2021/06/12

記憶喪失の男 7

  ミカエルは少佐から同行を要請されなかったし、彼も要求しなかった。しかし朝になると彼は身支度をして部屋を出た。ホテルのシャワーは午前中水しか出ないので、素早く埃を流しただけで、体を洗うほども浴びられなかった。服は洗濯出来ないので昨日のままだ。朝食抜きでホテルから出ると、まるで打ち合わせたかの様にケツァル少佐が昨晩の2人の兵士と共にルーフ無しのジープに乗って現れた。運転しているのは整った顔立ちの若い男で、助手席にいるのは彼よりさらに若い、少年の様な男だ。どちらも純粋な先住民の顔だった。ミカエルはセルバ共和国軍の階級章の見分け方を知らなかったが、運転席の兵士の徽章が星2つで、助手席の兵士が1つなのを見て、上官が運転しているのか、と思った。少佐は星1つだが、2人のものに比べると大きな星で形も異なっていた。この日は3人共野戦用の軍服を着ていた。
 ジープがホテルの前で停車したので、ミカエルは少佐の反対側へ回った。少佐がおはようの代わりに言った。

「連れて行くとは言ってません。」
「だけど、迎えに来てくれたじゃないか。」

 ミカエルは勝手にドアを開けて少佐の隣に座った。助手席の兵士がチラリと彼を見た。ちょっと怒っている? 

「生きているか、確認に来ただけです。」

 そう言って、少佐が道路の反対側を顎で指した。

「彼。」

 ミカエルがそちらを見ると、物陰に隠れるようにリコが立っていた。行き場のない野良犬の様な目でこちらを見ていた。彼はアンゲルスの組織に制裁を受けるかも知れないと心配しているのだ。ミカエルはポケットを探った。辛うじてコインが2枚残っていた。コーヒー代にはなるだろう。彼はそれをリコに向けて投げた。

「俺達が戻る迄、ホテルで待ってろ。」

 びっくりしているリコを置いて、ジープが走り出した。走り出して5分もすると、少佐が腕組みして言った。

「あれは私が渡したお金ですか?」
「その残金だね。」
「国民の税金です。」
「リコも国民の1人だろう?」
「彼が税金を払っているとは思えません。」
「この国は税金を払えない貧民を守れないのか?」
「彼に払う能力がないとも思えません。」

 ミカエルがリコにお金を与えたことが気に入らないのか。それとも勝手に車に同乗したことに怒っているのか。今朝の少佐はご機嫌斜めだった。ミカエルも少し不愉快になった。空腹だから、なおさらだ。

「俺を連れて行きたくないんだったら、ここで下せ。」
「車を止めるとガソリンの無駄です。降りたいのなら、勝手に降りなさい。」

 腹が立つが、己の身元を知りたいミカエルは、それ以上彼女に逆らうのを止めて黙り込んだ。


1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

ケツァル少佐、実は結構お金に厳しい人です。国民の税金を使う立場であると自覚しているので。

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