2021/06/18

笛の音 4

 「テオ、今日は遊びに行きましょう。」

 ある日曜日、朝食を取りに出かけたカフェで出会ったデイヴィッド・ジョーンズがシオドアに誘いをかけた。

「何処へ?」
「博物館です。友達が中南米の古美術を収集している私立の小さな博物館を見つけたんです。それが結構珍しい物を展示しているって言うんで、見に行こうと思うんです。」

 シオドアは古美術に興味がなかったが、基地の外に出られるのだと思い直し、ジョーンズの誘いに乗った。彼にはケビン・シュライプマイヤーと言う屈強なボディガードが付けられていたが、近場の外出なら届けは不要だとジョーンズが言ったので、朝食が終わると2人はそのままジョーンズの車で出かけた。
 メルカトル博物館は平凡な鉄筋コンクリートのビルだった。入り口でチケットを買い、その場で半券を切られた。中は薄暗く、ガラスケースや剥き出しのテーブルの上に本物なのか偽物なのかわからない石像や焼き物の壺、人型、石盤などが無秩序に並べられていた。それでも体裁は整っていて、出土した国別に展示されているのだった。
 シオドアとジョーンズはそれぞれの興味の度合いで見て歩く速度が違い、ちょっとずつ離れた。ジョーンズがメキシコのアステカ文明の遺物と表示された陶器類を眺めている間に、シオドアはセルバ共和国のコーナーを発見した。北米では殆ど知られていない小国だ。無視されていると言っても過言ではない。だからと言う訳ではないが、博物館の創設者はコーナーの入り口にセルバ共和国の説明をそこそこ詳細に書いたプレートを設置していた。
 説明書の前半は、現在のセルバ共和国の人口や産業、宗教はほぼ100パーセントの国民がカトリックで、東海岸地帯と西部の山岳地帯・太平洋岸地域で貧富の差が大きいことが書かれていた。ところが、後半の文化の箇所になると、ちょっと不思議なことが記述されていた。
 ほぼ100パーセントの国民がカトリックを信仰していると前半に書いておきながら、この説明書の作者は、後半で多くの国民が古代からの土着信仰を今も生活の基盤にしていると言うのだった。

ーーセルバ共和国の住民の97パーセントは先住民”ヴェルデ・ティエラ(地の緑)”族、またはヴェルデ・ティエラと白人のメスティーソである。残りの3パーセントはアフリカ系の混血と白人からなる。ヴェルデ・ティエラ族には”ヴェルデ・シエロ”と言う古代の神々を崇拝する信仰が現代も残っており、生活の中にいくつかの儀式や禁忌が見られる。首都グラダ・シティの中央に聳え立つ”曙のピラミッド”は”ヴェルデ・シエロ”が築いたと伝えられるもので、建造年は不詳。前述の”ヴェルデ・シエロ”信仰の為に現在も外国人の立ち入りが禁じられている為に学術的調査は未だされていない。ママコナと呼ばれる女性が巫女として祭祀を執り行うと言われているが、それを神官以外の人間が実際に見ることも禁じられている。”ヴェルデ・シエロ”はセルバ共和国の密林地帯や西部の乾燥地帯に残されている遺跡で神像の形で祀られている。その姿は人間だが頭部に翼がある奇妙な形状をしている。また半人半獣の姿の彫像なども見受けられる。この神様は中米の他の国では見られない大変珍しいものだが、未だ生きている土着信仰故に考古学的研究も手付かずである。

 頭部に翼だって? シオドアはもう一度説明板を読み返した。そして展示されている土人形の様な神像を眺めた。風化して鮮明ではないが目鼻口がある頭部の左右両側に小さい翼状の突起がある。ギリシア神話の翼付き兜を被った神様の様だ。
 普通でない前頭葉形成の遺伝子情報。シオドアは想像してみた。頭から羽根が生えた人々が暮らしている古代の町。
 ダメだ、想像出来ない。頭に翼がある意味はなんだ? そんな物が頭に生えていたら邪魔なだけじゃないか。だが・・・待てよ。
 ”翼”が羽根ではなく、超能力を表しているのだとしたら? 或いは優れた計算能力を持つ頭脳とか。これは、被験者7438・F・24・セルバと同じ遺伝子を持っている人間を表すとしたら?
 シオドアは首を振った。違う。俺は超能力者じゃない。普通の人間より頭が良いと言うだけだ。”ヴェルデ・シエロ”だってそうだったんじゃないか? 優れた知恵と計算能力で天文学知識を高め、住民に神様の宣託を行ったり、医術を施していたのだ。尊敬を集め、当時は神様の様に崇められたのだろう。
 シオドアはロビーに出た。長椅子に座って休憩していると、2階のインカを中心としたアンデス地方のコーナーを見学していたジョーンズが階段を下りてきた。

「疲れたんですか、テオ?」

 気遣ってくれる。シオドアも笑顔で首を振った。

「否、古代の神様ってどんな人々だったのかなぁって考えていたんだよ。」
「宇宙から来たエイリアンとか、地底から上がってきた異人類とか・・・」

 ジョーンズが可笑しそうに笑った。実際、そんな風な方向へ持っていく研究者もいるのだ。だから考古学は面白いんです、と遺伝子学者らしくないコメントをジョーンズは言った。
 シオドアはふと思いついて、彼をセルバ共和国のコーナーへ引っ張って行き、例の説明板を見せた。ジョーンズは興味深げに読んでいたが、シオドアほどの興奮を得た様子はなかった。被験者7438・F・24・セルバの遺伝子情報を見ていないのだから、当たり前だ。

「きっとセルバ共和国の神様は頭がずば抜けて良かったんでしょうね。」

とジョーンズは単純な感想を述べたに過ぎなかった。
 帰りかけて、2人はロビーの隅に売店を見つけた。博物館の所有者が書いた著書や、遺跡の写真集の他に現地で買い集めた小物類、旅行社のパンフレットなどが置かれた簡単な店だ。売れているように思えなかったが、ジョーンズが動物を象った土笛を1個購入した。マヤの遺物コーナーにあったものと似ていたが、シオドアはお金を出して買う価値があるとも思えなかった。それに、その笛は不快な臭いを放っていた。彼は同じ型の笛を手にとって見た。それは臭わない。ジョーンズが選んだものだけが、嫌な臭いがする。

「こっちにすれば?」
「否、これが良いです。」

 ジョーンズには臭わないのだろうか。たった2ドルの土の笛だ、とシオドアもそれにこだわるのを止めた。


 

1 件のコメント:

Jun Tacci aka ねこまんま さんのコメント...

博物館の名前を書き忘れていたので追加。

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