2022/09/30

第8部 チクチャン     11

「嫌がらせを受ける覚えはない。」

とシショカは言った。口をへの字に曲げてテオを睨みつけた。テオは続けた。

「アルボレス・ロホス村の元住民で、犯人らしき人を、と言うか名前を、文化保護担当部が見つけました。しかし、どの部族にも属さないような名前で、恐らく異種族の血が入っている筈です。そんな人達が、あの扱いが難しい神様を盗んで送りつけるとは思えない。知識を十分持っていると思えないのです。誰かが唆したのでしょう。唆した人間は、多分”シエロ”だ。 だが、その人物が泥で埋まった村の復讐をする理由がない。他人の恨みを利用して、己の利になるよう、仕向けたに違いありません。」
「それが族長選挙と関係あると言うのか?」

 シショカが低いどすの効いた声で尋ねた。

「馬鹿馬鹿しい。私は族長になるつもりはない。私は誰の支持もしていない。」
「しかし、他の候補者達が貴方の真意を知っているとは限らないでしょう。」

 テオは思わず相手の机の縁に手を置いた。相手が凶暴なピューマであることを忘れた。

「少なくとも、神像を送りつけられた貴方が、犯人探しで注意をそちらへ向けている間に、自分に有利にことを進められるよう画策している候補者がいるかも知れないんですよ。」
「だから?」

 シショカがイラッとした声を出した。

「貴方は私に何を言いたいのだ?」

 テオもちょっとイラッとした。

「わかりませんか? 神像の盗難捜査が文化保護担当部から他の部署に移るかも知れないってことですよ! 大統領警護隊がマスケゴ族の選挙の情報を掴んだんです。」

 シショカが黙った。部族間の政治は他の部族には関係ないことだ。他の部族の介入は許されない。だから族長選挙も終了して新しい族長が決まる迄、他の部族は選挙があることさえ知らないのだった。大統領警護隊がマスケゴ族の選挙を知ってもマスケゴ族に害にならない。しかし、選挙に関連した内輪揉めを知られて、介入されるのはマスケゴ族の誇りに関わる。
 テオは机から手を離した。

「俺が言いたかったのは、それだけです。文化保護担当部にはまだ伝わっていません。それから、これはムリリョ博士の情報でもない。噂ですから!」

 彼は「さようなら」と言って、くるりと背を向け、ドアに向かって歩いた。シショカが何か言うかと期待したが、結局何も、挨拶さえ帰って来ずに、彼は部屋の外に出た。



第8部 チクチャン     10

  テオがアパートに帰ると、丁度ロホとアスルがビートルに乗って駐車場から出て行くところとすれ違った。片手を上げて挨拶の代わりにした。
 部屋に上がると、ケツァル少佐が寝支度をしていた。テオは彼女におやすみのキスをして自室に移った。シャワーを浴びてベッドに寝転がった。
 マスケゴ族の族長選挙と言われても想像がつかなかった。まさか市長選挙や大統領選挙みたいに投票場に行って、投票箱に候補者の名前を書いて入れる訳ではあるまい。古代からの何か儀式の様な方法で決めるのだろう。だが、候補者同士が足を引っ張り合うことがあっても、呪いなど使うのはルール違反に違いない。
 シショカはそんな方面に考えを至らせているだろうか。頭脳明晰な政治家の秘書のことだから、恐らくその可能性も思慮に入れているだろう。しかし、送りつけた人間はシショカの能力を承知している筈だ。呪いの神像など見破ってしまうだろうと想像出来るに違いない。

 やはりダムの恨みに対する「素人」の犯行じゃないのか?

 その夜はよく眠れなかった。翌朝、少し遅れて朝食に行くと、少佐は既に食べ終えて、「寝坊ですか?」と訊いた。テオはボーッとした顔で頷き、出勤する彼女にキスをして送り出した。彼女は彼の心を読めない。それは救いだった。ステファンやケサダ教授が言う通り、捜査に関する指示は司令部から彼女に直接言ってもらった方が良いだろう。
 大学のスケジュールを眺め、午前中はまだ余裕があると計算した彼は、着替えると建設省へ出かけた。1階のロビーは入り口の守衛の持ち物検査が通れば誰でも入場可能だ。
 テオは大学のI Dを見せて中に入り、受付へ行った。若い男女の職員がカウンターの向こうに座っており、パソコンの画面を見ていたが、テオが近づくと男性の方が顔を向けた。

