新品で構わないのだ。
 挨拶を交わして、ロホが誰かに御用ですかと尋ねた。シオドアは誰でも良かったので、彼に護衛のシャベス軍曹の上官を知らないかと尋ねた。ロホが用心深く周囲を見回してから、質問で返した。

「内務省の指示でお宅の監視兼運転手をしている兵士ですか?」
「スィ。ちょっと彼の勤務態度について彼の上官と話したいことがあってさ。」

 するとロホがドクトラのことですかと言ったので、シオドアは噂が広まる速さに驚いた。デネロスもステファンも口が軽い訳ではないが、目と目を見合わせば意思疎通が出来てしまう種族だ。秘密を保つのは困難だ。

「軍曹が彼女に何をしたと言う訳じゃない。少し個人的な話をするのを控えてくれと言いたいだけなんだ。」

 ロホはあまりお勧めしないと言いたげな顔をした。

「上官に伝わると、その軍曹は更迭されるでしょうね。軍歴に傷が付くので、貴方を逆恨みする恐れが出てきます。」
「アリアナと必要以上に口を利くなと言うだけだよ。クビにする必要はない。」
「それは貴方の方の理屈です。シャベスの上官には、あなた方の安全を守れと言う内務大臣からの指示に従えなかったと言う悔いが残ります。例え内務大臣の耳に入らなかったとしても・・・」

 ロホがそこで珍しく嫌な顔をした。

「内務大臣の弟の建設大臣には地獄耳の秘書がいます。」
「秘書?」
「”砂の民”のシショカと言う男です。」

 建設大臣の秘書に”砂の民”がいると、以前ケツァル少佐も言っていた。シオドアも嫌な感じを覚えた。シショカは最近もカルロ・ステファンにちょっかいを出したのではなかったか? 

「なんで”砂の民”が大臣の秘書なんかしているんだ?」
「そこの事情は私も知りません。マリオ・イグレシアスの個人秘書ですから、かなり昔から働いているのでしょう。問題は、シショカはムリリョ博士の配下ではないと言うことです。マスケゴ族ですから、族長には従いますが、裏の仕事では一匹狼なのです。国政に関わって、一族に都合が悪い政治家が現れると動く、そう言うヤツです。貴方が内務省の指示で働く兵士に苦情を言えば、シショカの耳に入ります。シショカはあなた方を守りはしないが、仕事をしくじった兵士を許さないかも知れません。」
「面倒臭いヤツだなぁ・・・」

 ロホが時計を見て、雑居ビルを指した。

「お時間があるのでしたら、中へ入って話しませんか? ここは暑いです。」

 確かに南国の太陽が容赦無く照りつけていた。

 

太陽の野  2

 朝夕の送迎の車を運転するエウセビーオ・シャベス軍曹は、シオドアとは仕事の話しかしなかった。守られる対象者と世間話をするのは護衛としては良くない傾向だ。シオドアはシャベスの様子を観察してみたが、向こうもシオドアがいる時は尻尾を出さなかった。アリアナが親しげに話しかけると、少し声音が柔らかくなるだけだ。アリアナも彼が気に入っている素振りを見せなかったので、シオドアはデネロスの取り越し苦労だと思いたかった。
 デネロス少尉が遊びに来た雨の日から3日経った。天気が良かったので、シオドアは夕食を外で取ろうとアリアナを誘ったが、断られた。医学部の研究があるので遅くなると言う。それで運転手を彼女に譲って、彼は街で食べて一人で帰ることにした。賑やかな通りをぶらついて、目に入ったバルに立ち寄った。立食用カウンターで一人で軽く飲みながら小皿の料理を摘んでいると、こんばんは、と声を掛けられた。振り向くと、カルロ・ステファン大尉が立っていた。仕事帰りで腰から下はジーンズだが、恐らく規則に従ってホルダーで拳銃を装備している筈だ。Tシャツの上に着込んだジャケットで隠している。 シオドアは「ヤァ」と返して、隣を指した。ステファンはそこに自分のグラスと皿を置いた。

「少佐の傷はもう良いのかい?」
「経過良好なんじゃないですか?」

とステファンは他人事みたいに言った。

「私に見せてくれる筈がないじゃないですか。」
「そうかい?・・・俺は頼みもしないのに見せられたことがある。目のやり場に困ったぞ。」
「あの人は時々そう言う突飛なことをするんです。ロホも悪霊退治の最中に彼女が脱ぎだして困ったと言っていました。」
「何のために脱いだんだ?」
「悪霊をびっくりさせたんですよ。」

