2021/06/13

記憶喪失の男 8

 オルガ・グランデの鉱山王ミカエル・アンゲルスの屋敷は街郊外の丘の上にあった。周囲を高い白い塀で囲み、門にはカービン銃を装備した門衛が小屋に詰めていた。塀の上には恐らく高圧電流が流れている電線が張られているのだろう。
 ミカエルが乗った大統領警護隊のジープは速度を落としたものの、停止せずに門まで走った。門衛が出て来て銃を向けた時、ミカエルは撃ち合いになるかと危惧したが、軍人達は表情一つ変えずに前進を続けた。助手席の兵士が片手を前へ突き出した。待てと言う具合に手のひらを前に向けた。門衛達は大人しく銃を下に向け、門扉を開いた。ジープはそのまま停まらずに敷地内に進入した。
 ミカエルがホッと肩の力を抜くと、隣の少佐がチラリと彼を見た。彼女は何も言わなかったが、鼻先で笑ったような気配だった。
 屋敷の玄関先まで1分かかった。広い庭は芝生が張られ、ゴルフ場の様だ。乾燥した土地で水をふんだんに庭に撒けるのだから、確かに金持ちだな、とミカエルは思った。 玄関前の車寄せに背の高いスーツ姿の男が数人のボディガードを従えて立っていた。玄関の扉は大きく開かれている。口髭を生やした目つきの鋭いスーツ姿の男の前にジープが停まった。ケツァル少佐が彼に声を掛けた。

「セニョール・バルデス?」
「スィ、少佐。」

 助手席の兵士が素早く車外に出て、少佐の側のドアを開けた。ミカエルは大人しく彼女の後について降りた。バルデスが挨拶をしようと手を差し出したが、少佐はそれに応じなかった。ジープの運転席の兵士は降りないで上官とミカエル、バルデスとボディガード達を眺めていた。
 
「貴女のお噂はかねがね耳に入れておりました。」

とバルデスが少々戸惑いながら挨拶した。少佐が彼を無視して屋敷の建物を見上げた。スパニッシュ・コロニアル様式の家だ。ミカエルも見上げた。白くて明るい外観だが、何だか嫌な感じがした。動物的な感覚で、近づきたくない場所と頭の奥で警鐘が鳴った気がした。

「どんな噂ですか。」

 ケツァル少佐がバルデスに目を向けずに尋ねた。建物の右から左へと視線を動かしている。そんな彼女をバルデスは見つめている。

「貴女が登場すると、国の事業でも工事がストップする。国賓の接待よりも遺跡保護を重視される方だと・・・」
「自国の文化を軽んじる国家は滅びますよ。」
「どうして大統領警護隊が遺跡保護に口出しするんだい?」

 ミカエルが口を挟んだので、初めてバルデスが彼に目を向けた。

「こちらは?」

 ミカエルは自己紹介した。

「ミカエル・アンゲルス。冗談で名乗っているんじゃない。今のところ、この名前しか手がかりがないんだ。」

 彼はポケットに手を入れた。当然の様にボディガード達が反応しかけたが、少佐がジロリと一瞥すると彼等は上着の内側に手を入れかけたまま固まった。バルデスが少佐に謝った。

「失礼しました、彼等はこれが仕事なので・・・」

 少佐が頷くと、ボディガード達は手を下ろした。ミカエルはシワクチャの名刺を出してバルデスに渡した。カードを手に取ったバルデスの目が険しくなった。

「主人の名刺です。失礼だが、セニョール、何処でこれを?」
「それを知る為にここへ来たんだ。俺は2ヶ月前に事故に遭って、記憶がない。」

 しかしバルデスの顔からは警戒心しか読み取れなかった。名刺と少佐とミカエルを何度も見比べる。少佐が尋ねた。

「セニョール・アンゲルスはご在宅ですか?」

 少し苛立ちを声に滲ませて、彼女が畳みかけた。

「私の相手はNo.2で十分だと思われているのですか?」
「滅相もない!」

 バルデスが強く首を振った。

「主人は旅行中なのです。」

 ”旦那”より力がある、とリコが評していた男が、少し慌てた。

「それに貴女が協力を要請された相手は主人ではなく私だと思いましたが。」

 ケツァル少佐は頷いて見せた。

「どっちでも良いのです。実力のある方でしたら。」

 彼女の言葉にバルデスが少々怯んだ様に、ミカエルには思えた。少佐が建物の中へ歩き始めたので、彼はついて行った。バルデスがボディガード達にその場で待機を命じ、2人の後に続いた。ジープに残った2人の兵士は一瞬互いの目を合わせ、それから車外の若い方が建物の右翼を、運転席の兵士が建物の左翼を見た。彼等は自分達を見張るボディガードには目もくれず、2階にアサルトライフルを向けた。

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

映画に出てくる麻薬王やマフィアの邸を想像しながらアンゲルス邸を描いた。

まだ名を呼ばれていないが、ロホとアスルが台詞なしで登場。”心話”を使ったシーンがある。
彼等は邸の母家の2階に異常を感じている。

第11部  紅い水晶     21

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