「ブエノス・ディアス」

とテオが声をかけると、彼も挨拶を返した。テオはセニョール・シショカに面会を希望する旨を告げた。

「お約束されていますか?」

と男性が訊いたので、彼は「ノ」と言った。

「でも、私の名前を告げて頂ければ、会ってくださると思います。」

 強気で言うと、職員は胡散臭そうに彼を見ながら、電話をかけた。小声でボソボソ会話をしてから、彼は電話を終え、テオを振り返った。

「3階のエレベーターを出て左、2つ目のドアです。」

 それだけ告げた。テオは「グラシャス」と言って、エレベーターに乗った。乗ってから、大統領警護隊だったら階段を使うな、と思った。
 エレベーターを降りて、指示されたドアをノックすると、「どうぞ」と男の声が聞こえた。開くと、中は普通のオフィスで、机の向こうで顰めっ面のシショカが座ってパソコン画面を眺めていた。今日の大臣のスケジュール確認でもしているのだろう。
 テオは「ブエノス・ディアス」と挨拶した。シショカは尊大に頷いただけだった。この扱いが、カルロ・ステファン大尉以上なのか以下なのか、テオにはわからなかった。
 躊躇うと怖気付いていると思われそうなので、彼は直ぐに要件に入った。

「お忙しいと思うし、俺も仕事があるので、簡単に質問します。貴方は、マスケゴ族の族長選挙に立候補されていますか?」

 どストライクだ、と彼は自分でもそう思った。果たして、シショカがパッと顔を上げて彼を見た。

「誰が貴方にそんなことを言った?」

 怒っていた。テオは、少なくともシショカが腹を立てたと感じた。核心を突いた様だ。

「噂です。」

とテオは言った。

「アーバル・スァットを盗んだ人間はアルボレス・ロホス村の元住民かも知れませんが、彼等を利用してここに神像を送りつけさせた人間は、大臣ではなく、貴方に嫌がらせをしたかったのではありませんか?」



2022/09/29

第8部 チクチャン     9

  何となく静まり返ってしまった車が大統領警護隊の通用門の前に到着した。ギャラガ少尉とデネロス少尉がテオに礼を言って、降車した。ステファン大尉も降りたが、ドアを開けたままだった。彼は後輩達が門の中に入ってしまうのを確認してから、運転席のテオを覗き込んだ。

「少佐には、さっきの話を黙っていてくれますね?」
「内容がわからないから、話しても仕方がないだろう。それに彼女に教えて良い話なら司令部から連絡が行くんだろ?」

 どうせ俺には来ないだろうけど、とテオは心の中でやっかんだ。ステファンがちょっと頷いてから、囁いた。

「私は口が軽いので、貴方には話してしまいます。」
「おい!」

 これはびっくりだ。テオはステファンを見上げた。ステファン大尉が言った。

「マスケゴ族の族長後継者の争いが始まっている、と”あの人”は仰ったのです。」

 テオは息を呑んだ。マスケゴ族の族長はファルゴ・デ・ムリリョだ。しかし彼は長老会の最高幹部でもあり、高齢だ。族長は決して高齢者とは決まっていない。そして外国では誤解が多いが、世襲制でもない。部族のリーダーにふさわしい人を選挙で決めるのだ。

「博士は次の選挙には出ないつもりなのか?」
「あの方は引き際をご存じです。それに族長は2期で終わり、大統領と同じです。独裁を防ぐために、古代からそう決められています。」
「それじゃ、息子のアブラーンは・・・」
「世襲ではないので、立候補しなければなりません。しかし、アブラーンは会社経営で忙しい。族長の仕事をする暇がないので、今回立候補しません。それに彼は族長になりたいと希望を口にしたこともありません。」
「すると、他のマスケゴ族の家族から候補者が出ているのか?」
「純血種のマスケゴ族が何家族いるのか、私は知りませんが、水面下での争いは既に始まっているでしょうね。」
「それなりに権力を握れるからな・・・だが、どうして”彼”が君にそんな話を・・・」