 2人はクスクス笑った。

「アスルは何時退院させてもらえるんだい?」
「後3日です。しなくて良い格闘をして脚を折ったので、副司令がご立腹で、私より謹慎期間が長かったんです。」
「良いじゃないか、骨休み出来てさ。」

 シオドアはビールを流し込んだ。

「俺だって、好きな女性が傷つけられたら頭に来るさ。相手をぶん殴る。」
「・・・」
「だけど、あの状況でも立場を忘れない少佐も凄いよな。」
「あの方は・・・」

 ステファンが呟いた。

「とても遠い。」

 シオドアは彼を見た。ステファンはグラスの中のビールの気泡を見ていた。

「エルドラン中佐に言われたのです。彼女を手に入れたくば、彼女より上へ行けと。」
「それは・・・」

 どう意味だ? 何時、そんなことを言われたのだ? 姉弟関係を知る前か、それとも後か?

「まだ彼女を諦めていないってことか?」
「いけませんか?」

 ステファンがシオドアの目を見た。そんなに見つめられても何も伝わらない。シオドアは小声で言った。

「君の姉さんだぞ?」
「半分だけです。」
「父親は同じ人だ。」
「母親は違います。」
「それでも彼女は君の姉さんだ。」
「それは”ヴェルデ・ティエラ”のルールです。私達は”ヴェルデ・シエロ”です。」

 シオドアは思わず周囲を見回した。誰も聞き耳を立てていない。

「それがグラダの常識なのか?」
「私達の常識です。ブーカでもサスコシでも、7部族共通の常識です。」

 シオドアは唖然とした。母親が異なると他人扱いになるのか? ステファンはビールを流し込んだ。 お代わりを注文した。

「私はまた任務に力を入れます。昇級して、少佐より上を目指します。必ず彼女を手に入れて見せます。」
「彼女は承知しているのかい?」
「彼女が誰を選ぶかは、彼女にしかわかりません。」

 ステファンをシオドアをじろりと見た。

「貴方もライバルだと考えてよろしいですね?」

 シオドアはドキッとした。

「俺は白人だが・・・」
「でも彼女のことが好きでしょう?」
「勿論・・・」
「彼女は人種なんて気にしませんよ。」

 ステファンがちょっと拗ねているように聞こえた。

「彼女は貴方の手が彼女に触れても拒まない。礼拝堂で彼女が傷を痛がった時に貴方が労ったでしょう。あれが私だったら、手を振り払われていました。」
「ああ・・・」

 そう言えば、あの時ステファンは怒っていた。シオドアは殺気を感じたのだ。

「あれはだね・・・彼女は俺を対等の立場だと考えているから容認してくれたんだ。」
「貴方と彼女が対等?」
「スィ。君は彼女の部下だ。彼女は部下に気遣ってもらいたくない。弱みを見せたくないんだ。」
「しかし、彼女は疲れた時は平気で私にもたれかかってきます。」
「君は頼れる大樹だ。公園の木の幹と同じだ。椅子の背もたれとか、カウンターとか・・・」

 ひどいなぁと言ってステファンがやっと笑ってくれた。その笑顔が、シオドアに例の男を思い出させた。メスティーソだからと言う訳ではないが、笑うとちょっと印象が似ている。

「カルロ、内務省の指図で俺達の監視と護衛をしている運転手のシャベス軍曹を知っているだろう?」
「知っていると言われる程では・・・あなた方を通してしか知りませんが、彼がどうかしましたか?」

 シオドアはちょっと躊躇った。

「俺は見た訳じゃないんだが、シャベスがアリアナと仲良くしていると言う情報があるんだ。」
「仲良く?」
「必要以上に世間話をしたり、親し気にしていると・・・アリアナも最近お洒落になったと言うんだ。」

 ステファン大尉がちょっと考え込んだ。彼も一度アリアナと関係を持ったことがある。彼の方は助けてくれた恩人の要求に応えただけの様だが、アリアナは真剣になりかけていた。今でも彼と2人きりになるのは勇気が要る様に思える。

「気に入りませんね。」

と大尉が言った。

「彼女が誰を好きになろうと私に口出しする権利はありませんが、護衛が守るべき人に手を出すのは許されない。シャベスの上官は誰です?」
「上官に言いつけるのかい?」
「戒告が必要かどうか、上官の判断によりますが、黙っているのは良くありません。シャベス軍曹は私と同じ年代です。若いですから、過ちを犯す可能性もあります。」

