結局シャベス軍曹の直属の上官アデリナ・キルマ中尉が”ヴェルデ・シエロ”なのか違うのか訊けず仕舞いで、シオドアは文化・教育省を出た。大学に戻ると昼だった。昼食を取る前に、研究室からキルマ中尉に電話をかけてみた。野太いが女性の声だとわかる人が電話口に出た。
「キルマ中尉・・・」
「テオドール・アルストです。内務省から護衛をつけてもらっている・・・」
「ああ、アメリカから来た博士。」
キルマ中尉は余計なお喋りをしないタイプらしい。
「何かご用件ですか?」
まるでケツァル少佐だ。愛想がない。もしかすると、セルバの女性軍人はこれが普通なのだろうか。シオドアはすぐに要件に入ることにした。直ぐに昼休みだ。
「昼間の護衛につけてもらっているシャベス軍曹ですが、最近俺の妹と無駄話が多いと友人から聞きました。」
「無駄話?」
「任務遂行中に世間話をしているのを見たと言う人がいます。俺がいる時は静かですが。」
ああ、とキルマ中尉が声を出した。言いたいことはわかる、と言う意味だ。
「軍曹に注意しておきます。他の者に交代させましょうか?」
「いや、そこまでしなくても良いです。ただ、任務に集中して欲しいだけです。」
「承知しました。」
「よろしく。」
シオドアは電話を切った。もしかするとアリアナに恨まれるかも知れないが、休日にデートぐらいなら許そう、と思った。2人が互いに好き合っていると言う前提だが。
シエスタの後、授業を行った。学生達はもうすぐ独立記念日の休暇が来るので、浮き足立っていた。旅行やら帰省やらで国外や田舎へ行くのだ。シオドアはエル・ティティのゴンザレス署長にグラダ・シティに遊びに来ないかと電話したのだが、ゴンザレスは独立記念日の休暇は帰省する若者で街の人口が増えるので忙しいと断った。
「それじゃ、俺も来年はその人口の一人だから。」
と言ったら、ゴンザレスが笑って、待ってるぞ、と言ってくれたのだ。
夕刻、授業が終わってアリシアが研究室を出るのを待っていると、ステファン大尉から電話がかかって来た。
「今夜はご予定ありますか?」
「ノ。フリーだけど?」
「もし良ければうちに来てくれませんか? ご相談したいことがあります。」
例の暗殺未遂事件のことだろうか。シオドアは「行くよ」と答え、駐車場へ向かった。シャベス軍曹が既に来ていて、車の横でタバコをふかしながら待っていた。シオドアが近づくと、ちょっと罰の悪そうな顔をしてタバコを地面に落として足で揉み消した。恐らくキルマ中尉から電話で注意をされたのだろう。シオドアは故意にそれに触れないで、夜の予定が変わったことを告げた。
「友人の家に行くことになった。悪いが、アリアナだけ乗せて帰ってくれ。俺は夕飯も要らないから。」
「夜間のお出かけは護衛をつけて頂かないと・・・」
シャベスの言葉を彼は遮った。
「大丈夫だ、いつもの友達がいるから。」
軍曹が溜め息をついた。
「ロス・パハロス・ヴェルデスですか。」
「スィ。エル・パハロかロス・パハロスになるかわからないが、兎に角少なくとも連中の一人と一緒だ。だから護衛は必要ない。」
大学を出て、文化・教育省に向かって歩いた。徒歩10分の距離だ。直ぐに到着した。午後6時の定刻になると役所は一斉に閉庁し、職員達がゾロゾロ雑居ビルから出て来た。出て行く人に入り口の番をしている軍曹は知らん顔だ。シオドアはロホが出て来て、路地の奥の駐車場に入って行くのを見送った。次にデネロス少尉が若い女性職員達とお喋りしながら出て来た。彼女達も駐車場へ向かった。ロホのバイクが走り去り、デネロスが女性友達の車に同乗して去った。シオドアがさらに待っていると、ケツァル少佐が2人のスーツ姿の男性と話をしながら出て来た。一人は文化・教育大臣だったので、シオドアはちょっと驚いた。大臣の運転手は既に待機していたのだろう、彼等がビルから出ると直ぐに駐車場からやって来て、大臣と少佐を後部席に、もう一人の男性を助手席に乗せて走り去った。少佐はまだ仕事なんだ、とシオドアは思った。しかし少佐はTシャツにジーンズだ。大臣級の人間とデートする服装ではない。彼等の行き先が高い店とは思えなかった。