 テオの頭にある考えが浮かんだ。

「まさか、シショカもその族長選挙に絡んでいるのか?」
「可能性はあります。彼が立候補するつもりなのか、或いは候補者の支援者なのか、それは不明ですが、今回の神像の件はマスケゴ族の選挙に関係している可能性があります。」
「”彼”は候補ではないんだな?」

 ケサダ教授を次の族長に、と言ってくれる人がいる、と以前ムリリョ博士自身がテオに語ったことがあった。しかしケサダ教授はマスケゴ族ではない。マスケゴとして育てられたグラダ族で、本人もそれを承知している。決して目立つことはするまいと心に誓っている人なのだ。だから彼は常に義父と義兄の陰に隠れている。

「神像を盗んだのは、マスケゴ族かも知れません。」

とステファン大尉が言った。

「もしそうなら、大統領警護隊司令部が遊撃班に捜査を命じるでしょう。文化保護担当部の管轄ではなくなります。」

 もし司令部からケツァル少佐に連絡が行くとすれば、今回の盗難事件捜査から手を引けと言う指示になるのだろう。
 テオは溜め息をついた。

「彼女があっさり手を引くと思えないがな・・・」


2022/09/28

第8部 チクチャン     8

  「おやすみなさい」と言って、ステファン大尉、デネロス少尉、ギャラガ少尉はケツァル少佐のアパートを出た。テオが送ってやるよ、と言って、キーを掴むと、少佐はアスルを振り返った。

「貴方も便乗して帰りなさい。」

 しかしアスルは食器を片付けながら答えた。

「ロホが乗せてくれるなら、ビートルで帰ります。」

 既に厨房で皿洗いに励んでいるロホが笑った。

「いつでも乗せるさ。今夜は寄り道しないから。」

 それで、テオは急いで3人を追いかけて外に出た。エレベーターを嫌う大統領警護隊より先に駐車場に着いた。エレベーターホールから車に向かって歩いていると、何か人の気配がした様な気がした。立ち止まって周囲を見回したが、誰かがいる様子はなかった。車の陰に隠れている強盗とかだったら嫌だな、と思った。アパート本体はセキュリティがしっかりしているが、駐車場は防犯カメラだけだ。車に到着した時、階段から3人の将校が降りて来た。彼等はテオの車に向かって歩き始めたが、ステファン大尉が足を止めた。

「呼ばれました。」

と彼は言い、友人達を驚かせた。彼はテオに向かって言った。

「少尉2人と車内でお待ち下さい。多分、知り合いです。」

 危険のない相手だと言いたいのだ。デネロスがギャラガを促してテオの側に来た。上官が行けと言うなら従うしかない。テオはデネロス、ギャラガと一緒に車の中に座り、ステファン大尉の方を見た。
 ステファン大尉は何処かに行くでもなく、その場に立っていた。すると暗がりの中から男性が1人現れた。それを見て、テオは驚いた。彼だけでなく、デネロスもギャラガも驚いた。

「ケサダ教授だ!」
「こんな時間にこんな場所で、大尉に何の用だろう?」

 ケツァル少佐ではなく、ステファン大尉にケサダ教授が”感応”で呼びかけたのだ。さっきの気配は教授だったのだ、とテオは知った。テオの勘が鋭いこともあるが、教授は彼に存在を知られても平気だから敢えて気配を殺したりしなかったのだ。
 大尉と教授は普通に挨拶を交わし、教授が何かを大尉に”心話”で伝えた。テオはステファン大尉がギョッと目を見張るのを目撃した。ケサダ教授は何か特別な情報を伝えたようだ。

 しかし、何故伝える相手が少佐でなくカルロなんだ?

 ステファンが口頭で何か質問した。教授が首を振り、何か答えた。そして、2人は丁寧に別れの挨拶を交わした。
 ケサダ教授は現れた時と同じ様に、静かに暗闇の中に去って行った。ステファン大尉はその後ろ姿に敬礼してから、テオの車に向かって歩いて来た。
 テオは彼が車内に座るまで待ち遠しかった。何の話し合いが行われたのだろう。ステファンはそれを教えてくれるだろうか?
 デネロス少尉が助手席から後部席に座った上官に尋ねた。

