2021/06/18

笛の音 5

  月曜日の朝、デイヴィッド・ジョーンズは出勤して来なかった。シオドアは昼休みに電話をしてやろうと思いつつ、深く考えないで助手達の研究の手伝いをいつも通りにした。助手仲間も、ジョーンズが無断欠勤するのは珍しいね、と言いつつ、その時点では寝過ごしたのではないか、とか風邪でもひいたのでは、と軽く考えていた。
 午前11時頃になって、所長のワイズマンがシオドアの研究室を訪れた。

「テオ、ちょっと来てくれないか。」

 なんだか怖い顔をしていたので、シオドアは日曜日に護衛を付けずに外出したことを叱られるのかと思いながら、彼について所長室に行った。秘書がいる小部屋を通り、奥の執務室に入ると、ワイズマンは自分でドアを閉めた。机の向こう側に座って、開口一番、こう言った。

「デイヴィッド・ジョーンズが傷害事件を起こした。」
「えっ!」

 シオドアはびっくりした。温和な人柄の遺伝子学者と暴力沙汰が頭の中で結びつかない。

「何時です? 何処で?」

 前日、博物館を出てお昼を一緒に食べてから別れて、それっきりジョーンズと会っていない。ワイズマンが彼の目を探るように見た。

「基地の守衛が言うには、君とジョーンズは昨日の朝、一緒に出かけたそうだね。」
「はい。ジョーンズが面白い博物館を友人から教わったので見学に行こうと誘ってくれたんです。基地の近くなので護衛の必要はないと思い、ジョーンズの車で出かけました。」
「帰りは?」
「博物館を出て、近所のハンバーガー屋で昼食を取り、別れました。俺はタクシーで帰りました。」
「君の帰還は守衛が証言している。ジョーンズは帰らなかった。何処へ行ったか知らないか? 行き先を思い当たらないか?」
「いいえ・・・彼は博物館を教えてくれた友人の家に立ち寄ると言いましたが、それが何処かは聞いていません。」

 シオドアはふと疑問を感じた。こう言う時は、警察が先に質問するだろう。ワイズマンは警察をこの研究所に入れたくないのだ。軍の施設だから市警は入って来られない。軍の憲兵とか、その手の司法を扱う部署が来ても良さそうなものだが、ワイズマンはそれも好まないのだ。ここは国家機密を扱う研究施設だ。だからシオドアと口裏を合わせておこうと事前に所長自ら質問しているに違いない。

「デイヴィッドはどんな事件を起こしたんです?」

 シオドアの質問に、ワイズマンが妙な表情になった。

「私にも訳がわからんのだ。」

 彼は警察が軍を通して寄越した情報だ、と前置きして語った。
 デイヴィッド・ジョーンズは昨夜8時頃、基地から車で1時間ほどの街にあるゲームセンターに現れた。真ん中をくり抜いた白いシーツを頭からすっぽり被って身にまとい、頭にアルミフォイルで作った冠を被っていた。顔は真っ白に絵の具を塗りたくっていたので、ゲームセンターで遊んでいた若者達は「変なおっさんが来た」と思ったそうだ。ジョーンズはそれから小一時間ほど店内を彷徨いていた。店の用心棒が観察していたが、特にドラッグでラリっている様に見えず、酔っ払っている様にも見えなかった。しっかりした足取りで歩いて、ゲームに興じる少年達を眺めて回っていた。それでもシーツの下に何か物騒な物を隠しているかも知れないと、用心棒は少し距離を置いて彼の後ろをついて歩いた。
 ハンマーゲームをしている少年のグループの近くにジョーンズが来た時、少年の1人が高得点を叩き出した。少年達が騒いでいると、ジョーンズが話しかけ、いきなり勝者の胸にナイフを突き刺したと言う。

「どうして?」

 思わずシオドアはワイズマンに問いかけた。ワイズマンも答えを知らない。彼は肩をすくめた。

「警察が目撃者達から集めた証言によると、ジョーンズは『勝者の心臓を捧げよ』と叫んでいたそうだ。」

 シオドアは頭を抱えた。それは何処かで読んだことがあるぞ。昨日・・・。
 彼は顔を上げてワイズマンを見た。

「マヤの儀式です。」
「はぁ?」
「昨日、ジョーンズと中南米の美術品を展示する博物館に行ったんです。マヤ遺跡のコーナーで、説明板にその様なことが書いてありました。古代のマヤでは、サッカーの試合をして、勝者が名誉として心臓を神に捧げ、豊穣を祈願したと。」

 ワイズマンはポカンと口を開けてシオドアを見返した。シオドアもそれ以上何も考えられなかった。ジョーンズが古代の儀式を再現したくなったとも思えない。あの温和な男に一体何が起こったのだ?

「それで・・・刺された少年の容体は?」
「良くない。集中治療室で加療中だが、心臓付近を刺されているから・・・」

 ワイズマンは机の面を見ながら呟いた。

「ドラッグだろうな・・・南米が絡むと碌なことが起きん。」


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