 経験者がそう言うのだから、忠告を聞き入れるべきだろう。シオドアはわかったと応えた。

「明日、彼の上官にそれとなく注意しておくよ。」



2021/08/01

太陽の野  1

  セルバ共和国は熱帯雨林気候の土地だが、丸一日雨が降るのは珍しい。雨季でも1日の数時間に大量の雨が降り、後は空が晴れているか曇っていると言う状態だ。だから乾季に終日雨が降るのは滅多にないことで、シオドアの教室の学生達は予定が狂ったと朝から文句を言っていた。シオドアも学生達と午後から植物採取に出るつもりだったので、次の日の予定を組み換えなければならなかった。シエスタも研究室の中で本当に昼寝をするしか時間を潰す方法がない。部屋の隅に置いた木製のベンチで横になっていると、マハルダ・デネロス少尉が訪ねてきた。彼女の顔を見るのは久しぶりだったので、シオドアは喜んだ。

「そろそろ卒業準備だね?」

と言うと、彼女は恥ずかしそうに頷いた。

「論文に取り組んでいます。でも結構難しくて・・・ケサダ先生は授業では優しいんですけど、論文の採点が厳しくて。」

 彼女の論文のテーマはなんと「”風の刃の審判”の実用性」だった。グラダ・シティ近郊のサラの遺跡を巡って調査し、実際に使用されたのか、使用されたとしたらどれ程の頻度だったのか、審判の効果はあったのか等を比較検討していた。
 お土産にお菓子を持ってきて机の上に並べるデネロスの為に、シオドアは昼寝を止めてコーヒーを淹れた。

「俺に”風の刃の審判”の実体験を聞きに来た訳じゃないだろう? 俺が遭遇したのは通路で、本当のサラの中じゃなかったから。」

 シオドアが指摘すると、デネロスは彼の向かいに座った。

「オフィスが息苦しくて、息抜きに来ちゃいました。」
「息苦しい?」
「スィ。上官達の様子が変で・・・」

 ケツァル少佐は撃たれてから4日後に退院した。護衛のステファン大尉も彼女の退院と共に病院での警護を打ち切ってオフィスに戻った。

「あんなに仲が良かった少佐と大尉が、あれから口を利かないんです。仕事で必要な話はするんですけど、それ以外は無駄口を叩かないし、目も合わさないんです。」

 ああ、とシオドアは原因に思い当たることがあるので頷いた。お互いに異母姉弟だと知って、あの2人はそれまでの関係を同じように保てなくなっているのだ。ケツァル少佐は両親がそれぞれ異なる立場で大罪を犯した咎人だったと知ってショックを受けているに違いないし、ステファン大尉も酷い最期を遂げた父親を思い、恋をした女性が姉だったと知って気持ちの整理がつかないのだろう。
 若いデネロスは「伝説の死闘」を知らない。長老会とは縁がないメスティーソの家族の子供だから尚更だ。ロホはどうなのだろう、とシオドアは思った。ロホの家は名家だとステファンが言っていた。長老会と深い繋がりがある筈だが、ロホはステファンと同年齢だ。事件があった頃はまだ赤ん坊だった。ロホの親は息子に歪んだ一族の歴史を教えただろうか。

「大尉が少佐が撃たれた時に持ち場を放棄して要塞に突入してしまったことを批判されたことは知っているかい?」

 すると意外なことにデネロスは知らなかった。そうだったんですか?と目を見張った。だからシオドアは彼女に教えてやった。

「大尉は文化保護担当部では少佐に次ぐ階級だ。少佐に万が一のことがあった場合は彼が指揮を執らなきゃならない。わかるね?」
「スィ。」
「だけど、ステファンは少佐が撃たれたと知った途端に、頭に血が上ってしまった。少佐を撃ったのは実際は憲兵だった訳だけど、彼はロハス一味が撃ったと勘違いして、持ち場を放棄して要塞に突入した。守るべき憲兵隊を放置したんだ。その結果、憲兵隊に負傷者が出た。ロホは中尉で、大尉が持ち場を放棄したら彼が指揮権を持つ筈だ。しかし、その時ロホは少佐の救助を優先した。彼は大尉が当然指揮を執るものと信じていたからだ。さらに最悪だったのは、少尉のアスルまでが大尉に続いて突入してしまった。」