「教授は何の用事だったんですか? お尋ねしても宜しいですか?」
「ノ。」

 予想通りの返事だった。ステファンは腕組みして目を閉じた。隣のギャラガ少尉はちょっと迷ってから言った。

「私は読唇が出来ます。」
「知っている。」
「見えたことを喋っても構いませんか?」
「それは構わない。」

 ステファン大尉は目を閉じたままだ。テオはゆっくり車を出した。ギャラガが言った。

「大尉は教授に『少佐に伝えても良いですか』と訊かれ、教授は『司令部に伝えてからにしなさい』と仰いました。」

 デネロスが身じろぎした。

「それって・・・何だかやばい情報じゃないですか?」
「だから、俺は黙っている。」

 ケツァル少佐から「情報を盗まれるうっかり者」と評されるステファン大尉はそれっきりダンマリを決め込んだ。


第8部 チクチャン     7

  その夜、ケツァル少佐のアパートで大統領警護隊文化保護担当部とテオドール・アルスト、そしてカルロ・ステファン大尉が揃って夕食を取った。
 最初にロホが通常業務の進行状況を報告した。勿論、これが一番の優先事項で大事なことだ。少佐は部下達の仕事ぶりを聞き、2、3注意事項を告げ、アドバイスを一つしてから、今度は自分達の調査報告を行った。

「正直に言えば、特に報告すべきことはありません。アスルの電話を受けて、ダム工事を行ったアゴースト兄弟社の会社と経営者の自宅、それぞれを探ってみましたが、ダム工事を請け負ってから特におかしな出来事はなかった様です。それにサスコシ族にチクチャンと言うマヤ名を名乗る家族はいないと言うことです。」

 簡単に述べてから、彼女は付け加えた。

「タムード叔父から、マヤ系の住民と婚姻した一族の人間がいたかも知れないと言う考えを頂きました。」

 ステファン大尉がすかさず追加した。

「アスクラカンの市民でチクチャンと言う名の住民は現在いない様です。」

 尤も森の隅々まで住民調査した訳ではない。テオはオクタカスの村や遺跡を思い出した。昔、あの密林の奥に、”ヴェルデ・シエロ”の秘密の村があったのだ。しかし、最近ケツァル少佐とステファン大尉は長老会の人々と一緒にその村跡を訪れている。人間が住んでいる気配があれば彼等は気がついただろう。チクチャンの家族が潜んでいると思えなかった。

「グラダ・シティにチクチャンが潜んでいる様な気がして戻って来ました。」

と少佐が言うと、ロホが頷いた。

「建設省での守備を何処かで見張っていると言うお考えですね?」
「スィ。大臣が元気なので、失敗したと気がついているでしょうけど・・・」
「大臣に仮病を使って貰えば?」

とギャラガが呑気な意見を述べた。アスルがニヤリとした。

「それなら、俺が呪術で病気にしてやるさ。」

 テーブルが笑い声に包まれた。テオは彼等がそんな邪道な手で他人を攻撃したりしないことを知っていたが、想像するとちょっと恐ろしかった。この人達は本気になれば神像の祟りなど使わずに相手を病気にさせられるのだ。

「明日からどうします?」

とデネロスが尋ねた。少佐は肩をすくめた。

「何も打つ手がありません。取り敢えず通常業務に戻ります。」

 彼女は弟を振り返った。

「ご苦労様でした、ステファン大尉。明日は遊撃班に戻って頂いて結構ですよ。」

 あっさりクビだ。ステファンも肩をすくめた。

「明日と言わず、今夜でクビにして下さい。その方が朝練に遅れずに済みます。」

 もう官舎に帰るつもりなのだ。テオはちょっとがっかりした。一晩彼と飲めるかと期待したのだが。デネロスも寂しそうだ。彼女にはメスティーソの先輩が特別の存在なのだ。しかしギャラガはあっけらかんとしていた。

「それじゃ、大尉、デネロス少尉と3人で一緒に官舎へ帰還しますか?」

 ステファンがケツァル少佐を見た。今夜でクビにしてくれるのか?と目で問うた。少佐が笑った。

「官舎の固いベッドが恋しいのですね。どうぞ、帰りなさい。セプルベダ少佐によろしく。」

 

