大学での仕事は何事もなく平穏にこなせた。学生達は遺伝子の組み替えのさまざまなパターンを考察し、人間の病気に対する遺伝子の影響を考えた。どうすれば病気に強い子供を産めるようになるのか。 それは人口の減少が早い少数民族の課題でもあった。多産でも生まれた子供が病気に罹りやすければ、衛生管理に力を入れても、経済的に貧しい人が多いこの国では乳幼児の死亡率低下を防げない。テオは彼本来の研究分野に没頭して、夕方までなんとか神殿の問題を忘れていられた。
夕方、研究室を閉めて駐車場に向かいながら携帯をチェックすると、ケツァル少佐からメッセージが入っていた。
ーー今夜帰ります。夕食に間に合うと思います。
それだけだった。テオは「お疲れ」とだけ返信した。
駐車場でケサダ教授を見かけた。教授は何もなかったかのように、他の職員と談笑していた。テオは彼に声をかけずに車に乗り込み、帰路に着いた。
文化・教育省の駐車場に立ち寄ってみると、ロホのビートルが駐車していた。ロホも何とか己の役目を終えたようだ。
恐らく長老会は文化保護担当部に裁判の詳細に立ち入らせなかったのだ。必要な証言だけ語らせて、彼等を解放したに違いない。
テオは駐車場を一周してから、自宅に向かった。役所は大学より終業時間が少しだけ遅い。約束していれば、テオは彼等を待つが、この日は誰とも約束していなかったので、自宅で少佐を待つことにした。
帰宅すると、家政婦のカーラが食事の支度をしていた。テーブルは2人分の用意だけだった。少佐は彼女に特に何も連絡をしていなかった様だ。テオは自分のスペースでシャワーを浴び、着替えて、ダイニングに入った。そこへ少佐が帰って来た。 テオが玄関に出迎えて、「お帰り」とキスをすると、彼女は素直に、何もなかったかの様に応じた。そして、いつもの様にシャワーを浴びて着替えた。
食事の開始も普段と変わらず、穏やかに2人で乾杯して、カーラに残りの食材を与えて帰らせた。
カーラがいなくなって、本当に2人きりになると、少佐が初めて大きく溜め息をついた。テオは尋ねた。
「事件は全て解決したのかい?」
「多分・・・」
少佐が少々投げやりな声で答えた。
「相変わらず、我々には全容を教えてくれない人々です。」
長老会と神殿の人々のことを言っているのだろう。テオは立ち上がり、リビングへ行った。そこに、最近彼が購入したキャスター付きのホワイトボードがあった。大学の准教授らしい発想で、彼は友人達とややこしい話をするために準備したのだ。今迄部屋の片隅に置いたままで使ったことがなかったが、今回はこれが必要だと思えた。
彼がコロコロとボードを押して来るのを見て、少佐がちょっと笑った。
「刑事ドラマみたいです。」
「そうさ、時系列や登場人物の相関図がないと、俺は理解出来ないからな。」
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