ビルから出て来る人の流れが薄くなった頃に、やっとステファン大尉が現れた。携帯電話で誰かと話しながらビルから出て来て、シオドアに気づくと手で「ついて来い」と合図した。電話の相手は親しい友人らしく、テイクアウトの食べ物の話をしていた。夕食の打ち合わせか?とシオドアは彼と2人きりだと思っていたので、3人目は誰だろうと考えてしまった。
ビートルの前でステファンは電話を終えて、ドアを開けた。そしてシオドアを振り返った。
「急にお呼びだてして済みません。」
「構わないさ。友達も来るのかい?」
「スィ。」
ステファンはちょっと意味深に笑って、シオドアを見覚えのある古いアパートへ連れて行った。アパートの前に路駐すると、階段を上がって、部屋に入った。若い男の一人暮らしだ。散らかっていそうで整然としている。と言うより、あまり私物を持っていないのだ。彼はシオドアにキッチン兼ダイニングの椅子を勧め、冷蔵庫からビールを出して来た。シオドアは床を見た。
「以前ここへ来た時は、沢山の猫を飼っていたよな?」
「猫なんて飼っていませんよ。時々飯を食いに来ていた連中です。私が北米へ行って長い間留守にしたので、何処か別の家へ行ってしまいました。」
その時、外で聞き慣れたバイクのエンジン音が近づいて来て、アパートの前で停まった。シオドアは3人目が誰だかわかったので、安心した。
果たして美味しそうな匂いを漂わせた大きな紙袋を持ってロホが現れた。
「スイートソースが品切れだったから、ややスパイシーソースにしたぞ。」
「あの店の やや は やや じゃないぞ。」
「激辛よりはマシだろう。」
シオドアを不安にさせる会話をしながら、大尉と中尉がテキパキとテーブルの上に料理を並べた。大統領警護隊の男達は家事をこなすのが上手い。もしかすると、一番下手なのはケツァル少佐かも知れない、とシオドアは思った。
支度が整うと、男達はテーブルを囲んだ。各ビールの瓶を掴んだ。ステファンが言った。
「明日やっとのことで退院するアスルに乾杯!」
「松葉杖の英雄に乾杯!」
「ひ弱なアスルの脚の骨に乾杯!」
本人が聞いたら気を悪くする祝辞で彼等は乾杯した。ビールをゴクリと飲んでからシオドアは質問した。
「相談したいことって何だい?」
ステファン大尉が席を立ち、直ぐに棚から何かのパンフレットを持って戻ってきた。
「家を買おうと思うのですが、どれが良いですか?」
「はぁ?」
シオドアは思わず彼を見つめ、それからロホを見た。ロホが説明した。
「カルロはオルガ・グランデから母親と妹をグラダ・シティに呼び寄せる決心をしたんです。それで貯めた金を頭金に、家を買って女性達を住まわせたいと考えているのですが、どんな家が良いか、貴方に助言をいただこうと思って・・・」
「そんなの、お母さん達に訊けば良いだろう?」
「母にはまだ言っていないのです。家を贈ってびっくりさせたいのです。」
ステファンは自分がトゥパル・スワレに狙われていると知って、母と妹を目の届く場所に置きたいのだ。しかし、それは多分ケツァル少佐には相談出来ない話なのだ、とシオドアは理解した。ステファンの母親カタリナが夫シュカワラスキ・マナと知り合った時、ケツァル少佐の母親は既にこの世にいなかった。しかし正式の夫婦でない男女の間に生まれた少佐は、父親の正式な妻が今も健在で子供達と一緒にいられることに複雑な感情を抱いているだろう。マナは妻に出会う前の彼と彼の2人の半分グラダの血を引く仲間のことを話しただろうか。カタリナは”心話”が出来るから、恐らく夫の目から過去の話を伝えられただろう。夫のもう一人の娘の存在を知っているに違いない。その娘が現在彼女自身の息子の上官だと知ったら、どんな気持ちになるだろう。
「わかった。先ず、予算はいかほどだい?」
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