2022/09/27

第8部 チクチャン     6

  アゴースト兄弟社の経営者のアゴーストは実際に兄弟だった。兄が経営を弟が設計を担当しており、サスコシ族の族長の家より立派な屋敷を構えていた。しかしアスクラカン随一の大富豪サンシエラ一族の屋敷よりは小さい、とケツァル少佐は思った。サンシエラ一族はサスコシ系のメスティーソで、今は殆ど白人に近い風貌の人々ばかりだ。”ヴェルデ・シエロ”の自覚がない人も多く、古代の神様を敬っているが、自分達がその末裔であると言う証の”心話”以外に能力を使うことなど毛頭考えていないのだった。アゴースト家は普通の建設会社で、屋敷は立派だが上流階級の匂いはなかった。一代で築き上げた財産を大事に使っている、しかし家族には贅沢させている、そんな感じだ。
 ステファン大尉は再び屋敷の周囲の住民からアゴースト家の情報を収集した。ダム建設以降に歳を取った親が亡くなった程度で、特に災難がその家族に襲いかかった気配はなかった。

「チクチャンが犯人だとして、彼等は建設会社には遺恨はないのですかね。」

 ステファンが少し気が抜けた感じで言った。ケツァル少佐は屋敷を塀の隙間越しに眺めて、首を傾げた。

「確かに金持ちの家ですけど、土建屋がそのまま大きくなったと言う感じですね。チクチャンはアゴーストを敵と見なしていないのかも知れません。彼等を潰したら、多くの従業員とその家族が路頭に迷います。」
「理性のある復讐者ですか。」

 ステファンは、アンゲルス鉱石の社長を呪いで消しても腹心のバルデスがいたな、と思った。アンゲルス鉱石は巨大企業だが、有能な幹部が複数いる。創業者アンゲルスを消しても、誰も困らなかった。それはそれで寂しいな、と彼は思った。
 彼の頭の中を読んだかのように、少佐が言った。

「建設大臣を消しても、建設省は機能し続けますからね。」

 彼女は溜め息をついた。

「どんな意味を持つのでしょうね、彼等の復讐は?」
「アスルをもう一度盗難現場へ跳ばすことは無理ですか?」
「時間跳躍は難しいのですよ。タイミングが悪ければ、アスルが危険な目に陥ります。」

 警備員が爆裂波で襲われたのだ。アスルだって同じ目に遭わされる可能性もあった。それは「過去をちょっと見る」では済まなくなる。

「マハルダやアスルが収集した情報では、若い男女のペアだった様ですね。」
「博物館に現れた人物は修道女の姿をしていたそうです。」
「”幻視”かも知れません。」
「チクチャンは何人いるのでしょう? 一家全員でしょうか?」

 少佐はアゴーストの屋敷をもう一度眺め、それからアスクラカンの市役所の建物を民家の群れの向こうに眺めた。

「グラダ・シティに帰りましょう。」

 え? とステファンが振り返った。

「他の族長には会わないのですか?」
「チクチャンはグラダ・シティにいると言う気がします。イグレシアス大臣が本当に死ぬかどうか見極めたいでしょうから。」

 その時、少佐の携帯が鳴った。彼女が画面を見ると、テオからだった。

「オーラ・・・」
ーーオーラ、少佐! 忙しいかい?
「なんとも言えません。」
ーー大した用事じゃないんだが、ケサダ教授がシショカが動いていると言っていた。

 ステファンは少佐がピクリと体を緊張させたのを感じた。少佐がスピーカーにしてくれた。

「シショカが動いている、とケサダが言ったのですか?」
ーースィ。教授は建設省のマスケゴって言ったから、シショカのことだろう?
「ムリリョ博士も動いているのでしょうか?」
ーーそこまでは知らない。教授はシショカが何をしているのかと言うことは知らない様子だった。ただ文化保護担当部が動いていると知って、何か思いついたようだ。

 少佐はちょっと考えた。 テオが言い足した。

ーー俺は教授には関係ないことですと言っておいたが・・・
「それは関係あると言っているのと同じでしょう。」

 ステファンが思わず口を出した。少佐はちらっと彼を見てから、携帯に注意を戻した。

「ケサダに何か出来ると言うこともないでしょうし、あの方はご家族や友人に直接関係すること以外には動きませんから、放っておいて下さい。」
ーーいいのかい?
「スィ。」