 うそーっとデネロスが声を上げた。

「何やってたんですか、うちの男共は!」

 実戦経験がないデネロスはプンプン怒って見せた。

「何の為の大統領警護隊なんですか? 私達が守っているから、憲兵隊や警察隊は安心して悪者達と戦えるんですよ。それなのに守らずに自分達で突入したなんて!」
「少佐もロホに運ばれながら、守れと命令を叫んだらしいけど、ステファンもアスルも聞いていなかったんだ。ロホが後ろを見ずに守るなんて無理だったしね。味方の銃弾まで破壊してしまう危険は冒せないだろう?」
「ああ・・・それは少佐が怒っているのも無理ないですね。」

 デネロスは上官達の間がギクシャクしている原因はステファンの持ち場放棄にあると思い込んだ。今はそれで良いのだろう、とシオドアは思った。今少佐と大尉の間にあるのは、「家族の問題」なのだ。

「アスルはまだ退院出来ないのかい?」
「脚の骨の手術が終わって松葉杖で歩けるらしいです。だけど少佐がまだ病院から出るなと言ったらしいです。」
「彼も持ち場放棄したから、病院に閉じ込められているんだよ。本当なら、ステファンもアスルも営倉送りらしいけど、要塞を陥落させた手柄で帳消しになって、謹慎で済んでいる訳だ。」
「仕方がないですね。国民の守護が私達の任務ですもの。それを放棄したら、大問題です。」

 デネロスはお土産に持ってきた筈のお菓子を自分でパクパク食べながら、オフィスの緊張の原因がわかって少しスッキリした様子だ。
 シオドアは少佐と大尉が仲直りしてくれないかな、と思った。ステファン暗殺の脅威はまだ解消されていないのだ。連携して守備を固める筈の姉弟の間に不協和音が存在すると、守りが難しくなる。
 そんなことを思案していると、デネロスが話題を変えて、シオドアをびっくりさせた。

「アリアナは最近好きな人ができたんですか?」
「ノ・・・聞いてないけど。」
「でも最近お洒落に熱が入っているし、楽しそうですよ。彼氏がいるみたい。」

  少佐とステファンの親達の過去に気を取られていて、アリアナへの注意が疎かになっていた。シオドアは毎日顔を合わせている”妹”の変化に気がつかなかった。

「医学部に誰か男友達でも出来たのかな?」
「そうじゃないと思います。」

 デネロスは女性らしく、こう言う話題に鋭かった。

「監視と護衛を務めている軍曹がいるでしょ?」
「エウセビーオ・シャベス軍曹か?」
「あの人、アリアナに馴れ馴れしいです。」
「まさか・・・」
「テオがいない時に、彼女といつもお喋りしてます。彼女も楽しそうです。」

 つまり、シオドアの目を盗んでアリアナを誘惑しているのか。デネロスはそれが気に入らないらしい。

「監視をつけているのは、内務大臣のパルトロメ・イグレシアスでしょう? 私達、あの大臣が嫌いなんです。」
「大臣が嫌いでも、軍曹と関係がないだろうけど・・・」
「彼の弟の建設大臣はうちの少佐にずっと求愛しているんですよ。」
「え?」
「デートの誘いを電話やメールや手紙や、秘書に直接伝言を届けさせたりして、しつこいんです。少佐は全く相手にしていませんけど。」

 そう言えば、ケツァル少佐の病室にあった見舞い花の3割はイグレシアス建設大臣からのものだった、とシオドアは思い出した。

「あの大臣は白人だったね?」
「スィ。一族の血は一滴も入っていないって、官舎の先輩が言ってました。少佐が誰をお相手に選ぶかは少佐の自由ですけど、あの大臣は絶対にないって皆んな信じています。」

 あの山の様な見舞い花の送り主は大半が男性だった。もしかして、皆んな求愛者なのか? シオドアはライバルが多過ぎることに愕然とした。確かにケツァル少佐は美女だ。金持ちのお嬢様だ。しかしそこいらの男が気軽に求愛出来る様な女性ではない。並の男性では釣り合わない。そう思って安心していたが、見舞い花の送り主達は皆セルバ共和国のセレブばかりだった。

「兎に角ですね・・・」

 デネロスはツンツンして見せた。

「あのイグレシアス大臣に与えられた仕事をしている男に、アリアナを取られるのは嫌です。」


第11部  紅い水晶     20

  間も無く救急隊員が3名階段を昇ってきた。1人は医療キットを持ち、2人は折り畳みストレッチャーを運んでいた。医療キットを持つ隊員が倒れているディエゴ・トーレスを見た。 「貧血ですか?」 「そう見えますか?」 「失血が多くて出血性ショックを起こしている様に見えます。」 「彼は怪我...