 少佐は「今夜帰ります」と言って、電話を終えた。

2022/09/26

第8部 チクチャン     5

  アルボレス・ロホス村があった場所を流れる川は、アスクラカン行政府では単純に「支流17」と呼ばれていた。元からその地に住んでいた人々にとっても、ただ「川」で名前は特になかったのだろう。
 カルロ・ステファン大尉がアゴースト兄弟社で仕入れた情報では、支流17に泥止めのダムを建設してから会社内で特に変わったことはなかったと言うことだった。作業員が怪我をしたり、不思議な事故が起こったり、死亡事案があったり、そんなことはどこの会社でも一つや2つはあることで、彼等は問題にしていなかった。ダムができてから正確には14年経っており、その間に何もなかったと言う方が不思議なくらいだ。不思議な事故と言うのも、停めていた重機が勝手に動いて斜面を転げ落ち、下にあった数台の空のダンプカーにぶち当たったと言うもので、奇跡的に怪我人も死人も出なかった、とステファンは聞かされた。
 ケツァル少佐は、取り敢えずダムを見てみようと言い、ステファンを助手席に乗せて森の中につけられた作業用道路を走って行った。大型トラックが1台通れる程の道幅で、所々離合スペースがある、と言っても藪を踏んづけた程度の空き地だったが、走るには支障なかった。それにダムが見える場所までに数台トラックとすれ違ったが、どのトラックも荷台に土を積載していた。
 ダムはコンクリート製の低い堰堤だった。溢れた水が上部から流れていた。堰堤の上流は広い河原になって草や低木が生え、真ん中に水が流れている。その河原の土を堰堤から1キロほど遡った所で重機が掬い上げているのが見えた。トラックに積み込み、どこかに運んでいる。

「工業用のコンクリートに使うそうです。」

 アゴースト兄弟社で資料を盗み見て来たステファンが説明した。

「泥が満杯になってしまうのを防ぐのと、土砂を売って儲けるのと、自前の工事に使うのと、一石三鳥ですよ。」
「考えたものですね。」

 少佐は車に常備している双眼鏡で見てみたが、昔村があった痕跡はどこにもなかった。広い河原はすっかり周囲の風景に同化して、昔からそこはそんな広い平らな場所であったかのようだ。

「昔の地形はどうだったのです?」
「もう少しVの字に近い谷だったようです。だからダムを造ったのですが、深くなかったし、幅もあったので、こんな平になったのでしょう。 住居が泥で埋もれたと言うより、畑に泥が溜まってしまって耕作が出来なくなったのです。」
「会社はどう考えていたのでしょう?」
「ただ、請け負った通りに作業しただけですよ。」

 入植者のその後の災難など考えていなかったのだろう。入植者もまさかダムが自分達の生活を奪うとは夢にも思わなかった筈だ。力仕事で雇ってもらったのかも知れない。村の家屋は多分木造の小屋で少し高床式だった。だからすぐには人間に被害が出なかった。

「作業員達が村の住民のその後を知っていると言うことはありませんでしたか?」
「”操心”で探りましたが、従業員の入れ替わりが激しく、村人のことはおろか村があったことも知らない人が殆どでした。村自体の歴史が短すぎたのでしょう。」

 ブルドーザーの音が始まった。シエスタが終わって本格的に仕事を再開したのだ。来る途中ですれ違ったトラックは、昼前に土砂を積んで、休憩を終えて運搬を始めたに違いない。

「次の雨季が来る迄に土砂を掻い出して、雨季の間は休止、乾季にまた作業をする、の繰り返しです。アルボレス・ロホス村は気の毒だったが、ダムのお陰で下流の住民は土砂災害が減って安堵していると言う話も聞きました。」

 少佐は小さく頷いた。移転費用がきちんと支払われていれば、揉め事は起きずに済んだのかも知れない。
 現場を見ても村人の行方を知る手がかりはなかったので、少佐と大尉は車に戻って、来た道を引き返した。

「アゴースト兄弟社の経営者の住まいはわかりますか?」
「アスクラカン市内です。」

 ステファン大尉はちょっと微笑した。

「”ティエラ”ですよ。」


第11部  紅い水晶     19

  2台目の大統領警護隊のロゴ入りジープがトーレス邸の前に到着した時、既に救急車が1台門前に停まっていた。クレト・リベロ少尉とアブリル・サフラ少尉がジープから降り立った。2人は遊撃班の隊員で、勿論大統領警護隊のエリートだ。サフラ少尉が一般にガイガーカウンターと呼ばれる放射線計測器...